「日本のブロードバンドはすごいね」・・・。昨年末に取材で訪れた英国で,繰り返し言われたのがこれ。褒められてうれしくなったのもつかの間,「だけど日本みたいにはなりたくないな」と必ず言われてしまう。

 英国が狙うのは,日本のブロードバンドの“おいしいとこ取り”。日本のブロードバンド事業者は果てしなく続く料金競争で疲弊気味。後続する英国は日本並み,もしくはそれ以上に普及させようとしているが,日本と同じビジネス・モデルは取りたくないということなのだ。

 では日本のブロードバンドは“失敗”なのだろうか?

 そんなことはない。日本のブロードバンドは世界でもトップ・レベル。スピードはADSL(asymmetric digital subscriber line)で最大50Mビット/秒。NTTグループが躍起になって進めているFTTH(fiber to the home)に至っては100Mビット/秒だ。実際に利用者が体感できるスピードとサービス品目にギャップがあることは置いたとしても,これだけのサービスが数千円で使えるのはすごいことだ。

 一方の英国は,言ってみれば“ブロードバンド後進国”。512kビット/秒のADSLがブロードバンド・サービスの主力だ。256kビット/秒のサービスをブロードバンドと呼んでいる事業者すらある。FTTHはほとんどないに等しい。サービス提供エリアも拡大し続けてはいるものの,日本には及ばない。

 渡英前から「ブロードバンドは日本よりも遅れてますから,仕事で使うつもりならお気をつけて」と言われていた。滞在中のホテルからADSLを使ってテレビ電話を試してみると,その映像は自宅でFTTHを使ったときとは違ってざらざら。改めて日本のブロードバンドのすごさを実感した。

電話線の貸し出しと事業者間の競争が普及の鍵

 日本でブロードバンドが今ほど広がったのは,総務省が世界に先立って東西NTTの電話線を他の事業者に貸し出すようにしたこと(アンバンドルと呼んでいる)と,事業者間の激しい競争のたまものだ。価格破壊を起こしたソフトバンクBBのADSLサービス「Yahoo! BB」の影響力は大きかった。いまだに“ソフトバンク嫌い”を自認する業界関係者は多いのはこのためだ。

 英国のADSLサービスは,英国のNTT的な存在のBTが,実に99%近いシェアを持っている。日本とは状況が多少違って,BTのサービスを多くの事業者が再販しているのだ。サービスの内容に差がないところで,料金競争だけをし烈に繰り広げている。

 英国通信業界の規制当局であるOfcom(Office of Communication)は,2000年からBTの電話線を他の事業者に貸し出すよう制度を変えた。これはソフトバンクなどの新興事業者を生み出し,ADSL普及を成功させた総務省の後追いだ。だが,電話線の利用料金が高かったことや,BTが他の事業者に妨害をしたために状況は変わらなかったと聞く。

 先進国の中でもブロードバンドの普及が遅れている状況を見たOfcomは,ブロードバンド普及にテコ入れを開始。電話線の貸し出し料金で約70%の大幅値下げなどを実施した。「BT以外の事業者が電話線を借りてサービス開発してくれれば,サービス内容も充実するし料金も下がる。メーカーなどにも今以上に金が落ちる」(Ofcomのコンペティション・ポリシー・ディレクター,ブロードバンドのアンドリュー・ハーネイ氏)ことを期待しているからだ。

 ようやく“英国版ソフトバンク”も登場の気配がしてきた。英ケーブル・アンド・ワイヤレス(C&W)が肝いりで買収したブロードバンド会社,ブルドッグ・コミュニケーションズだ。

「ビット単価を安くしたくない」

 ブルドッグはBTから電話線を借りてADSLとIP電話を提供中。C&Wが英国内に張り巡らせたネットワークを使って,着実にサービスを伸ばしている。だが,ソフトバンクのように破格の料金を付けるわけでも,ADSLモデムを街中で配るわけでもない。取材に応じたブルドッグのマーケティング・コミュニケーション部長のグレゴリー・ソープ氏は,「確かにソフトバンクはすごい。でもソフトバンク型のビジネスをやる気はない」と言い放った(関連記事)。

 ソフトバンク型とは,ロープライス,ローマージンなサービスのこと。節操なく続くスピード競争で,ビット単価(1ビット通信当たりにユーザーが支払う料金)を落とすのはまっぴらごめんというわけだ。

 BTのADSLサービスは512kビット/秒。対するブルドッグは,1Mビット/秒,2Mビット/秒,4Mビット/秒のサービスを揃える。英国内でブルドッグのサービスは,ヘビー・ユーザー向けの位置づけ。だが日本と比べると,とにかく遅い。

 英国の事業者が日本並みのスピードを提供できないわけではない。富士通の欧州子会社である富士通テレコミュニケーションズヨーロッパ(富士通ヨーロッパ)は,BTなどに電話局で電話線を収容する装置を納めている。海上重之社長によれば,追加の設備投資なしに「20Mビット/秒まですぐさまスピードを上げられる状態だ」。

 英国通信事情に詳しい情報通信総合研究所の神野新・政策研究グループシニアリサーチャーは「英国をはじめとする欧州諸国には,事業者にも国にもビット単価を安くしたくない思惑が見え隠れする」と分析。現実に世界各国を見渡しても「通信料金を安くしてアプリケーションでもうける」という成功モデルをはっきり示せた事業者がいない以上,ビット単価を安くすることはできない,ということなのだろう。

東西NTTもBTもブロードバンドが生命線

 激しいスピード競争と料金値下げで日本の事業者が疲弊しているのは事実かもしれない。「データ通信/電話/映像の3点セットがキラー・アプリ」とはよく聞く話だが,いまだに模索を続けている。だが日本のブロードバンドが失敗したとは全く思わない。日本の利用者はハイスピードのインターネット接続を安く使える。アプリケーションは事業者ではなくて利用者が生み出したっていいのだ。

 何だって一番最初に始めるにはパワーが必要だし,試行錯誤も当然だ。もちろん後追いの英国が,もうからないブロードバンドをやりたくないのも良く分かる。英国は今年夏には先進国で最高の99.6%にまで提供エリアを広げると宣言済み。99.6%は,人口が日本よりも点在する英国にとってかなり挑戦的な数字だ。日本型の“失敗”をせず,英国のブロードバンドが成功するのかは興味深い。

 さて今回の英国取材は,BTが2004年6月に打ち出した固定電話網のIP化計画「21世紀ネットワーク・プログラム」の全貌を明らかにするのが最大の目的。本誌の独自取材で明らかになったBTの大計画は,日経コミュニケーションの2005年1月15日号の特集に掲載した。

 英国は国家インフラの固定電話網を,世界で初めて捨てる国になる。BTよりも5カ月遅れて固定電話網のIP化を打ち出したNTTグループ(関連記事)の行く先を,一歩先に見せてくれるかもしれない。

(山根 小雪=日経コミュニケーション)