10月3日,通信ベンチャーの平成電電が民事再生法の適用を申請。法の下で再建を目指すこととなった(関連記事)。

 1985年の通信の完全自由化で固定電話の競争が始まってから20年。この節目の年に,固定電話会社が破綻した。

 20年前の通信の自由化では,京セラ系の第二電電(DDI)や国鉄系の日本テレコム,道路公団系の日本高速通信の新電電3社がほぼ同時に参入。NTTと新電電が市外電話の熾烈な値下げ競争に突入し,電話料金が下がっていった。東京-大阪間の電話料金は当時3分400円。これが現在は5分の1まで下がった。

第2ステージに電話で参入した平成電電

 平成電電が参入してきたのは通信自由化の「第2ステージ」だった。

 99年から2000年にかけて,東京めたりっく通信やイー・アクセスといった通信ベンチャーがADSLを開始。その後,2001年6月には東京めたりっく通信が破綻したが,ソフトバンク・グループが買収し救済。同グループはその直後にADSLの「Yahoo! BB」を引っさげ,通信業界への“再上陸”を果たした。

 前後して平成電電は2001年4月に通信事業の許可を受け,年末にマイラインの固定電話を始めた。第2ステージはADSLというブロードバンドの波であったのに,なぜか平成電電は固定電話で切り込んできたのだ。

 平成電電が固定電話で参入してきた最大の理由は,市場が大きいと踏んだからだろう。全国の固定電話はおよそ6000万回線。このうち2%のシェアを取れば,100万回線を超える。1回線当たり月80円の利益でも,年間で約10億円にも積み上がるのだ。

固定電話で利益を上げるための秘策

 これを進めるべく,いくつかの秘策を打った。

 その一つが固定電話から携帯電話への通話,いわゆる「固定発携帯」の料金設定権。従来,携帯電話の側にあったが,これを固定電話の側に移すことを主張し始めた。平成電電は固定電話に参入する2001年から交渉していたが,携帯電話会社は首を縦に振らなかった。このため2002年にはこの問題を総務省と公正取引委員会へ持ち込んで訴えた。

 最終的には総務省が平成電電の主張が支持され,同社や他の固定電話会社が固定発携帯のサービに乗り出した(関連記事)。

 そして2003年7月。二つめの秘策として直収電話サービスの「CHOKKA」(当時のサービス名は平成電話)へと乗り出した。これが最終的には同社の運命を左右することとなった。

 直収電話は電話会社が東西NTTからメタル線を借り上げ。そして,自社の電話回線としてユーザーに提供する。回線を提供する側に回るため,ユーザーから通話料金だけでなく基本料金まで徴収することが可能となった。相手の電話番号を表示する「ナンバーディスプレー」などの付加サービスもこれに含まれる。

 また,詳しくは割愛させていただくが,電話料金の原価である接続料でも,固定電話の会社に有利となる仕組みだった。このため,全国一律で3分6.8円や1分3円,CHOKKAのユーザー同士でかけ放題といったプランを用意できた。

 直収電話への参入は,制度の変わり目をうまく感じとったことによる。ベンチャーのイー・アクセスが総務省にNTTのメタル回線料金の矛盾を指摘。これが認められたのを見て,すぐさまに取り組んだのだった(関連記事)。

 そして三つめの秘策が設備の調達方法。

 平成電電は資本関係を持たない「平成電電設備」や「平成電電システム」が一般投資家から年10%の利率で資金を調達。両社が設備を購入して,平成電電へとリースしていた。その額は実に490億円。CHOKKAのような直収電話は“うまみ”が多い代わりに,自社で莫大な設備を打つ必要がある。これがマイラインとの違いだ。膨大な初期投資を,こうした方法で軽くしていたのだ。

逆風が吹き始めた固定系

 平成電電はこうした制度や金融手法を駆使し,ブロードバンド全盛時代に固定電話で利益を上げることを目指した。しかし固定電話をとりまく状況は平成電電の見通しよりも早く,しかも急激に変わっていった。

 2002年末,ソフトバンクBBがYahoo! BBにIP電話を標準装備。電話をADSLの“おまけ”にしてしまった。通話料金も全国一律で3分7.5円と,CHOKKAの同6.8円との差もほとんどなくなった。現在,450万以上のユーザーが利用している。

 そして,2004年夏には,KDDIやソフトバンク・グループとなった日本テレコムが直収電話に相次ぎ参入。大資本で積極的な広告やセールスを展開した。さらにNTTコミュニケーションズが直収への“刺客”として送り込んだ格安のマイライン「プラチナライン」にユーザーが飛びついている(関連記事)。なんとNTTコムのマイライン契約が1年で300万以上増えるのが確実な情勢だ。。

 こうしてCHOKKAは採算ラインとして掲げていた100万回線には届かず,約2年間で集めたユーザーは15万回線に留まった。100万回線分を確保したNTT局舎においた機器のスペース賃貸料金やバックボーンの光ファイバ回線料金など設備の維持コストだけがかさんでいったと見られる。リース元への支払いも苦しくなった(注1)

注1:投資組合の運用実態は,その中身をうかがい知ることはできない。ただ平成電電の破綻によって,リースの多くを占める一般投資家の資産は大きく減る可能性が高い。投資家の数は約1万9000人と極めて多く,混乱の収拾には長い期間がかかりそうだ。

 追い討ちをかけるように,平成電電が35万ユーザーを抱えるマイラインの電話サービスも厳しくなった。原価となる接続料が上昇していったのだ。平成電電が切り開いた固定発携帯も一定の収入にはなったものの屋台骨を支えるものではないし,携帯同士の通話が増えている。

第3ステージ「携帯電話の新規参入」を前に・・・

 そして今,通信自由化の第3ステージの幕があがろうとしている。携帯電話の新規参入だ。

 携帯電話では,第1ステージで参入したKDDI,日本テレコムの流れをくむボーダフォンが待ち構え,第2ステージのソフトバンクやイー・アクセスが攻め込むべく準備中だ。アイピーモバイルも第3ステージから参入に名乗りを上げた。平成電電は第3ステージを飛び越し次のステージと言える無線ブロードバンドへの参入を計画していたが,ジャンプする前に力尽きた。

 通信自由化の元々の発想は,NTTの力を緩和し通信市場に競争を導入することだった。しかし,節目となる自由化20周年に,新規参入の固定電話会社が破綻し,大資本の東京電力でさえ法人向け固定通信会社パワードコムをKDDIに売却。通信事業から手を引いた。

 通信の自由化や規制緩和で参入の障壁は低くなった。一方で,行政の保護も弱まり退出も事実上自由だ(関連記事)。今回の平成電電のようなケースは特別な事ではなくなったと言える。

 筆者はユーザー保護のために平成電電を政府が手厚く保護する必要はないと考える。多くの読者もそうだろう。今後,平成電電がサービスを中止するようなことがあったら,ユーザーはサービスや電話番号の変更で大きな手間をこうむる。しかし現状は平成電電で契約した電話番号を,NTTの固定電話や携帯電話でそのまま移行させて利用することができない。実際,電力系やNTTドコモのPHSサービス中止で,ユーザーは070番号を捨てることになった。

 もはやそういう時代ではないだろう。通信の自由化を推し進めるのであれば,ユーザーの電話番号にもっと柔軟性を持たせるべきではないか。

(市嶋 洋平=日経コミュニケーション