日本流の行き届いたおもてなしで満足してもらいたい――。だがその前にまず超えなくてはいけないハードルがある。言葉の壁、ネット環境の不備、免税手続きの手間などの不便を解消することだ。自動翻訳やプリペイドSIM、書類作成ソフトが解決策となる。

 東京のショッピングの“聖地”として、訪日観光客が押し寄せる三越銀座店。全売り上げに占める外国人客の購入額の割合は実に25%に上る。三越伊勢丹グループ全体では、外国人観光客からの売り上げが700億円に迫る。

 百貨店ならではの上質な商品やおもてなしを訪日観光客にも提供すべく、免税カウンターの拡充や、中国語や英語などが堪能なスタッフが出迎える「外国語対応アテンダントカウンター」の設置を進めてきた。2015年10月の全館改装では、海外顧客サービスセンターを新設したり、2016年1月には空港型市中免税店「Japan Duty Free GINZA」を開業させたりして、旅ナカ対応を着々と進める。

接客現場で正確に翻訳

 店舗での旅ナカ対応はこれだけでは十分ではない。「お客様自身が商品をじっくり検討できるよう、今後は、お買場(売り場)での情報提供を積極的に進めていく」。三越伊勢丹ホールディングス営業本部マーケティング戦略部顧客政策担当インバウンド推進の瓦林恭子部長は、こう話す。

 従来は各売り場に中国語や英語などで書かれた商品説明シートを用意し、接客時に活用してきた。2015年9月にはウィーチャットを使った情報提供をスタート。三越銀座店では、スマホをシェイクした顧客に店舗情報を伝える仕組みを作った。

 さらに2015年12月には、凸版印刷と共同で「マルチランゲージセンター」を設立。免税に関する案内などの店内掲示や、パンフレットなどの翻訳を支援する(図5)。「従来は店舗や部署ごとに翻訳作業をしていたが、『外国語表記の統一が不十分』、『フロアや催し物の名称が伝わりにくい』といった課題があった」(瓦林部長)。

図5 多言語管理データベースで最適訳文を自動検索
パンフレットやPOPを翻訳したい店舗ニーズに即応
図5 多言語管理データベースで最適訳文を自動検索
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 マルチランゲージセンターでは、グループ各社がこれまでパンフレットなどに掲載していた文章の外国語訳のデータを、多言語データベースに分類・蓄積。凸版印刷が情報通信研究機構(東京都小金井市)と共同開発した翻訳支援クラウド「SupporTra」も利用する。

 各店舗や部門の担当者が翻訳したい原文をSupporTraに入力すると、対訳文や用語集をデータベースと自動照合し最適な訳文を自動選択して、翻訳者をサポート。さらにセンターで人が最終チェックして精度を高める。

「なめろう」を外国語で説明

 言葉の壁は、外食産業にとっても悩みのタネ。グルメ情報サイト運営のぐるなびは、日本語のメニューを英語、中国語(繁体字、簡体字)、韓国語へと自動変換するシステムを開発。2015年1月から加盟店に提供している。2016年1月には機能を強化し、単品だけでなく複数の料理から成るコースメニューの変換も可能にした。2月末時点で1万店が利用している(図6)。

図6 ぐるなびのメニュー自動変換システム
外国人に分かりやすい言い回しへ
図6 ぐるなびのメニュー自動変換システム
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 例えば、「(焼き肉の)ざぶとん」「豚の角煮」「鮮魚のなめろう」など、単語を辞書で調べてもピンとこない料理も、それぞれ「chuck flap」「simmered pork belly」「chopped fish seasoned with miso」と翻訳される。インバウンド事業を担当するぐるなびグローバルグループの久富謙介氏は、「外国人が自然に理解できる言い回しにするよう気を配った」と話す。例えば「ひるぜん焼きそば」も「下町風やきそば」も、メニューの英語表記は「Yakisoba noodles」。食材や調理法、日本語の発音を併記する。「まずはどんな料理であるかイメージできるようにして、付随情報で内容を補っている」(同)。

