国内唯一のPHS事業者であるウィルコムが2010年2月に経営破綻し,東京地裁に会社更生法の適用を申請した。負債総額は2060億円であり,通信事業者の経営破綻としては過去最大となる。同社は現在,企業再生支援機構による支援を申し込んでいるところであり,近日中にも支援の可否が決まる見込みだ。

 2月18日の会社更生法の申請にともなう記者会見で,同社の久保田幸雄社長は「XGPへの投資が負担だった」と経営破綻に至った理由を説明した(関連記事)。

 通信事業は設備産業であり,技術の世代交代時には移行のために多額の資金が必要になる。ウィルコムは携帯電話との競争が激化する中,いち早く広帯域システムに移行する必要があった。しかし当初描いていた現行PHSからの収益でXGPへの投資を賄うプランは,競争の激化で見直しを迫られた。

 そうした中,金融危機の影響などもあり2009年9月には金融機関によるリファイナンスに難航。返済期限の延長などを求めて,私的整理手法の1つである事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きの申請に至った。

 この事業再生ADRの申請がウィルコムの経営危機を広く知らしめることになり,顧客離れを呼んだ。「その結果,ADRによる自主再建が難しくなった」(久保田社長)。そのため会社更生法の適用の申請に至ったわけだ。

 ウィルコムの経営破綻は携帯電話事業者との競争で追い込まれたゆえの宿命だったのか。過去に日経コミュニケーションで紹介してきたウィルコム幹部の発言を引用しつつ振り返ってみたい。

音声定額,スマートフォンなど時代を先取りして生き抜いてきたが…

 ウィルコムと携帯電話の競争は今に始まったことではない。DDIポケット時代の2000年前後から携帯電話との競争が激化し,音声端末は純減を続けるなど長期低迷を続けていた。

 その時期から10年近くも同社が競争を生き抜いてきたのは,携帯電話事業者に先立って新たなニーズを掘り起こすサービスを投入してきたからにほかならない。

 まずは2001年6月に開始したデータ定額サービス。これによって法人向けのデータ通信市場を開拓し,音声端末の純減を補い,DDIポケット時代の屋台骨を支えていた。

 続いて2005年のウィルコムへの社名変更と時を同じくして開始した,月額2900円の音声定額サービスである。このサービスによってウィルコムは音声端末が5年振りに純増に転じ,新たな主力サービスとなっていく。2006年には日本初のスマートフォンといえる「W-ZERO3」を市場に投入し,スマートフォン市場も開拓する。

 2007年1月15日号の日経コミュニケーションのインタビューで同社の喜久川 政樹社長(当時)は,「利用時間数などの条件付きであれば,携帯電話事業者も定額サービスを提供できるだろう。だが,数百万人といった単位で定額制を実現しようとすれば,技術的なハードルはかなり高い。また,技術的にクリアしても,今度はビジネスモデルを組めるかという問題になる」と話し,携帯電話事業者のキャッチアップは難しいとの考えを示していた。

 ところがその直後,携帯電話事業者が相次いで定額サービスに乗り出す。まずはソフトバンクモバイルが2007年1月に月額980円という衝撃的な価格で音声定額サービス「ホワイトプラン」を開始する。さらに新規参入したイー・モバイルが2007年3月に下り3.6Mビット/秒のHSDPAでデータ定額サービスを開始する。ここに同社の誤算があった。

 ソフトバンクモバイルが音声定額を実現できたのは,割賦販売と組み合わせたビジネスモデルを考え出したから(関連記事)。イー・モバイルがデータ定額サービスを実現したのは,新規事業者であり帯域に余裕があった上に、HSDPAの技術によって段階的に広帯域化できる道が見えていたからだ。

 このように携帯電話事業者が“力わざ”で次第にキャッチアップしてくることで,ウィルコムの顧客の流出が繰り返される。その都度,ウィルコムの主要のユーザー層は移り変わってきたとみられる。

 定額サービスに代わってウィルコムの主要ユーザーとなっていたのはスマートフォンだが,それも2008年夏にソフトバンクモバイルから「iPhone」が発売されたことで,お株を奪われる形になる。2007年末には携帯電話事業者に先駆けて,固定-モバイル間の通話を定額化する内線ワンナンバー・サービス「W-VPN」(関連記事)を法人向けに開始するものの,大きな市場を切り開くには至っていない。

 システムの広帯域化以外に次の顧客層を見いだせなかったことが,ウィルコムの行き詰まりの一つの原因だろう。