「ニワトリが先か,卵が先か」。ビジネスが転がり始める前によく使われるフレーズだ。IPv6の場合は,アプリケーションとインフラのことを指すと言って良いだろう。利用者のニーズにかなったアプリケーションがないうちにインフラに投資はできない。いやいや,インフラがないからアプリケーション開発に踏み切れないのだ――。

 IPv6のプロトコル自体はほぼ完成しており,各種ネットワーク機器への実装は進んでいるのだが,なかなかビジネスとして立ち上がらない。そんなIPv6の周囲では,ニワトリ/卵論争が続いていた。しかし,堂々巡りの論争からいよいよ抜け出せるときが来たのではないかと筆者はみる。IPv6のアプリケーション開発を下支えし,ビジネスが動き始める可能性を持った卵=インフラが姿を現したからだ。

 その卵とは,NTTコミュニケーションズが2月13日に発表した「m2m-x」である。2月16日に開催された「IPv6ビジネスサミット2004」では,m2m-xとともに,それを用いたサービス,機器のデモンストレーションを10社が行っていた。

 m2m-xとは何か。なぜ,m2m-xがIPv6の卵になると筆者は考えるのか。m2m-xでNTTコミュニケーションズは何を狙っているのかを考えてみよう。

認証機能付きのネットワーク

 m2m-xは,ネット家電をプラグ&プレイするためのプロトコル(通信手順)である。だが,その機能を備えたネットワークそのものを指して使う場合もあるようだ。

 m2m-xの「m」は「モノ」。P2Pではなく,モノからモノへということを示す。そして最後の「x」はxDSLのxのように,anyの意味。anything,anywhere,anytimeだという。つまり,「モノからモノへ,なんでも,どこでも,いつでも」というのがm2m-xに込められた意味だ。

 m2m-xが実現するのは,ある機器をネットワークにつないだら,それが認証された上で,認証された他の機器と1対1通信が可能になるという世界である。例えば,自宅にあるエアコンを出先から操作するシステムを作った際に,自宅のエアコンを他人に操作されたくはない。また自分の操作ミスで間違った家庭のエアコンにつながってしまうのも問題だ。そこで認証が必要となる。

 IPv6で採用したIPsec[用語解説]を用いると,その認証メカニズムにより,なりすましを防いで,暗号化したセキュアな通信を実現できる。だがIPsecでは,相手を認証する手段にいくつかのオプションがある。企業内ネットワークであれば,ネットワーク管理者がオプションの中から適したものを選んで,パスワードとともに機器に設定をすればよい。ところが家電ではそうもいかない。一般の利用者に小難しい設定をさせるわけにはいかない。

 そこで,m2m-xでは,IPsecのオプションを決め打ちした上で,NTTコミュニケーションズが認証局となって認証機能を提供する。これによってなりすましを防ぎ,セキュアな通信を実現する。

IP電話が通れば,m2m-xも通る

 m2m-xのもう1つの特徴は,IP電話で使われているプロトコルSIPを用いる点である。もともとSIPはIP電話に限った用途のプロトコルではない。Session Initiation Protocolというフルスペルが示す通り,セッションを開始するためのプロトコルである。

 m2m-xは認証サーバーへの接続,他の機器への接続にSIPを用いる。先日,日経ソリューションビジネスの木村副編集長が記者の眼で書いた“次世代SIP網”が具体化したものといえる。SIPによって,課金管理も可能になる。

 もう1つの重要なメリットはNAT/ファイアウオール越えである。現在の家庭や企業のネットワーク環境を考えると,NAT/ファイアウオールを通過することは避けて通れない。NAT/ファイアウオールは双方向通信する際の障壁になるからである。

 IPv6になるからといって,なんらかのゲートウエイ機器を経由しないで,直接,家庭内や企業内のネットワークに接続できるようになるとは考えにくい。IPv4のときのようにプライベートIPアドレス/グローバルIPアドレスの変換を行わなくても,パケットのフィルタリング機能を担う機器は残るだろう。そこでSIPが通るかが問題となる。

 家庭では,ブロードバンド・ルーターの内側からSIPを用いたパソコン・ベースのソフトフォンやインスタント・メッセンジャを通すためには,ルーターに穴を開ける必要がある。そこではユニバーサル・プラグ&プレイと呼ぶ技術によって,機器側からルーターを制御する仕組みが実装されつつある。

 企業ネットワークでもIP電話のために,社内ネットワークとインターネットを結ぶための専用バイパスを作ろうという動きがある。これらができると,IP電話と同じSIPを使うシステムは,どことでも通信できるようになる。

足りなかったのは認証サービスだった

 このようなm2m-xであるが,どうしてIPv6の“卵”になると筆者は注目しているのか。これまでもIPv6の接続機能を提供するサービスは複数のインターネット接続事業者が商用として提供している。これがIPv6のインフラ=卵になると思っていたが,ビジネスは立ち上がらなかった。

 m2m-xが出てきて,10社のデモを見て,IPv6の接続サービスだけではビジネスを始めるためのインフラとしては足りなかったことに気がついた。自動化された認証機能があることによって手軽に使える製品が出てきそうだ。

 例えば,玩具メーカーのタカラは,「IP糸テレフォン」と呼ぶ,1対1専用のIP電話機を開発中である。2台セットで販売して,それぞれをネットワークに接続する。受話器を上げるだけで,もう一方の電話機にかかる。認証機能があるので,相手側の電話機以外から電話がかかってくることを防げる。子供でも手軽に使えるおもちゃとして,今年中に2台セットで1万円以下での販売を目指す。

