前回からの続き)

山添:さて、中尾さんは昭和初期のアイロン、コタツ、ラジオから戦後の乾電池、テレビ、VTRと一貫して松下の主力商品の開発をリードされてきましたが、その開発姿勢・態度についてどうお感じですか。

小野:今から約40年前、私は製品開発研究所で新型アイロンを開発していたんですが、その最中、テストで使った現行品にベース面からの水漏れとスチーム不安定という問題を見つけ、新製品開発の途中経過と併せて報告したんです。中尾さんからは、「即座に開発を中断せよ、二項目の解析と改善が先だ」と明快に指示されたことが印象に残っています。

 それから、中尾さんはものすごくカンがいいんですわ。経験の積み重ねから来るんでしょう。若いころから自分で図面描いて、材料を見極めて、部品は自分でつくって、というところから来るカンですね。

山添:カンといえば、中尾さんの書かれたものの中にも、「身を粉にして熱心に取り組んでいると、そこに新しいアイデアが浮かぶ」とか「研究所の人間はカンが働かなければだめ」などとあります。

写真1●小野が中尾からもらった製図器械
写真1●小野が中尾からもらった製図器械
[画像のクリックで拡大表示]

朝倉:それと中尾さんは基本的にオーソドックスですね。まず本を調べて理解する。それはもう熱心に、多忙なスケジュールの合間を縫ってよく読まれました。

山添:予備知識を持った上で、関係する技術者との討議に臨まれるのでしょうね。技術情報部の責任者の方からも、「毎朝届ける新聞記事の切り抜きを克明に読まれ、関心のあるものは関係技術者を呼んで状況把握に努められていた」と聞いています。

小野:これは中尾さんからいただいた製図器ですが(写真1)、アメリカで買ってこられたのはないでしょうか。道具は一流を揃える、そして大切にされます。

写真2●中尾が興味を持った松本所有の腕時計
[画像のクリックで拡大表示]

松本:昭和49年ころでしたがある朝、買ったばかりのこの時計(写真2)をしていったら、「あんたええ時計しているな。ちょっと見せて」と言われて。外してからつい「つぶされるのなら弁償してくださいよ」って言いました。ベルトに興味を持たれたみたいですわ。三日ほど持っておられたでしょうか。

朝倉:接続のところなんか、どういう風に止めているのか興味あったでしょうね。

松本:何しろ、朝会社に着いた途端にですからね。びっくりしました。買ったばかりやし、「つぶさんといて下さいよ」と言うのが精一杯。

山添:知的好奇心のとても強い方ですよね。その模様が目に浮かびます。

西田:報告に行くでしょう。「お前の報告はさっぱりわからん。専門用語使うな。原理原則を言ってくれ」と来るんだ。これには困った。 石油ストーブが問題になったとき、「西田君、石油はどうして燃えるんだ?」って言われてね。専門用語使うと叱られるし困りました。そこで、「石油ランプですわ」と言ったんです。

 翌日中尾さんの部屋に行くと石油ランプが置いてある。そこで、気化温度、燃焼温度、空気量を計算した資料を渡して、「芯のところと燃えるところの隙間があるでしょう」。「見えないなあ」。「そう、見えないところが重要なんです。芯であっためられたガスが空気と混じって適当になった時に燃えるんです。その時の気化温度は、燃焼温度は…」と説明した。そうしたら「わかった」と。

朝倉:基本はオーソドックスなんですね。原理原則を大事にすると同時に、いつでも問題意識を持っておられましたね、寝食を忘れるくらいに。高橋荒太郎さん(元会長)が、「問題意識を持ったら半分解決したと同じ」と言われたが、それと同じですね。

山添:アイデアや特許に関する思い出はありますか?

小野:ハイパー乾電池を完成させたときに、「小野君、特許を全部おさえているだろうな」と言われました。「他社の手が触れないくらいチェックせよ」と。それで僕もよく特許を書きましたよ。基本から周辺へと広げてね。他社の目で見たら…という感じで。

朝倉:今日のいわゆる特許戦略や特許マップですね。その時代にね。