最近のネットワーク技術の動きを整理すると,大きく三つの流れがあるように思います。

 第一は,TCP/IPへの移行です。かつて大手コンピュータ・ベンダーや国際標準化団体は,それぞれさまざまなプロトコル(通信手順)を作成し,実装や普及に努めていました。しかし,90年代半ばに火がついたインターネット・ブームを機に,「ネットワーク・プロトコルはIP(internet protocol)に統一しよう」という流れが生まれ,今や企業ネットだけでなく電話会社も“オールIP”が合い言葉になりつつあります。

 第二は,イーサネットの浸透です。イーサネットはオフィスや家庭など,建物の中という物理的に狭いエリア向けのネットワーク技術(LAN技術)として開発されましたが,光ファイバ・ネットワークの普及とLANスイッチの高度化によって,遠く離れた地点を結ぶネットワーク技術(WAN技術)としても利用されるようになりました。これにより,最近のネットワーク構成では,LANであれWANであれ,イーサネットとIPで賄えるようになっています。

 第三は,ワイヤレスの台頭です。代表例は携帯電話と公衆無線LANサービス。どちらも幹線部分には光ファイバ・ケーブルや銅線ケーブルを使いますが,ユーザーに近い部分では使い勝手に優れるワイヤレスを組み合わせています。

 TCP/IPやイーサネットの歴史にならうと,ワイヤレス分野でもWANとLANの両方で使える技術が求められるように思うのですが,今はまだその候補が名乗りを挙げている段階です。ただ,WAN技術は通信事業者向け設備に実装されることを前提に開発されるため,高価で立派なしくみになりがちなので,LAN分野での利用には向いていません。WANとLANに共通するワイヤレス技術が生まれるとすれば,それはきっと今の無線LAN技術をベースにしたものでしょう。

無線LANを一新する三つの技術

 そんなことを考えていたら,次世代無線LAN規格「IEEE802.11n」の草案(ドラフト)が承認されたというニュースが飛び込んできました。

 IEEE802.11nは,実効速度(実際にデータをやりとりしたときに達成される速度)で100Mビット/秒超を目指しています。現行の無線LAN規格IEEE802.11a/gの最大伝送速度は54Mビット/秒ですが,実効速度は最大でも25Mビット/秒程度です。つまり11n準拠の無線LANは,体感速度で現状の4倍以上速くなるわけです。

 ドラフトの承認が公表されるとすぐに,いくつもの無線LANチップベンダーがこの決定を支持する声明を発表しました。ドラフト準拠の無線LANチップセットのサンプル出荷を始めるところもあります。どうやら,今年は昨年以上に無線LAN製品の性能強化が活発になりそうです。

 もちろん,無線LANのポテンシャルを高めるのは高速化技術だけではありません。ここではもう二つ,無線LANに関連する重要技術を紹介することにしましょう。

 一つ目は,無線LAN向けのサービス品質制御技術「IEEE802.11e」です。

お気付きのように,無線LANの規格名称は「IEEE802.11」で始まります。これは,無線LAN技術の開発を担当している組織がIEEE802.11と呼ばれるチームだからです。

 サービス品質制御技術(一般にQoS;Quality of Service技術と呼ばれています)とは,扱うデータに優先度を付けて,優先度に応じて品質を切り替える技術です。ネットワークを設計するとき,本来ならどのデータも瞬時に遅延なく送信できるようにしたいところですが,ネットワークの速度が十分でない場合,すべての通信を同時に処理できないことがあります。このようなとき,あらかじめデータの種類(あるいはアプリケーション)ごとに優先度を付けておけば,優先度の高いデータを真っ先に送ることができます。

 サービス品質制御技術は有線のネットワークでも使われていますが,無線LANの方が重要度が高く,効果は大きくなります。なぜなら,無線LANがイーサネット(有線のLAN)よりずっと遅いからです。イーサネットと無線LANの実効速度の差は,カタログ値(最大伝送速度)以上です。無線LANは送信と受信を同時に実行できない上に,誰かがアクセス・ポイントを使っているときは通信できません。これに対してイーサネットは,送信と受信を同時にでき,ほかのコンピュータがLANスイッチと通信している間もLANスイッチとの間で通信できます。つまり,イーサネットに比べて無線LANでは何かと“待たされる”ことが多いわけです。

 このように制約の多い無線LAN環境で,たとえば,遅延などの影響を受けやすいIP電話の通話品質を高めようとすると,どうしてもサービス品質制御技術が必要になってきます。無線IP電話の通話品質を確保したい場面では,「IEEE802.11e」がキーワードとなることでしょう。

 もう一つの重要技術は,無線LANのセキュリティを高める基盤技術「IEEE802.1X」です。

「あれ?無線LAN関連だから802.11Xではないの?」と思われたかもしれませんが,このセキュリティ技術は無線/有線を問わない規格なので802.11チームではなく,802.1チームが作りました。

 802.1Xは,社内ネットワークへの不正アクセスを阻止する場面で広く使われている技術です。社内ネットワークにアクセスする際にID/パスワードなどを入力させて正規のユーザーかどうかを確認し,正規ユーザーであると確認したときだけLANスイッチの中継機能を働かせるという用途で1Xは使われています。ただ,ここで紹介したいのは,無線LANの暗号化強度を大幅に引き上げる用途で1Xを活用する方法です。

 現状の無線LANで暗号通信する場合,アクセス・ポイントと同じ暗号化キーを端末に設定します。このため複数のユーザーで同じアクセス・ポイントを利用する場合,暗号化キーは秘密にできません。となると,家庭やオフィスでの利用はまだしも,公衆無線LANサービスのように見知らぬユーザーが同じアクセス・ポイントを一緒に使うサービスではセキュリティ面での不安がぬぐえません。

 ここに802.1Xの技術を持ち込むと,暗号化キーをユーザーごとに変更することができます。ユーザー認証を実行すると同時に,そのユーザーだけの暗号化キーを割り当てるしくみが802.1Xにあるからです。すでにこのしくみを活用した公衆無線LANサービスが始まっています。

 紹介してきたIEEE802.11n,IEEE802.11e,IEEE802.1Xは,どれもこれからの無線LAN製品の基盤となる重要な技術ですが,ほかにもさまざまな技術開発が進められています。たとえば,802.1X認証が無線IP電話の通話品質を劣化させるという問題がありましたが,その対策技術も登場しています

 高速化,サービス品質制御,セキュリティ,そしてきめ細かい改良技術・・・。無線LAN技術はここまで,イーサネットの代替を目指して進化してきましたが,ここにきてWAN技術として使うための強化も始まりだしたようです。ただその行く手には,WAN分野の新しいワイヤレス技術が待ち受けています。携帯電話会社が開発を進めている第4世代携帯電話やその先取りである3.9世代携帯電話,フィールド実験が始まっているモバイルWiMAXなどなど,こちらの技術開発もきわめて活発です。LAN分野とWAN分野で競い合う2006年,ワイヤレス技術の進化が楽しみです。