 同システムの基盤となるのが、ぐるなびが20年かけて蓄積した、900万件におよぶメニューのデータだ。同じメニューでも店によって修飾語が違ったり、表記が独特だったりするものを整理して、2500種に絞り込んだ。

 飲食店の担当者が管理画面からそれぞれのメニューを入力すると、対応するメニューが自動的に表示される。タブレット端末などで外国語版のメニュー画面をそのまま客に見せたり、画面を印刷したりして接客に使う。以前はぐるなびの担当者らが一つずつメニューを翻訳していた。1店舗当たり数万円の費用と1カ月程度の時間がかかっていた。

 外国人との対話をリアルタイムで翻訳するシステムも登場している。NTTドコモは2016年3月に、横須賀市と組んでタブレットを使った翻訳システムの実証実験を始めた。同社が2017年初めの商用化に向けて開発中の、業務用翻訳システムを利用する(図7)。

図7 NTTドコモが開発中の、クラウドを使った翻訳システム
その町に最適な翻訳を
図7 NTTドコモが開発中の、クラウドを使った翻訳システム
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横須賀名物「スカジャン」も翻訳

 市内商店街の店舗にタブレットを配布。店員と客がタブレットを挟んで向き合い、日本語や英語で話すと内容を翻訳して訳文を画面に表示する。

 最大の売り物は、「地域や業種ごとに単語辞書を整備して、精度の高い翻訳を実現する」(NTTドコモの森永康夫 第1サービス開発担当 担当課長)ことだ。同社が運営するクラウド上に、辞書データベースや翻訳システムを構築。地名や特産物、専門用語などの辞書を地域や業種ごとに設けて、利用する企業や自治体が選べるようにする。

 横須賀市の場合、当地を代表するファッションである「スカジャン」などの単語も、不明語にならず正しく英語で表記される。「英語に不慣れな店員も含め、商店街を挙げて訪日観光客を迎えるにはITの活用が不可欠と考えている」(横須賀市の新野勉 経済部商工・市街地振興課課長補佐)。

免税手続き時間を4分の1に

 言葉の壁と並び、訪日観光客にとって旅ナカのネックとなるのがネット接続手段の確保だ。情報検索やSNSへのアップを頻繁に行う訪日観光客の人気を集めているのが、プリペイド型のSIM。企業向けにプリペイドSIMを卸しているフリービットは、2015年2月から中国を中心とした訪日観光客向けの販売を強化してきた。年間の販売枚数は以前の10倍となる22万枚に増えた。利用実績も伸びており、同社が販売したプリペイドSIMが利用する通信帯域は1年で6倍超に増えたという。

 「今後はより付加価値を高めた提案に力を入れる」(芦沢賢一MVNE事業部副事業部長)。例えば化粧品の試供品と一緒にプリペイドSIMを配布。パッケージにQRコードを印字しておき、スマホのカメラで撮影するとキャンペーンWebサイトへアクセスして通信料金を割り引く、といった施策を検討中だ。既に化粧品や健康食品のメーカーに協業を打診している。

 訪日観光客にとって煩わしい免税手続きもITで効率化が進む。手書きで免税書類を作成するなどの手間が必要だったが、これを簡略化・自動化するシステムが登場している。

 「インバウンド対応のハードルだった免税手続きの課題を解決できた」。こう語るのは、ハードロックカフェ大阪店(大阪市中央区)のスーパーバイザーを務める冨吉晃氏だ。以前から訪日観光客が多かったが、さらなるインバウンド事業の強化に向けて2015年4月に免税対応を開始。店内で販売するバッジやTシャツを対象に自動処理システムを導入した(図8)。

図8 免税手続きシステムの概要
待ち時間を大幅短縮
図8 免税手続きシステムの概要
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 開発したのはバーコード読み取り機器大手のサトー。パスポートの読み取り装置や、文字の自動認識と書類作成ソフト、書類印字用のプリンターなどで、手作業なら10分ほどかかる処理を、1~2分に短縮できる。

 導入効果はてきめん。外国人客の客単価は約2割伸びたという。毎日20~30件の免税手続きをこなしており、「もはや手書きでの対応は非現実的」(冨吉氏)と感じている。