JR東日本の「Suica」や愛・地球博の入場券など,身近なところで続々と使われ始めている無線ICタグや非接触ICカードだが,近々使い勝手がぐっと良くなりそうだ。というのも,これまで国内では使えなかった新しいタイプの無線ICタグの実用化が決まったのである。

 「実用化」と言うのは簡単だが,実はこれ,相当すごいこと。新しいタイプの無線ICタグを実用化するために,総務省は6兆円もの価値があると言われる電波を無線ICタグ用に割り当てたのである。

 無線ICタグの性能は,無線ICタグと無線ICタグに入れたデータを読み取るリーダーの通信にどの周波数帯を使うかで全然違う。ごく近距離の通信を得意とする13.56MHz帯に対して,今回無線ICタグへの割り当てが決まったUHF帯は,条件によっては5メートル以上の通信が可能。13.56MHz帯とは全く違う使い方ができるようになる。

 UHF帯は,通信可能な距離が長くエリアも広い。使い勝手がすごくいい電波だ。欧州で実施された周波数オークションの値段から考えると,1MHzで1兆円もの価値があるとも言われる。前述の「6兆円の価値」というのは,6MHz幅を無線ICタグに割り当てたことから算出したものだ。

“6兆円分”の電波を無線ICタグに割り当てた衝撃

 UHF帯を無線ICタグに割り当てるまでの道のりは,たやすいものではなかった。ただでさえ日本の電波は空きがない状況だ。ましてや使い勝手のいいUHF帯に,無線ICタグが使える電波はなかった。だが2003年3月末に,KDDIがPDC方式の携帯電話サービスを停止。無線ICタグにとっては千載一遇のチャンスが訪れた。

 無線ICタグに期待する産業界からの猛プッシュもあって,総務省は2004年8月に実用化を検討する研究会を開始した(関連記事)。だが議論は,推進派と慎重派の意見が真っ向からぶつかる展開となる(関連記事)。ここでいう推進派とは無線ICタグ実用化に賭けるメーカーや業界団体。慎重派はNTTドコモを代表とする携帯電話事業者だ。

 無線ICタグに割り当てた950M~956MHz帯の両側の周波数帯は,NTTドコモが携帯電話サービスで使っている。無線ICタグと携帯電話の間で干渉が起き,携帯電話の音が途切れるといった問題が発生する可能性が出てきたのだ。携帯電話事業者側は,「既に数千万の利用者がいるサービスに影響が出ることは絶対に避けるべき」と主張。無線ICタグが普及し,膨大な数が出回れば想像を超える影響が出るかもしれないと不安をあらわにした。

 干渉問題だけではない。UHF帯は暗に“携帯電話用”の周波数と言われてきた経緯がある。今回無線ICタグに割り当てた分も,もともとはKDDIが携帯電話サービスに使っていたところ。6兆円分とも言われる電波を,海の物とも山の物とも分からないUHF帯無線ICタグに割り当てることに,携帯電話事業者が心理的な抵抗感を感じるのも仕方ないことだ。

議論に与えられた時間はたったの4カ月

 結果としては,推進派と慎重派が歩み寄る形で無線ICタグの実用化が決まった。総務省は3月23日に,UHF帯を使う無線ICタグの実用化を認める方針を公式に発表している(関連記事)。

 驚くべきことに,研究会開始から結論を見いだすまでの期間はたったの4カ月。当初から総務省が掲げていた目標の期日は2005年3月。総務省内での手続きなどの時間を考慮すると,2004年内には実質的な結論を出さざるを得なかったのである。

 研究会の事務局を務めた総務省移動通信課の中谷純之・システム開発係長は,研究会開始当初に「議論を4カ月で収束できるとは思えない。でもやるしかない」と苦しい胸中を語っている。また,研究会に携わったメンバーからも「時間切れで実用化できないのではないか」という不安の声が漏れていた。

 こうした状況のなか,わずか4カ月で相反する両者に歩み寄らせ,実用化の突破口を開いたのは,研究会の主体として難しいさい配を進めた総務省と,産業界の声をまとめあげた経済産業省の若手官僚たちだった。

経済産業省と総務省の若手が突破口を開いた

 経済産業省と総務省といえば,情報通信をめぐって長らく対立してきた過去を持つ。UHF帯無線ICタグは両省が手を取って,短期間での実用化を実現した画期的な事例といってもいいかもしれない。
 
 経済産業省も総務省も,2.3年前からUHF帯無線ICタグの検討を進めてきた。だが当初の動きは“いつも通り”バラバラ。総務省中谷係長と並ぶ立て役者の一人,経済産業省情報経済課の山崎剛係長は,「2003年ごろは実証実験の免許取得をめぐって,総務省の担当者と激しい議論をした」と苦笑いした。

 だが,状況は徐々に変化していく。UHF帯無線ICタグの研究会開催前に,両省の若手官僚たちを結びつけた出来事があったのだ。その一つが,2004年6月に経済産業省と総務省が発表した,無線ICタグのプライバシー・ガイドラインである(関連記事)。

 これは両省にとって,初めての共同発表となった。経済産業省と総務省は2004年3月に,それぞれ無線ICタグのプライバシー・ガイドラインを発表していた。近いタイミングで似た内容の二つのガイドラインが出ることに違和感を感じた両省の幹部が,ガイドラインの統一を決めたというのが真相のようだ。

 結果としては,経済産業省が発表していたガイドラインをベースに,総務省の意向を反映した形になっている。ガイドラインの具体的な内容は,経済産業省の山崎係長と,総務省の若手,技術政策課研究推進室の石川英寛・研究推進係長が詰めた。山崎係長は「ガイドライン統一のために,膝詰めで話をするうちに連帯感が生まれた」と当時を振り返る。

 ガイドラインだけではない。「e-Japan重点計画-2004」の策定作業でも,UHF帯無線ICタグの記述をめぐって,両省の若手官僚たちは議論を重ねた。総務省の中谷係長は,「経済産業省から産業界の生の声を聞けくことができたし,総務省の見解を産業省に伝えてもらうこともできた」と両省の間でスムーズなやり取りがあったことを打ち明けた。産業界からの生の声が,電波行政を担う若手官僚の気持ちを動かしたのかもしれない。

 UHF帯無線ICタグと同じように,電波の新たな割り当てが実用化を決めるテーマには,電力線通信やUWB(ultra wideband)などがある。いずれも推進派と慎重派が対抗する構図になっており,双方の間で経済産業省と総務省が渡り合うことになる。UHF帯無線ICタグのような現場の連携を再び期待したい。

(山根 小雪=日経コミュニケーション)