IP電話は「電話」か,それとも「インターネットのアプリケーション」なのか――。

 米国で禅問答のようなやり取りが白熱している。昨年の夏から始まった議論は次第にエスカレート。「電話」だという州政府当局と「インターネットのアプリケーション」だというIP電話事業者との間で裁判にまで発展した。

 米国では,州政府が州内の電話サービスを規制する権限を持っており,IP電話に神経を尖らせている(関連記事)。最終的には米国全体の通信行政を司る連邦通信委員会(FCC)が昨年12月1日に討論会を開き,論争の整理に乗り出した(関連記事)。

 討論会を前にFCCのマイケル・パウエル委員長が「100年間続いた電話は極めて重要な岐路にある」とのコメントを発表(ちなみに,彼はコリン・パウエル国務長官の息子。インターネットや技術が大好きだという)。12月1日の討論会には,機器ベンダーのシスコ・システムズ,CATV大手のタイム・ワーナー・ケーブル,IP系の回線事業者であるレベル3コミュニケーションズやITXC,IP電話のベンチャー企業,そしてカリフォルニア州やフロリダ州――などの幹部が次々と登壇した。

 なぜ米国はここまで熱くなるのか。筆者は自宅でIP電話を使っているが,“米国のIP電話事情”を理解するのに半月ほどを要してしまった。あまりにも日本と違いすぎるのである。そこで,「IP電話の未来に大変なことが起こっているのです」と編集長を説得し米国に飛び,日経コミュニケーションの1月26日号で,「IP電話に規制は必要か」という特集を組んだ。

 規制議論の行方や当事者の主張はこの特集を参照していただきたいが,ここでは取材から分かった米国のIP電話事情について紹介したい。

米国事情その1:普及率はコンマ以下

 議論は盛り上がっているものの,実は米国のIP電話は固定電話の0.07%しか普及していない。米国の家庭向け固定電話の回線数は昨年6月時点で約1億3870万。

 家庭向けIP電話の最大手Vonage Holdingsのルイス・ホルダー上級副社長によると「当社のユーザー数は約7万5000。IP電話全体でも10万程度」だと言う。日本の家庭向けIP電話は約400万回線。普及率はおよそ1割で,米国より100倍以上普及している。ちなみに「米国でIP電話が流行らない理由」は日経コミュニケーションの1月12日号で報告したが,一言で言うとCATV電話が普及していること,固定電話が定額制であることが大きい。

米国事情その2:電話番号割り当てがいい加減

 電話番号割り当てポリシーは,日本とまったく異なる。IP電話でも携帯電話と同様に固定電話と同じ番号が使える(関連記事)。日本のように固定電話と同じ番号を割り当てるならば「5カ条をクリアせよ」といった規制はない(注1)。IP電話の端末は,ダイヤルアップでも無線でもどんなつなぎ方でもいい。さらに地域も関係ない。西海岸のサンフランシスコ市にいるユーザーが,東海岸のニューヨーク市の電話番号を自分のIP電話に割り当ててもいいのだ。

注1:5カ条とは,総務省が定めた「場所の固定」「品質の確保」「アクセス回線の自社提供」「緊急通報の実現」「番号計画の提出」である。

 IP電話事業者が,電話番号を持っている全米各地の地域電話会社から番号を分けてもらうことが可能なため,このようなことになっている。また,事業者によっては,固定電話や携帯電話からIP電話に番号を移す,ポータビリティのサービスも提供している(携帯から移す人はほとんどいないだろうが…)。

米国事情その3:どこでも移動可能

 米国のIP電話はユーザーからの発信トラフィックをインターネットを使ってセンター側に集める(注2)。日本のようにIP電話事業者が自社でADSLやFTTHのアクセス回線を手がけていない。IP電話のアダプタをインターネットにつなげば,世界中どこでも使えてしまうのである。また,「その2」で説明したように,IP電話に固定電話と同じ番号を割り当てることができる。

注2:日本では,こうしたインターネット経由のサービスを「インターネット電話」と呼び,IP電話と区別することもあった(関連記事)。より正確には,インターネット経由のインターネット電話よりも,アクセス回線を提供する事業者による電話サービスの方が品質が良いということを鮮明にするためにIP電話という名前を使ったといえるだろう。この定義からすると,米国のサービスはIP電話ではなくインターネット電話と呼ぶことになる。

