「やきそばのかすとれたけ?」とほのちゃんが顔を寄せてくる。青のりのことだろうか?でも,焼きそばなんて食べてないぞといぶかしがっていたら,数日前のことを思いだした。ほのの顔にそばかすの元を見つけた妻が「ほのちゃん,ビタミンC飲もう」とビタミン剤のタブレットを買ってきたのだ。ほのは毎日かかさずこれを飲んでいる。その効果が出たかどうかと聞きに来たのだ。わかっているようないないようなほのちゃんは現在小学1年生である。

 第1話を書き始めたとき,末娘のほのは0歳10カ月だった。第1話の写真は小さくて暗い。この日記を書き始めたころは,CANONオートボーイ2という35ミリのコンパクトカメラを使っていたのだ。24枚撮りのフィルムをとりきったら,現像に出して,でき上がった写真をスキャナでスキャンしていたのである。当時フィルムスキャナは特殊で高価なものだったのだ。だから,この頃は日記のアップが一ヶ月遅れなのである。MindStorms日記をスタートした1999年はデジタルカメラが広く普及する夜明け前だったのである。

 CANONオートボーイ2では,接写ができないという理由で買ったカメラがこのEPION3000というAPSカメラだ。デジタルカメラはまだ,私にとっては高嶺の花だったのだ。15話から30話あたりの時期である。この頃は,小学生のこうしろうがMindStorms RIS1.0でロボットを楽しそうに作っていた。何話続けていけるかなと不安たっぷりで始めたMindStorms日記を書き続けていくことができそうだと感じることができた時期だ。このAPSカメラはまだ,我が家に現存する。小さくて軽いので,たまに妻が使っている。

 MindStormsの標準開発環境に慣れたこうしろうは,次にC言語に似たNQCというプログラム言語でロボットのプログラムを作りはじめた。こうしろうが本格的なプログラミングを始めたころ,父は初めてのデジタルカメラを買った。ソニーのデジタルカメラだった。しかし,この初代デジタルカメラはもう我が家にはない。手にあもりのないこうしろうが落として,LCD(液晶ディスプレイ)を割ってしまったのだ(富山弁解説 手にあもりのない:手にストッパが付いていない状態とでもいうか,手からなんでも落としてしまうことを手にあもりないと言う)。50話から60話あたりの画像が初代のデジタルカメラで撮った画像だろう。

 MindStormsの仲間も増えた。次男かずがDROID DEVELOPER KIT(ドロイド・デベロッパーキット)で今また人気を集めているスターウォーズのR2D2を作ったのは67話である。かずはこの頃,小学4年生だった。他にも「かずのリモコン」と呼んでいたリモコンが含まれているUltimate Accessory Set(32話)やROBO SPORTS(42話),それからレゴカムというPCカメラが中心部品であるVISION COMMAND(114話),はてはRISの新バージョンMindStormRIS2.0も買った。こうしろうやかずの誕生日ごとにMindStormsの新メンバーが増えていったわけだ。そしてサンタクロースも,我が家をレゴだらけした犯人の一人だ。

 VISION COMMANDやROBO SPORT,RIS2.0で主にロボットを作ったのはかずだった。3歳違いの兄にライバル心を燃やしたのか,兄のしていないことばかりにチャレンジした。

 これが2台目のデジタルカメラである。2代目もソニーだ。このカメラは今も使っている。たとえば,193話の画像もこのカメラで撮影したものだ。  70話から90話ぐらいまでは,こうしろうが経済産業省の基本情報処理技術者試験に向けて,2進数やアルゴリズム,C言語,データベース,ネットワーク,・・・と広く浅く情報技術を勉強した時期である。とは言っても,『節約』が座右の銘のこうしろうは最小の努力で,スレスレの点数で試験に合格した。当時13歳の基本情報処理技術者は最年少タイであった。当時と付けたのは翌年に12歳で合格した人がいるのだ。

 この6年の間に,我が家のメインパソコンも3台入れ替わった。46話でこうしろうと自作したアスロンCPUのパソコンは,102話でお陀仏になった。次に買ったEPSON Endeavorは今も使い続けている。最近では,かなりロースペックに感じるこのパソコンの主な利用者は中学2年になったかずである。

 こうしろうは高校に合格したときに,Lavie G タイプJ(PC-LG10FJHGF)というモバイルPCを手に入れた(154話)。スポンサーは祖母だった。196話に書いたように,このパソコンはハードディスクが壊れ,一度交換している。
 何かをよく壊すということは,良いように考えるとそれだけ活動的であるということの証なのかもしれない。

 このデジタルカメラ,RICOH CaplioRXがこうしろうのファーストデジタルカメラである。このカメラを選択した理由は,我が家にある一眼レフのカメラ(ニコンU)と広角側の焦点距離が同じで28mmだったからだ。デジタルカメラで試し撮りしてから,ニコンUで撮影するという使い方を考えたようだ。しかし,買ってから3月後にまた落として壊してしまった。今は大きいボイスレコーダーとしての余生を送っている。

