Aを採るか、それともBを採るか。技術者が商品開発に当たって常に頭を悩ます命題がトレードオフである。本来目指すべきは、技術を駆使して相矛盾するAとBを同時に獲得するという姿である。

 「相矛盾することを同時に解決する」。

 この命題に競合他社に先んじて挑戦し、乗り越えてきたのが中尾だった。幸之助からは二律背反のターゲットを次々と繰り出された。アイロンの開発では「他社商品より3割安く、性能は他社を凌駕すること」、電気コタツでは「他社の半値で安全なこと」、ラジオでは「故障せず安価なこと」。中尾がラジオ「当選号」の後継機である「R-48」の開発に成功しヒットさせると、すかさず幸之助は「一年以内に品質を落とさず半値の商品を」と提示し、中尾に息つく暇も与えなかった。

 松下電器の揺籃期から戦後にかけて中尾が支えた乾電池・テレビ・洗濯機・冷蔵庫・VTRといった主力商品の商品開発。この歴史をたどりつつ、イノベーションを成した中尾の発想法や成功の秘訣を探ってみよう。

「問題は原理原則で、物理常識で解決できるものが多い」-皮相的な理論や情報だけでは問題は解決できない-

 中尾は生涯で199件の特許・新案を取得したが、そのうち約40%が商品化されている。中尾が昭和初期に発明した「渦巻き型のサーモスタット」と「センタータッチ方式の電熱機構」のアイデア自体は極めてシンプルだったが発明価値は非常に高く、電気コタツや炊飯器の高い市場競争力の決め手となった。特に渦巻き型はサーモスタット設計の標準として、電気工学を学ぶ者の必携書である『電気工学ハンドブック』(電気学会)に長く掲載された。

図3●サーモスタット設計の標準になったサーモスタットの構造
図3●サーモスタット設計の標準になったサーモスタットの構造(実用新案出願公告6711号より)
バイメタル11の伸縮により、素早く接点を切り替える。これにより火花の発生を抑えたことが特徴だ
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 昭和初期の電気コタツが抱えていた最大の問題点は、火災に対する安全性が低いことだった。その後サーモスタットを装着することで安全性は向上したが、接点の融着や電波障害の発生など、新たな問題を露呈することにもなった。

 電気コタツを開発するに当たり、中尾はまずサーモスタットの特許を綿密に調査した。だが他社に重要な部分が取得されている「がんじがらめ」の状態で、一時は自社開発を諦め、他社の特許を買うことまで考えたほどだった。しかし、何とか独創的なものができないかと思い、中尾はサーモスタットの原理に立ち戻って一から考え直した。

 中尾は小さなスペースで大きな力が見込める構造として、「渦巻きにする」というアイデアを考えだした(第一部第二回「安全なコタツ、高品質なラジオ」を参照)。このアイデアにより、松下電器の電気コタツは家電業界で不動のものとなり、同業他社からもサーモスタットの引き合いが絶えなかった(図3)。

「アイデアは出なくなるまで出せ」-とらわれず、幅広いものの見方ができてこそ-

 松下電器が中央研究所で初めて燃焼機器の開発に着手したころのことである。後に関係会社の工場長を務めた谷本茂は、この開発プロジェクトで中尾から多くのことを教わった。

 中尾が谷本らに説いた開発の進め方とは次のようなものである。

開発の狙いを明確にせよ。
アイデアは出なくなるまで出せ。
出したアイデアは一枚づつ紙面に表記せよ。
それを評価して二、三案に絞れ。
それを試作し実験して実際に確かめよ。
その結果から更に課題を展開して行け。

 部下たちに中尾が提示した商品開発の進め方は簡潔で具体的かつ実践的である。谷本は「全てが心に残るものだった」と述懐している。

 中尾の発想法を知識科学という学問分野で定義するならば、発散・収束を組み合わせた「統合技法」に分類される。統合技法は様々なアプローチがあるが、中尾のそれが非常に特徴的なのは、アイデア創出段階でアナロジー(類似)を巧みに適用する点である。

 この発想法を中尾から直に学んだのは、ビデオテープレコーダー(VTR)の開発に携わり、後に映像グループ開発企画室長を務めた菅谷汎、「中尾の秘蔵っ子」である(菅谷についての関連記事)。コンパクト・カセットの本体に抗磁力の異なるテープを見分けるための検出穴を設け、穴のありなしでスイッチを切り替えてバイアスを変える。菅谷は磁気テープについてこのような技術を開発し、特許を取得した。カセットに入った8ミリフィルムはカセットに開けられた穴によってASAを感知し露出を変更している。これをヒントに、磁気テープに応用したものだった。

 簡単なものであったが、製品化に当たっての効果は大きかった。後に菅谷はこの特許をてこに海外メーカーの有力特許とクロスライセンス契約を結ぶことに成功した。