 IPv6の接続サービスだけではIPv4と変わりがない。IPv6のメリットをビジネスに結びつけるには,「安心して接続できる認証サービス」もインフラとして必要だったのである。そして,次に述べるように,NTTコミュニケーションズは,m2m-xを共通インフラとするために着々と手を打ってきている。

ネット家電でのベリサインを目指す

 NTTコミュニケーションズはm2m-xによって,何を目指しているのだろうか。それは認証サービスによる継続的な収入である。長距離電話による通話料は減っていくが,多くの人がネットを使えば使うほど,認証のニーズは高まり,m2m-xの収入は増えていくはずだ。

 m2m-xの事業構造は図1のようなものと考えられる。認証サービス以外はみんなオープンにする。NTTコミュニケーションズはインターネット接続サービスとして「OCN」,ブロードバンド回線として子会社のアッカ・ネットワークのADSLサービスがある。だが,それにこだわらず,オープンにすることによって,他社の参入をうながす。なんといっても,だれでも使えるようになっていないと家電メーカーが乗ってくれない。

  図1●m2m-xの事業構造 各階層をオープンにして業界標準を目指す。NTTコミュニケーションズは認証サービスを収益源にする m2m-xの事業構造

 このために同社が主導して,ユビキタス・オープン・プラットフォーム・フォーラム(UOPF)を2月10日に設立した。これはIPv6を使ってネット家電の相互接続を進める業界団体だという。

 最初にこのニュースを知ったとき,筆者は設立の意図に疑問を感じた。「NonPCインターネットコンソーシアム」という業界団体が2003年末からネット家電のIPv6実証実験を行っているからだ(関連記事)。何も似たようなことを似たようなメンバーでやらなくてもいいではないか。

 だが,UOPF発表の3日後に,NTTコミュニケーションズがm2m-xを発表したことによって,UOPFの狙いがはっきりした。UOPF設立を主導したのはNTTコミュニケーションズ。UOPFでネット家電接続の標準方式としてm2m-xを提案するのだという。m2m-xを1人,NTTコミュニケーションズが提唱しても,メーカーやISPなどがついてこないと広まらない。そこで中立的な組織を作ることによって,業界標準化を進めようという戦術である。

 NonPCインターネットコンソーシアムは松下電器産業,三洋電機ソフトウエア,東芝情報システム,ドリーム・トレイン・インターネットの4社が2002年5月に設立した団体。あとから加わったNTTコミュニケーションズは主導権を取れる立場ではなかったのだろう。UOPFでは,オブザーバーとして総務省総合通信基盤局電気通信事業部データ通信課を招いた。これはUOPFが業界標準のお墨付きを得るための布石と取れる。m2m-xの技術だけで突っ走ろうというのではなく,政治力も駆使して着々と手を打ってきたことがうかがえる。

 共通の基盤があれば,メーカー,通信事業者,アプリケーション・サービス提供者がそれぞれビジネスを回すことができる。それによってNTTコミュニケーションズも認証による収入を得られる。Win-Winの関係となるわけで,ビジネスの好循環が回り始める。

 パソコンの世界では,SSLによる暗号通信を行うためにベリサインの電子証明書が必要となる。サーバーの電子証明書は1年期限で,使い続けるためには毎年更新しなくてはならない。継続的な収入が見込めるというわけである。しかも,今のところライバルはいない,独占的な立場である。

 NTTコミュニケーションズはネット家電でベリサインと同様の位置を狙おうとしているのだろう。ネット家電が売れれば売れるほど,ASPが使われれば使われるほど,NTTコミュニケーションズは認証サービスによる収入が増えるというわけである。

目論見は成功するか

 果たして,こうしたNTTコミュニケーションズの戦略は成功するだろうか。

 まず,ネット家電のインフラとしてm2m-xの代替となるものは,今のところ見あたらない。ひょっとする明日にでも,どこかの企業が提唱するかもしれない。新たな方式が出てくると,ベータ方式とVHS方式でビデオ・メーカーが開発競争を繰り広げたような事態になるかもしれない。ちなみに,家電界の両雄,ソニーと松下電器産業はともにUOPFに参加している。

 NTTグループの対抗勢力が,どのような行動を取ってくるか。KDDIはUOPFに参加している。KDDIは以前からIPv6を研究している企業の1つだが,固定通信を子会社に分離するかもしれないという状況(関連記事)では,対抗できないかもしれない。

 すると残る有力プレーヤーはソフトバンク・グループである。回線からアプリケーション・サービスまで垂直統合型で提供しているソフトバンク・グループは,前述のモデルとは相容れない可能性がある。ソフトバンク・グループは,IP電話特許という“爆弾”も抱えている(関連記事)。ソフトバンク・グループがどう動くかで,NTTコミュニケーションズのシナリオは変わってくるかもしれない。

 筆者には,現段階でネット家電のインフラ競争が必要なのか,判断が付かない。共通のインフラに乗っかり,その上のビジネスで競争すればよい,という考え方もあるだろうし,逆に,インフラ技術を今の段階で固定してしまうのは早すぎる,各社が競争してよりよいインフラ作りをすべき,という考え方もあるだろう。だが,インフラがまとまらない間は,その上でのビジネスは大きく発展しない可能性がある。

 読者の皆さんはどのようにお考えだろうか。ご意見をコメント欄でお寄せいただければと思う。

(和田 英一=IT Pro)