今年の夏以降,企業内の携帯電話の使い方が大きな転機を迎える。NTTドコモ,KDDI,ボーダフォンの携帯電話事業者3社が,「モバイル・セントレックス」と呼ぶ新型サービスを相次いで商用化するからだ(関連記事1関連記事2関連記事3)。

 モバイル・セントレックスを一言で説明すると,“携帯電話を企業内の内線電話としても使えるようにするサービス”である。実現手法は事業者3社によって差異があるが,共通しているのは社内でも社外でも,携帯電話1台で着信できるところ。持ち主が電話に出られないときは留守番電話機能で代行する。

携帯電話事業者が「内線」に切り込む

 携帯電話事業者にとってモバイル・セントレックスは,法人を対象とする営業部門の「有効な商材」となる。携帯電話を内線端末として使うので,契約は個人ではなく法人単位となるからだ。携帯電話ユーザーの契約数は2004年4月末で8200万を突破し,ユーザー数の伸びにかげりが見えている。こうした中,モバイル・セントレックスはまとまった数のユーザーを一気に獲得できるサービスなのだ。

 むろん,これまでも法人契約で携帯電話を導入する企業があった。携帯電話事業者も大口ユーザーである企業に,基本使用料を大幅に割り引くメニューなどを用意。法人営業部門が,企業との法人契約を推し進めてきた。

 それでも筆者が,モバイル・セントレックスに大きな可能性を見るのは,企業の内線に携帯電話事業者が関与できる糸口になりえるからだ。企業の内線を手がけるということは,まとまった数のユーザーから毎月安定した料金を期待できる。通信事業者にとっては,“非常においしい”ビジネスなのである。

 さて,ここまで読んで勘がいい読者はもうお気づきになられたかもしれない。モバイル・セントレックスは,ここ数年企業の内線で大ブームを巻き起こしている通信サービスの対抗馬になりえるのだ。

 そのサービスとは「IP電話」である。

「月額1000円のIP電話よりも1割安い」

 IP電話はVoIP(voice over IP)技術を電話に応用したシステム。企業内LAN/WANに,電話交換機能をIPネットワーク経由で提供する,「IPセントレックス」と呼ぶ仕組みを取り入れることで,従来の内線網に比べてコストダウンを実現できる。ここ数年,採用する企業が急増している。

 6月2日に「OFFICE WISE」と呼ぶモバイル・セントレックス・サービスを公開したKDDIの発表内容からは,IP電話への対抗意識が垣間見えた。例えば携帯電話を内線電話として使ったときの1台あたりの通話料。「現在IPセントレックスの内線電話利用料は,電話機1台当たり月額1000円が相場。その金額を1割下回る900円(実際には税込みで945円)に料金を設定した」と言う。やさしく言い換えると,月945円の利用料を支払えば,市販の携帯電話を内線電話として使えるということだ(ただし初期投資は必要)。

 実はKDDIがOFFICE WISEのサービスを開始するのは11月30日。半年先に開始するサービスをあえて公開した格好だ。IP電話の導入を検討する企業が増える中,モバイル・セントレックスの存在もアピールする必要があるからだ。

 企業が内線をIP化する際には,電話機をIP対応のものに置き換える場合が少なくない。その後では「携帯電話で内線がかけられます」と提案をしてもなかなか受け入れてもらえない。企業がIP電話導入の決断を下す前に,携帯電話で内線を作り直すという選択肢を,世の中に浸透させる必要があったのだ。

企業はコスト増をどう考える

 ただし,筆者は「モバイル・セントレックス」に対し,二つの側面から課題を見ている。

 一つは,法人契約がもたらすコストアップである。社員が個人で支払っていた携帯電話の基本料や通話料の一部を,企業が支払う格好になる。内線は定額料金で抑えられたとしても,大きなコスト増につながる。

