年明け早々に開催されたMACWORLD EXPOで,米Apple Computerが新型の「PowerBook」を発表した。同社CEOのSteve Jobs氏が基調講演の中で,「ノート・パソコンでは業界最大のディスプレイ」(同氏)を持つPowerBookと,iBookよりもさらに小さいPowerBookを発表し,皆を驚かせた。

 ところがこの基調講演の中でJobs氏はもう1つ意外なものを発表している。IEEE802.11g規格を採用した無線LAN製品「AirPort Extreme」(日本での製品名は「AirMac Extreme」)である。

 これはノート・パソコンのサイズ変更よりもはるかに重大な出来事だと筆者は見ている。Apple社は,この新型PowerBookをはじめ,今後展開する同社製品でこの無線LAN規格をサポートする。つまり,現在普及している11MbpsのIEEE802.11bの後継で,次世代高速無線LAN規格とうたわれたIEEE802.11aを見限るのだ。このことは何を意味するのだろうか? 今回はこれらの無線LAN規格を巡る市場動向について考えてみたい。

■無線LANの先駆者が新たな方向性

 偶然にも,本コラムで無線LANの記事を掲載したのは1年前の今日。記事では,Apple社がいち早くパソコンに無線LAN機能を搭載し,消費者パソコンにおける無線LAN利用に道筋をつけたこと,その後,米IBMをはじめとする大手メーカーが自社の無線戦略を展開し,それが無線LANの普及に大きく貢献したこと,――などを述べた。

 そして1年経った今,無線LAN市場,とりわけIEEE802.11b製品の市場がその後も急成長していることはご存じの通りである。Apple社が初めて無線LAN製品を提供したのが1999年7月のこと,IBM社の無線戦略はその2年後となる2001年の5月である。こうして見てみると,Apple社がパソコン業界における無線LANの先駆者だったことがよく分かる(注1)。そのApple社が今回,後継として802.11aではなく,802.11gをサポートすると発表したわけである。

注1:Apple社は1999年の7月,ニューヨークで開催されたMACWORLD EXPOで初代iBookとともに802.11b準拠の無線LAN製品「AirPort」(後に,日本での製品名は商標の関係から「AirMac」となった)を発表した。しかしこのときは,消費者の間でまだ「無線LAN」という言葉になじみがなかったように思う。「802.11b」という規格名に至ってはなおさらである。

■「b」「a」「g」をおさらいする

 ここで,IEEE802.11b,802.11a,802.11gについて簡単におさらいをしておきたい。まず,802.11bは前述した通り,今,最も普及している無線LAN規格だ。802.11bは,2.4GHz帯の電波を使い,50~100メートルと比較的長い距離にある機器同士で通信できる。また遮へい物に比較的強いこと,公衆無線LANアクセス・サービス(ホット・スポット)でも利用されていること,普及に伴い安価な製品が登場している,といった理由から,無線LANのデファクト・スタンダードになっている。ただしその最大データ転送速度は11Mbps。これでも従来の無線LANに比べると十分速いのだが,動画など,今後普及が見込まれるの大容量コンテンツの送受信には力不足である。

 そこで登場したのが,IEEE802.11aである。「a」が付くが802.11bの後継となる。802.11aの最大データ転送速度は54Mbpsだ。5GHz帯の電波を使うことから,伝播損失が大きい,無免許での屋外利用が禁止されている,壁を通過しにくい,といったデメリットはある。しかしその通信速度の速さから,無線LANの次世代規格として期待されていた。

 そして今回,Apple社が採用したのが,IEEE802.11g。同規格は,802.11b同様2.4GHz帯を使うが,データ転送速度は802.11aと同じく54Mbpsにまで引き上げられる。そして802.11bと互換性を持つことが最大の特徴となっている。

■802.11b非互換が足かせに

 仕様の策定作業は802.11gよりも802.11aの方が早くから進められた。よって802.11aは製品の登場も早い。日本ではソニーが対応製品を2001年11月に発売。その後,他のメーカーもこれに続いた。米国では,米Cisco Systems,米Proxim,米Agere Systemsといった通信機器メーカーが対応製品を出している。

 ところが802.11aには802.11b非互換という問題がある。つまり既存の802.11bネットワークを802.11aネットワークに移行する際,アクセス・ポイント(親機)を変えてしまうと,すべてのクライアント・マシンの無線LANカード(子機)も取り替えなければならない。つまり,既存の無線LAN環境の規模が大きいほど,コストがかさむことになる。

 この問題は大きい。802.11bが広く普及していることが要因となって,802.11aの普及が進まないのだ。大手量販店に行っても,店舗内にずらりと並ぶのは802.11b製品。802.11a製品は店員に言って出してもらわなければならない。しかも置いてあるのはたった1機種のみ,といったことも珍しくない。802.11aは,まだとても「普及している」とは言えない状況なのである。

