皆さんは2002年末に日本経済新聞の1面で報じられた記事を,まだ覚えておいでだろうか。「東京ガス,IP電話全面導入で通信費半分以下に」という見出しで始まる記事だ。全国約2万台の電話をIP電話に切り替え,年間10億円かかっていたITコストを半額の5億円にまで削減しようという内容である(関連記事)。

 この記事に,ITコストの高騰に悩んでいた経営者が飛び付いた。「当社もすぐにIP電話の導入検討を開始せよ!」。突然こういう指示が役員層から降って下りてきて,困惑した情報システム/ネットワーク担当者の方も多いはず。これを業界では「東ガス・ショック」と呼び,その余波はまだ続いている。

 東ガス・ショックが,IP電話やIPセントレックス(内線電話機能のアウトソーシングを指す場合が多い)の関心を一気に高めた功績は実に大きい。現在も着々と導入作業が進んでおり,今夏には80拠点のPBX(構内交換機)を一掃し,約2万台のIP電話機を導入する計画だ。IP電話に対する関心を高め,その有用性を示したパイオニアとして,ぜひ成功させてもらいたいと思う。

 しかしその前に,いくつかの誤解を解いておきたい。なぜなら少なくない方々が,いまだに「(東京ガスは)IP電話を導入したからこそコストを半減できた」と考えておられるからだ。仮に,IP電話やIPセントレックスが単なるコスト削減の一手法という狭い枠に閉じ込められてしまうとすれば,企業革新に至る格好のツールになるかもしれない新システムの芽を,事前に摘んでしまうことになりかねない。

IP電話のコスト削減寄与率は20%にすぎない

 そこで,東京ガスのコスト削減の中身を再考してみよう。これまでかかっていた年間10億円のコストの内訳は,拠点間の通信料(ATM網を利用)が5億円,ATM交換機やTDM(時分割多重装置)のリース代や維持費が1億5000万円,そしてPBXの運用コストと保守費が3億5000万円である。

 これがIP電話(IPセントレックス・サービス)導入後になると,通信サービス(広域イーサネットなど)の利用料とスイッチ類のレンタル費が2億5000万円,残りの2億5000万円がIPセントレックスの利用料やIP電話機のレンタル代である。

 もうお分かりだろうか。単純に言えば5億円の削減額のうち,IP電話導入による効果は約1億円,20%程度だ。他の80%は,高価だったWANを見直し,廉価な通信サービスに切り替えたことによるものである。決して「IP電話を導入したからこそコストを半減できた」わけではない。

 東京ガスは以前から,情報化に積極的な企業として知られてきた。東京ガスとコンサルティングを請け負ったNTTデータの見事な点は,これまで大企業のどこも手付かず(見逃し?)だった電話関連システムに着目し,ここにメスを入れたことに尽きる。同時に,コストの劇的削減を狙うなら,ネットワーク全体の再考が不可欠ということを知らしめた点にある。

「コスト削減」だけではあまりに寂しい

 企業にとって,コスト削減の重要性はあらためて言うまでもない。日経コミュニケーションが昨年,上場企業約800社に実施したアンケート調査でも,9割の企業がIP電話やIPセントレックスの検討・導入理由に「コスト削減効果」を挙げている(複数回答)。

 しかし,仮に目的が「これだけ」だとしたら,いかにも寂しい。実際に,この1年にIP電話の大量導入を明らかにした企業の多くは,コスト以外のメリットを前面に押し出し始めている。

 例えば,4万台という国内最大級のIP電話/IPセントレックスの導入を進めているUFJ銀行は「電話関連コストの削減が第一の目的ではない」(システム企画部の村林聡部長)と断言。「音声をIP化することで他のアプリケーションと連携させ,業務効率を高めることが最重要」とする(関連記事)。

 具体的に同行は現在,外回りの行員が携帯電話で社内のIP電話機に必要な情報を吹き込んでおくと,コンピュータ側で音声を識別して自動的に日報が仕上がっているというアプリケーションを開発中だ。外回りから戻り,数時間もかけて日報を作成する作業がなくなれば,それだけ効率的な営業活動が図れるだろう。もっとも,500拠点のPBXの撤去などにより,通信料で年間9億円,運用コストで同1億円を削減するというカッチリとしたコスト計算もしているが。

 2003年8月に,1200台のIP電話を導入したコニカミノルタホールディングスも,同様の考えを持つ(関連記事)。同社の新谷恭将常務執行役は「コスト削減ばかり考えていては,米国企業には勝てない。例えば長い案件を伝えたいときに,文章にするより音声をメールの添付ファイルで送ったほうがずっと短時間で済む。生産性を上げなければ,市場から取り残されてしまう」と話す。同社の主力事業である複写機分野はスキャナやプリンタとの融合が進んでいるが,IP電話の活用で新たな応用分野の開拓にも期待している。

 もう一つ,ユニークな例を挙げよう。IP「携帯」電話機の1500台導入に踏み切った豊田通商(トヨタ系の総合商社)だ。同社は浜松支店を皮切りに,国内の主要5拠点に1500台もの「IP携帯電話」を導入する。IP携帯電話の導入事例としては,国内最大だろう。

 通常,IP電話機を導入しようとする企業は,PBXの償却が済んだ拠点から徐々に電話機をIP化していく。だが豊田通商はPBXの使用をやめ,IP電話機をすっとばして,いきなりIP携帯電話の大量導入を図った。「どこでも電話」をキーワードに,個人対個人のコミュニケーションを実現するのが目的だという。このためには,PBXが提供する「グループ電話機能」は,むしろ邪魔と見たわけだ。

「企業革新のほんの入り口に過ぎない」

 もちろん,「企業革新」や「業務革新」が,一朝一夕に出来るはずはない。IPソフトフォン(パソコン上で稼働するIP電話アプリケーション)を1000台導入した三菱商事の狙いは「個人レベルの顧客対応力の向上」である。「企業体企業の関係では,相当以前からSCM(サプライチェーン・マネジメント)などを通じて取り組んできた。だがこれからは,社員一人ひとりが“組織の知恵”を共有できるようでないと,個人レベルの顧客対応力はアップしない」(三菱商事の新機能事業グループCIO,溝口直人新機能事業戦略室長)とする。

 だが同時に「たかだか1000台のIP電話を入れたからといって,すぐにそれが可能になるとは微塵(みじん)も考えていない。これを皮切りに全社規模で導入を図り,中期的にワーク・スタイルを変革していく結果として初めて顧客対応力の向上が図れる」(同)と冷静だ。つまり,社員全員が目的意識を持って取り組まないと,「IP電話を導入しました。以上。」という結果になりかねない。常々いわれるように,システムの効果を引き出すのは,やはり「個人の意識変革と使いこなし」にかかってくるのだ。IP電話システムも,その例に漏れない。

 日経コミュニケーションでは現在,数多くのIP電話/IPセントレックスの事例を収集し,分析している。今後,紙面でドンドン紹介していくが,あまりにもユニークな事例が多いので,東京,名古屋,大阪の3都市でセミナーを打つことにした。タイトルは「“次世代IP電話システム”の全貌――先進ユーザーが語る『コスト削減』と『増力化』の両立手法」。興味のある方は,ぜひご参加いただきたい。

(宮嵜 清志=日経コミュニケーション編集長)