 携帯電話事業者としても,社員の個人通話をすべて企業が負担せずに済む仕掛けを用意している。例えば,社員が公私を分計できるようなサービスや,社員全員に毎月利用できる上限値を設定して,それを上回った分を個人に負担させるサービスである。個人が個々に契約するよりは安い大口契約用のメニューも用意する。

 今回,筆者はモバイル・セントレックスのサービス開始を控え,携帯電話を業務に利用している企業数社を取材してみた。例えば,携帯電話機のブラウザ機能を使って,社内のグループウエアにアクセスする仕組みを構築したA社。社員の個人所有の携帯電話を使うため,NTTドコモ,au,ボーダフォンのどの事業者の携帯電話からも利用できるようにしている。

 A社の担当者は,「最近,携帯電話事業者から法人契約をしないかというアプローチがある」と認めたうえで,「でも,営業など外回りをする社員が少ない我々は,携帯電話を社員に貸与することは現時点では考えられない」と言う。会社が負担するコストが増えるよりも,社員が個人の携帯電話からアクセスする今のままの形態で十分との考え方だ。A社の現時点での興味はモバイル・セントレックスよりも,IP電話の導入にあるという。

 むろん,携帯電話の利便性を評価する業種もある。携帯電話からアクセスできる企業内グループウエアを運営するシステム・インテグレータB社は,「人材派遣業など外回りが多い社員を抱える企業では,法人契約した携帯電話を社員に持たせる例が増えている」という。携帯電話を社員に持たせることで業務の効率化などの「効果」を見出せる企業であれば,コスト増をいとわないというのだ。

 企業ユーザーに「コスト」を上回る「効果」を提案する――。携帯電話事業者の法人営業部門はこれからが腕の見せ所となってくる。

社員は携帯電話を2台持つのか?

 もう一つはユーザーが会社から貸与された携帯電話を歓迎するかという点。例えば,個人用に携帯電話を持っているあなたが,会社から携帯電話を貸与されることになったらどう思うだろうか。「ラッキー,自分用の電話は解約しちゃおう」と考えるのか。「やっぱり,会社の電話で私用電話はできないよな」と考えるのか。

 これは携帯電話の利用に,企業がどういう制約を設定するかで大きく左右されそうだ。例えば,私用も社用もかけ放題でノーチェックなら社員には好評だろうが,会社が背負う通話コストは跳ね上がる。逆に企業が社員の利用料を毎月チェックするのでは,余計な管理コストが発生する。社員にしてもあまり気持ちがよいものではないだろう。

 さらに会社から貸与される携帯電話は,今まで個人が使っていた携帯電話の電話番号や端末機種,携帯電話事業者が別のものになる可能性が高い。個人に広く浸透し,自分のスタイルに合った携帯電話を選ぶユーザーが増えている現在では,企業から貸与されるものに抵抗感を持つ社員は少なくないだろう。

 企業内での携帯電話の活用について取材するうち,何回か目にしたのは取材相手の担当者が複数台の携帯電話を持つ姿だった。携帯電話を使った社内システムを実験しているC社の担当者は,内線電話用に貸与された構内PHSと社内実験に使っている携帯電話,さらに個人用の携帯電話の3台を持っていた。うち1台は試験用の端末なので仕方ないとはいえ,法人契約が増えると,携帯電話を2台持つユーザーが当たり前になるかもしれない。

 ここで疑問になるのは,本当に2台の携帯電話を使いこなすことは可能なのだろうかという問題。筆者個人としてはできれば避けたい状況だ。個人用と会社用の携帯電話を2台持ち歩き,それぞれにかかってきた電話に出られれば問題はない。しかし会社から貸与された携帯電話はカバンの中で,個人用の携帯電話は胸ポケット。本人を緊急の要件で呼び出そうとする場合は,結局個人の携帯電話を呼び出すことになる――では何のための貸与なのか,分からなくなってしまう。

 企業が導入する際には,社員の利用シーンを想定した検証も必要になりそうだ。

(松本 敏明=日経コミュニケーション)