マイクロソフトは6月6日、社長交代人事を発表した。阿多親市社長(44)は6月30日付で退任し、7月1日付で米本社のマイケル・ローディング バイスプレジデント(39)が新社長に就任する(本誌Webニュースで既報)。

 じつはマイクロソフト社内では「ローディング氏が日本専任のバイスプレジデントになる」と社内向けにアナウンスされた昨年末から、阿多社長の交代説がささやかれていた。それに拍車をかけたのが、米IBMソフトウエア・グループ担当バイスプレジデントだった平井康文氏(42歳)を5月1日付けで日本法人の取締役に迎え入れる人事だ(本誌Webニュースで既報)。

 これらの人事は、サーバー向け事業の業績不振による“テコ入れ人事”と見られており、大手パートナ幹部は今年1月の時点で「この半年が阿多社長の正念場」と今回の社長交代を予見するかのコメントをしていた。

 ローディング氏は2001年3月から、米本社のバイスプレジデントを兼務する形でアジア太平洋地域を統括するマイクロソフト アジアリミテッドの社長(プレジデント)を務めていた。オフィスは東京・笹塚の日本法人本社内にあったが、直接日本法人の経営には関与していなかった。ところが2002年12月末に突然、日本専任担当バイスプレジデントという新しい役職ができ、ローディング氏が就任するアナウンスが米本社からなされた。

 この人事は、「いままで日本法人の経営に直接かかわらなかったローディング氏が、これからは、かかわるようになる」という意味を持っており、「業績不振を受けたテコ入れ」とされている。関係者によると、「事実上、阿多社長の権限の半分以上がローディング氏に移譲する形になった。阿多社長はアナウンスされたときに、がっかりしているように見えた」という。

 マイクロソフト日本法人の2002年7~12月の売上高は前年同期を割り込んだ。パソコン不況のあおりを受けてクライアント向けソフトが売れなかったことが大きな原因だが、その穴を埋めるべく期待を寄せていた「Windows 2000 Server」や「SQL Server」といったサーバー製品も不調に終わった。サーバー製品群の売り上げは、予算に対して20%以上も低く、予算を達成できなかったのは売上高が上位5カ国の現地法人で日本だけだった。

 これを裏付けるように、元IBM幹部の平井氏が3月31日付けで日本法人に入社、5月1日付けでサーバー製品の売れ行きを大きく左右する「エンタープライズビジネス担当」取締役に就任した。平井氏は2000年に、39歳という異例の若さで日本IBMのソフトウェア事業部長に就任し、大手パートナ企業を取り込みながら売り上げを伸ばした。2002年7月からは米IBMで全世界のソフトウエア・ビジネスの営業を担当しており、現在3人いるマイクロソフト日本法人の取締役のなかでも、大企業向けのビジネスでもっとも大きな実績がある。

 関係者によると、「平井氏の人事は米本社主導で行われ、平井氏もしばらく米本社でトレーニングをうけていた。将来、日本IBMの社長になってもおかしくない経歴を持つ平井氏をマイクロソフト日本法人に迎え入れた時点で、『阿多社長が交代するのでは』という空気が社内に流れた」(関係者)という。

 ところが新社長になったのは、平井氏ではなくローディング氏だった。これについて前出の関係者は、「マイクロソフトの新しい事業年度が始まる7月1日は、新社長就任と同時に、全世界的なマイクロソフトの組織改革が実施される日。米本社と連携しながら新しい組織を組み立てるために、当面はローディング氏が社長を務めるということではないか」(同)と話す。

 確かに約20年もIBMに在籍した平井氏は、マイクロソフトに来て日も浅い。「平井氏がマイクロソフトに慣れるまでの間にローディング氏が米本社とのパイプを太くして、新組織が整いマイクロソフトにも慣れた時点で社長就任」というシナリオも考えられる。

 今回の社長交代について、マイクロソフト日本法人の広報は「阿多社長本人が決断して決めたこと」としており、平井氏の社長就任に関しては「そういう話はまったくない」としている。

井上 理=日経コンピュータ