■802.11aはコスト高

 Apple社が採用する802.11gはその後に登場した規格である。米Texas Instruments(TI)や米Intersilなど数社がIEEE(米国電気電子技術者協会)に提出していた案をとりまとめて作った。802.11bと互換性があるので,既存の無線LAN環境を802.11gに移行する際,とりあえずはアクセス・ポイントさえ買えばよい。802.11bの無線LANカードからでも802.11gのアクセス・ポイントにアクセスできるからだ(その場合の最大通信速度はもちろん802.11bの11Mbps)。

 なお802.11aでも同様の環境を作れないわけではない。アクセス・ポイントのオプション製品を利用すれば802.11bとの同時利用が可能になる。802.11aのアクセス・ポイントには,別売りの802.11b向け製品が用意されているものがある(例えば,802.11b用の無線モジュールや対応する802.11b用アクセス・ポイントなど)。必要な製品を購入して接続すれば,802.11a/802.11b両対応のネットワークを構築できる。

 ただしその場合コスト高になることは否めない。まず,オプション製品を購入しなければならないし,802.11aはアクセス・ポイント自体がまだ高い(安くても802.11b製品の2~3倍,日本では4万~6万円ほどする)。ちなみに米Cisco Systemが昨年発売したアクセス・ポイントに「Cisco Aironet 1200 Series Access Point(AP)」がある。この製品では802.11b/802.11aの同時利用が可能になるが価格が1499ドルと,いかんせん高い(関連記事)。

■アップル製品は安価だが・・・

 では,Apple社が今回発表したAirPort Extremeはどうだろうか。こちらのアクセス・ポイント(Apple社では「ベースステーション」と呼ぶ)の価格は199ドル(日本では2万2800円)と安い。また無線LANカードは99ドル(日本では1万1800円)である。これでとりあえずは802.11b/802.11g両対応の高速無線LAN環境が構築できるのだからありがたい。しかしそこには問題がないわけでもない。

 802.11b/802.11g両対応といっても,最大54Mbpsがいつでも可能というわけではないからだ。その理由はこうだ。AirPort Extremeには802.11bと802.11gの同時利用ができる「802.11b互換モード」がある。このモードの時,802.11bユーザーの通信速度は最大11Mbpsとなる。これは理解できる。しかしこのとき802.11gユーザーは最大54Mbpsが出なくなる。54Mbpsを達成したければ,全員が802.11gユーザーでなければならない。

 もう1点,通信距離の問題がある。802.11gは802.11bに比べ通信距離が短い。AirPort Extremeの場合,802.11bモード時のそれは「アクセス・ポイントを中心とする半径約45m」(同社)。これが802.11gモードになると「同約15m」になる。つまり環境によっては,これまで1台で足りていたアクセス・ポイントを2台以上に増やす必要が出てくる。AirPort Extremeではその解決策として,複数のアクセス・ポイントを無線接続できるワイヤレス・ブリッジ機能を提供している。これにより通信可能距離を容易に拡大できるというわけだ。しかしこの場合,(当然だが)アクセス・ポイントを複数台購入しなければならない。導入の際には慎重な検討が必要だろう。

■「802.11aの市場は存在しない」

 話を802.11aに戻そう。今回のApple社の発表は,難局に直面する802.11aの現状を象徴するものだったのかも知れない。

 米メディアの報道によると,Apple社のWorldwide Hardware Product Marketing担当副社長のGreg Joswiak氏は次のように語ったという。

 「Apple社は802.11a対応製品を作る計画はない。802.11aは意味がない。まったくないと言ってよい。802.11aの市場が存在するとは考えられない」(同氏)

 また,前述のCisco社,Proxim社,Agere社の3社はそれぞれ802.11a製品を販売しているものの,802.11b/802.11a両対応の製品開発に積極的なようである。米Microsoftも802.11aのみに対応する製品についてはサポートを行っていないと聞く。

 米国の市場調査会社Forward Conceptsが昨年12月,無線LAN市場の調査・分析結果を発表した。その中で同社は「802.11a技術は短命に終わる」と結論付けている。(関連記事)。同社アナリストのWill Strauss氏も「市場ではもう答えが出ている」と断言する。「昨年,数千万個出荷された802.11チップのうち,802.11a向けのチップは10万個に満たなかった」(同氏)というのがその理由だ。

 「Wi-Fi5」を覚えているだろうか? 業界団体のWi-Fi Alliance(旧組織名はWECA)が製品の普及促進を図ろうとして考えた802.11a規格の愛称だ。「Wi-Fi」として知られる802.11bに対し,802.11aが5GHz帯の電波を使うことからこう名付けた。しかしWi-Fi Allianceは昨年10月,この愛称を正式に使わないことを決めている(掲載記事)。「消費者が混乱するから」というのがその説明だが,おそらくこれなども,802.11aの現状を表す象徴的な出来事ではないだろうか。

 802.11b市場を切り開いたApple社が,後継に802.11gを選択したことによって,54Mbpsの無線LANのスタンダードは,802.11gに方向付けられたといえよう。これから他のベンダーが802.11gに乗り出して来るに違いない。

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