山添 祥則

 松下幸之助を支えた右腕エンジニア・中尾哲二郎氏の存在はあまり知られていない。松下電器を世界企業にした幸之助のベスト・パートナー――それが中尾だった。

 中尾はどんな男だったのか。中尾が持つ技術哲学。部下である技術者たちのマネジメント。その暖かい人間性。中尾が遺したエピソードは、ものづくりの対象がハードからソフトへと広がった今でも、数多くの示唆を含んでいる。中尾と接した人々が今もなお心に残すエピソードを読み解く。

中尾哲二郎

第一部:人間味溢れたエンジニア

第一回:スーパーアイロンで飛び立つ――出生から1927年まで 
第二回:安全なコタツ、高品質なラジオ――1929年から1936年まで 
第三回:軍を驚かせたラジオ、4倍の仕事で立ち上げた電池――1937年から1953年まで 
第四回:炊飯器とカラーテレビを支えた技術の長――1954年から1967年まで 
第五回:死の間際まで技術者魂忘れず――1971年から晩年1981年まで 

第二部:魂を磨いたエンジニア

第一回:「モノがこうしてくれ、と語りかけてくる」 
第二回:モノから教わった中尾、「手を使え、市場に聞け」と説く 
第三回:矛盾を乗り越えた中尾、その発想法を説く 
第四回:優れた人格の中尾、巧まずして部下の士気を鼓舞 
第五回:石油ストーブに生きる中尾の技術伝承 

第三部:今なお愛されるエンジニア

座談会:幸之助と中尾をMOT的に考える(前編) 
座談会:幸之助と中尾をMOT的に考える(後編) 
座談会:技術者中尾の「人」を語る(前編) 
座談会:技術者中尾の「人」を語る(後編) 
結び:中尾精神は不透明な時代にこそ生きる 

山添 祥則(やまぞえ よしのり)
1970年松下電器産業入社。中央研究所やAVC社(現パナソニックAVCネットワーク社)商品開発研究所で研究開発や技術企画を担当後、1997年に組み込みソフト開発会社の松下AVCマルチメディアソフトを創業し代表取締役社長。2007年12月松下電器を定年退職。現在は大阪大学大学院・特任教授、帝塚山学院大学・非常勤講師を務める。