中尾哲二郎が備えていた重要なコンピテンシー(思考行動特性)の一つは、「人格による統率」である。巧まずして部下の士気を鼓舞したその人間味は、明に暗にと松下電器のモノづくりを支え続けた。松下幸之助をして「中尾に反感を持つ人は誤った人」とまで言わせた中尾の人格力はどんなものか。個人の才能を引き出し、チームの結束を促した中尾の「統率の妙味」を探ってみよう。

人格力から生まれた中尾のリーダーシップ

 1967(昭和42)年、中尾は松下電器の副社長に就任した。丹羽正治(元松下電工社長・会長)は副社長就任を祝うべく駆けつけた。

「中尾さん、今回は副社長におなりあそばしておめでとうございます」
「ええ、だけど僕には不向きでねえ。おわかりでしょう」
「そうおっしゃられたら、正直なところ。でも今日はお祝いを申し上げようと思って」
「そりゃどうもありがとう」

 ほのぼのとした会話の中に物静かで温和な中尾の人間性が感じられる。

 その反面、技術については相手がたとえ創業者の松下幸之助であろうと、自分の信念を曲げたり放棄したりすることはなかった。

 このような中尾の人間性に、松下幸之助は全幅の信頼を置いた。1969(昭和44)年の経営方針発表会で幸之助は次のように述べている。「(中尾は)非常に優れた技術力を持っている反面それに勝るような人格の力と申しますか、そういうものを持っています。そうでありますから、社内におきましても社外におきましても中尾副社長に反感を持つ人は一人もおりません。反感を持つ人がいればそれは誤った人です。私はそのように信頼しているのであります」。

 力でない、人格による中尾のリーダーシップは、どのように実践されたのか。

「部下指導に一番大切なことは心のつながりだ」-山下俊彦(元松下電器社長)との心の交流-

 「山下跳び」。1977(昭和52)年、山下俊彦がいわゆる「平取」から松下電器の社長に抜擢されたことについて、社内ではこう言われた。山下は1981(昭和56)年に行われた中尾の社葬で葬儀委員長を務めた。その山下にとって、中尾は個人的にも得がたい先師であり理想の上司でもあった。

写真3:真空管「ソラ」(FM2A05A)
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 戦争末期の1944(昭和19)年、山下は電球事業部を改称した真空工業所で真空管開発を率いる若手リーダーだった。山下が手掛けたのは「FM2A05A」という航空無線用五極管、通称「ソラ」と言われ、極めて製造の難しい代物だった(写真3)。特にステムという内部電極のリード線を外部に引き出す部分が難物で、この機械が不調になるたびに山下は中尾に応援を仰いだ。

 中尾は工場に到着するなり上着を脱ぎすて、機械に潜り込んだ。刻々と時間が経ち、深夜の作業が夜明けになることもあった。ある日、「おいビールでも飲みに行こうか」と中尾が山下に声をかけた。二人はビール配給券を握って十三(大阪の地名)の薄汚れたビアホールに立ち、戦時服のままささやかに乾杯し語り合った。

 そんなときに、合理的な山下の性格を見越して中尾が言い聞かせたのが「心のつながり」だった。自らの手を動かして部下を助け、死力を尽くした部下をねぎらう。折々で的確なアドバイスを与える。このような中尾の姿を通じて、山下はリーダーのあり方を学んでいった。

 社葬の際、「ご自分にはずいぶんと厳しい方でしたが、人には包み込むような温かい愛情を注ぎ親身になってご指導くださいました。」と弔辞を述べた山下には、十三のビアホールでのひと時が胸をよぎっていたに違いない。