 現在,こうしろうが使っているデジカメはSANYOのXactiである。カメラのキタムラの中古販売サイトで12,000円で入手したらしい。だから,色がピンクなのだろうか。

 さて,読者のみなさんは,ここではじめてデジカメという言葉を使ったことに気が付かれたでしょうか。デジカメは三洋電機の登録商標なのである。だから他社はデジタルスチルカメラやデジタルカメラという言い方をしなければならないのだ。このことを筆者に教えてくれたのは日経ソフトウエアの初代編集長だった柳田さんだ。98話)で和装のライター吉田育代さんと一緒に写っている赤いシャツを着た人である。現在の編集長は2代目の真島さんである。

 三洋電機は各メーカーにOEM供給しているので,デジカメという登録商標の使用にあまりうるさくないらしい。大規模な人員削減でニュースになっている三洋電機だが,デジカメをはじめとした技術力は高いのでこれからもがんばってほしい。とエールを送ったので,これ以降はデジカメという言葉を使わせてもらおう。

 デジカメで写真のおもしろさに触れた我が一家は,前述した一眼レフカメラ ニコンUを購入し,カメラ片手に外出してはパシャパシャとシャッターを切った。かずが夏休みの宿題を楽にこなそうと撮った写真はあるロータリークラブの写真展で入賞し(177話),高校で写真部に入ったこうしろうは県の高校文化祭で入選し,この夏,青森で開かれる全国高等学校総合文化祭に出品した。

 こうしろうが菜の花畑を歩くほのちゃんを撮影した一枚である。写真を出すだけなのに,なぜか本人も現在青森に行っている。かずも今,高岡市のジュニア親善大使として,姉妹都市であるブラジルサンパウロ州ミランドポリス市に行っている。2代目のソニーのデジカメでメモリースティック128MB分の思い出を撮ってくるはずだ。

 父は特に写真で賞を取ったり,どこか派遣されたりするようなことはない。ほのの写真を撮って楽しむのが関の山である。ちなみに日経ソフトウエア誌の筆者紹介の写真は,こうしろうが撮っている。

 プログラム言語の話しに進もう。この200話の中で何種類のプログラム言語に触れたのか。かずからいこう。MindStormsのRIS1.0標準開発環境,RIS2.0標準開発環境。Excel VBAでカレンダーの作成も自動化した(168話)。Hot Soup Processor(略称HSP)で魚雷船ゲームも作ってみた(156話)。MindStorms日記の数少ない主張のひとつはゲームで遊ぶよりも,ゲームを作るほうが楽しいぞというクリエイティブなおもしろさを伝えることである。それから,TiCollaはRoboDesignerというロボット開発キットで使うプログラミング言語だ(170話)。はじめてのハンダ付けもした(172話)。パッシブセンサーに赤外線発光ダイオード(LED)を取り付けると,アクティブセンサーになることも学んだ。やってみることが真の理解を得る最良の方法だと実感できた。
 ActiveBasicで3Dでもやるかと誘ってみたが,これは長続きしなかった。ブラジル・ポルトガル語も私と一緒にCDを聴いて少しだけ勉強した(195話)。

 長男こうしろうに一眼レフを取り上げられ,次男かずにデジカメを取り上げられた父は,とうとう一眼レフのデジカメを買った。

 憧れのニコンの眼デジである。電車男風に書くと「キターーーーーーーーーーーーーーー。」という感じだ。zero-port という(地元のカメラ屋さんのオンラインショップ(http://www.zero-port.com/)でD50レンズキットが9万円を切っていたので,衝動買いした。ニコンUと同時に購入した望遠レンズがマウントできるところがうれしい。

 しかし,こうしろうにさっそく「高校野球の写真撮るのに持ってって,いいけ?」と言われてしまい,「落とすなよ」としぶしぶ渡した。心配なので,急いでカメラ保険を掛けることにした。

 こうしろうはMindStormsのRIS1.0標準開発環境から始め,次はNQC。思えばこの頃が一番,週末のMindstormsタイムに家族が熱中していた。次のC 言語では,ポインタやアドレスのイメージを作るのに,こうしろうは苦しんだはずだ。MindStorms用のJavaVMであるLejOSでRCXのファームウェアを書き換えJavaのプログラミングにも挑戦した(92話)。  Flash MXのActionScriptでシューティングゲームも作成した(122話)。ボーランド社が太っ腹にも無料でダウンロード可能にしているDelphi 6 Personal版では,ブラウザを作ってみた(166話)。PHPでWebアプリ開発に必要な知識や考え方にも触れてみた(188話)。

 動きのあるおもしろい,子供が興味を持ちそうなものから,実用的なもの少しずつ移行してきている。現在はEclipse でJavaを勉強している(198話)。オブジェクト指向が少しわかりはじめてきたところである。最近は一緒に新しいものを勉強していこうという姿勢になっている。

 16歳と44歳が一緒に勉強すると,集中力VS知識,新しいことを吸収する速さVS経験が綱引きをしたり,補完し合ったりしておもしろい。この日記が,筆者が新しいことを勉強するきっかけにもなっている。200回は,まだまだ旅の途中である。