無線LANのインフラに音声を乗せて内線電話網を実現する「モバイル・セントレックス(注1)日経コミュニケーションで今一番ホットな話題だ。携帯電話で内線電話も使える,NTTドコモの無線LAN内蔵のFOMA端末「N900iL」もようやく発売され(関連記事),下地は整った。

 実際の導入企業はわずかだが,2005年にはいち早く大規模導入を決めた大阪ガスを皮切りに,導入企業は続々と登場する(関連記事1関連記事2関連記事3関連記事4)。

注1:「モバイル・セントレックス」という用語は,携帯電話機を内線電話として利用可能にする携帯電話事業者のサービス」を指すことも多いが,この記事での「モバイル・セントレックス」は,上記の“狭義のモバイル・セントレックス”に加え,携帯電話機能を持たない携帯型無線IP電話機による「無線IP電話」も含んでいる。両者には,この記事で主題とする無線LANの設計には差異がない。

 筆者は,12月15日号の特集で「無線IP電話ならではの設計方法」を探るため,既に導入済みの企業や,まさに今導入を進めている企業,構築を手掛けるシステム・インテグレータを取材した。すると,「セルを小さくし高通信速度帯を有効活用する」「自動チャネル割り当て機能はトラブルの元」「PCとは違うアドレス割り当てルール」など,同じ無線LANでもデータ通信時の設計とは異なる設計方法が次々と出てきた。

 中でもとても印象的だったのが「仕様が公開されていないから大変」というシステム・インテグレータのコメント。こうした声があまりにも多かったため,詳しく聞いてみた。すると「携帯型無線IP電話機のハンドオーバーのトリガー条件が分からないため,自社で検証するのが大変」という内容が大半だった。

ハンドオーバーのタイミングによって設計方法が変わる

 無線IP電話では,従来のデータ通信の設計では全くといっていいほど考る必要がなかった「歩きながら使う」という形態が当たり前である。歩きながら通話するには,無線のアクセス・ポイントを移りながら通話を継続させる「ハンドオーバー」が不可欠となる。

 このハンドオーバーを開始するきっかけとなるのが,携帯型無線IP電話に設定されたハンドオーバー・トリガー(ローミング・トリガーともいう)だ。例えば,歩きながら通話をしていて,電波の受信感度が一定の値を下回ったらハンドオーバーを開始するという場合,電波受信感度のある特定のしきい値がハンドオーバー・トリガーとなる。

 ただし,ハンドオーバー・トリガーのしきい値やアルゴリズムは,標準規格が存在しない。無線IP電話機ベンダーが独自に決めているのが現状だ。ハンドオーバー・トリガーが端末メーカーによって異なるとどうなるのか?

 無線IP電話では端末の特性に合わせた「セル」の設計が求められる。音切れせずにハンドオーバーをさせるためにはセルを一部重ねる必要があるが,その重なり具合が変わってくる。

 例えば,トリガーの条件がきつい端末,いわば“積極的に切り替わろうとする端末”を使う場合は,セルの重なり具合を大きくするのがよい。これに対して,トリガーの条件が緩い“元のアクセス・ポイントとの接続を保とうとする端末”を使う場合は,セルの重なり具合は小さくする。

 このように無線IP電話では,ハンドオーバー・トリガーに合わせたセル設計にしたり,逆にセル設計に合わせたハンドオーバー・トリガーの調整が必要になる。

仕様の完全公開は事実上日立電線だけ

 筆者は各メーカーのハンドオーバー・トリガーを誌面で公表することが重要だと考え,携帯型無線IP電話機メーカー数社に仕様の開示を求めた。だが,事実上仕様をほぼ完全に開示してもらえたのは,日立電線のWIP-5000だけだった。多くのベンダーは「開示できない」,あるいは「ごく一部しか開示できない」という回答だった。

 通常はこうした仕様の細部まで公開する必要はないかもしれないし,筆者としても必要がなければそこまでは求めない。だが,今回の場合は違う。システム・インテグレータさえも設計のために必要な情報として欲しているのである。にもかかわらず仕様が公開されないという現状は,やはりおかしいといわざるを得ない。こういう状態が続けば,今後のモバイル・セントレックスの普及の足かせになる恐れがある。

 無線IP電話は新しく登場した分野だけに,まだまだベンダーも模索中かもしれない。各社がいろいろ努力しているのに水を差したくないが,あえて苦言を呈したい。端末の仕様を開示しない姿勢はユーザーから見てもマイナス・イメージにしか写らない。積極的な情報開示を求めたい。

(小野 亮=日経コミュニケーション)