 米国内だけでなく,日本に引っ越してきても,同じ番号でIP電話を使い続けることができるのだ。日本から米国の番号にかけたが,日本で隣の人のIP電話に着信する,といったことが起こり得る(注3)。米国のIP電話事業者の中には南米やアフリカのユーザーをメインのターゲットにしているところすらある。

注3:Vonage社の場合,日本にかけても1分当たりおよそ6.36円(6セント)。また,ソフトバンクBBのBBフォンから米国のIP電話や固定電話にかけても,1分2.5円。ユーザーの居場所はほとんど関係がない。

米国事情その4:固定電話へも定額

 米国では固定電話の市内通話が基本料の範囲でかけ放題である。IP電話でも固定電話のような定額プランが存在する。例えば,Vonage社のIP電話料金は月24.99ドルで米国とカナダのどこでも500分,市内がかけ放題。さらに月10ドルを追加することで米国とカナダのどこでもかけ放題となる。

 なぜ,かけ放題の料金設定が可能になるかというと,IP電話事業者は長距離電話会社が地域電話会社に支払う電話の着信接続料を免除されているからだ(関連記事)。地域の電話会社同士が接続する際の,よりお得な接続料相当の料金が適用されるという(注4)。IP電話が“電話”ではなく“インターネット”として扱われているためだ。

注4:そもそも,IP電話事業者は地域電話会社に接続料を直接支払っていない。IP電話事業者のセンター側でITXCなどIP電話の中継事業者にトラフィックを渡し,料金を支払って終わりにしている。米Verizon Communicationsなど米国の地域電話事業者はこの点に不満を抱く。

 このように米国のIP電話は日本のものとは似て非なるものだ。米国のIP電話が“インターネット出身”であることが,大きく関係している。冒頭で述べた論争も,米国ではIP電話が電子メールと同等のインターネットの1つのアプリケーションとして扱われているため起こったものだ。

 ではIP電話が“ほぼ電話”として扱われている日本では,米国のように議論する必要はないのか。そうとも言い切れない。IP電話が普及する日本ならではの問題が,ちらちらと見え始めている。なかでも筆者は,IP電話のデバイド問題が大きいと感じている。最後にこれを指摘しておきたい。

日本の事情:忍び寄る“不公平”

 IP電話を使うにはインターネットの常時接続回線がインフラとして必要。しかしインターネットの常時接続を使えないというユーザーはまだまだ多い。正確な統計はないが,最もカバー・エリアの広いADSLサービスである東西NTTのフレッツ・ADSLを例に考えてみる。フレッツ・ADSLの普及率は昨年11月でおよそ95%(同サービスを利用できる回線数/東西NTT全体の回線数)。

 これは裏返すと5%がフレッツ・ADSLを利用できないということ。5%といっても約250万回線にあたる。距離による信号の減衰などの問題で,利用できない回線はさらに多い。人口にして数百万人がインターネットの常時接続,そしてIP電話を利用できないというのは紛れもない事実である。

 これだけではない。固定電話が大幅に値上げされる可能性も出てきている。

 詳しい論拠は日経コミュニケーション1月26日号を参照していただきたいが,NTTの和田紀夫社長が昨年5月の決算発表で発言した「今後3年間で音声関連の収入が1兆円減る」をもとに本誌はシミュレーションを試みた。その結果,3年後にはユーザーが支払う電話料金が3分8.5円から12円程度まで値上がりするという結果が出た。

 つまり,インターネットの常時接続が使えないユーザーにとっては,「お得な料金のIP電話を使えない」というばかりではなく,「IP電話のあおりを受け,固定電話の料金が値上げされる」という2重の不利益が襲おうとしている。

 IP電話のひずみが目前に迫るなか日経コミュニケーションは来月2月9日号から「忍び寄るデジタル・デバイドの陰」と題した連載を始める。3回連続で「ブロードバンド」「IP電話」「携帯電話」のそれぞれが「どこまで普及すべきか」について取り上げる。もう待ったなしといえる。

(市嶋 洋平=日経コミュニケーション編集)