21世紀にプライバシは存在しない――。米国の技術ジャーナリストSimson Garfinkel氏が数年前に出版した本『Database Nation』の副題だ。テクノロジの進歩によって,国民一人ひとりの行動は遺伝子情報までも含めて管理あるいは予測可能になり,遠からず「私しか知らない私の人生」というものは存在しなくなる,という危機意識を約270ページにわたって述べている。

 いかにも米国らしい本と面白がっていたが,ここ1年で他人事ではなくなった。昨年の住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)の稼働と,住民票コードの配布,そして今夏の住基ネット本稼働とICカード配布を前に先月成立した個人情報保護法(関連記事1関連記事2),その法案審議中に浮上した自衛官募集問題,最近の長野県の住基ネット離脱問題(関連記事)などなど。国会での与野党審議を「衆議院TV」などで見ていると,この国はもはやどうしようもないところまできているのではないかと思う。

全国民に届けられた“不幸のハガキ”

 昨年,住民票コードが印刷されたハガキを受け取ったとき,特になんとも思わなかった方も多いと思う。しかし,私は「ああ,これでおしまいだ」と思った。

 私にとって,この11ケタのコードはデータベースのプライマリ・キーに見えた。これまでバラバラに収集されてきた,そしてこれからも収集されていく個人情報あるいは顧客情報が,このコードによって関連付けられ,統合されていく姿が脳裏に浮かんだ。

 例えば,9年間も続いた連続ドラマ『X-ファイル』には,「かつて行われた種痘は,同時に国民を識別するタグを埋め込むためにも使われた」というエピソードがある。この種のフィクションは,『スター・トレック』などの他の連続ドラマでも多く見受けられる。テクノロジの観点から見ると,一意に識別できるということは,それほど重要なテーマなのだ。

 とどまることを知らないコンピュータ/ネットワークの高速化,大容量化,低価格化。この状況を背景に,プライマリ・キーを得たリレーショナル・データベース管理システムは,水を得た魚のように闇市場で暗躍することになるに違いない。

個人情報保護法で何が変わるのか

 「おしまい」は「始まり」でもある。これからやって来るのはどんな世界なのだろうか。まずは5月23日に成立した個人情報保護法によって何が変わるのか。

 はっきりしているのは,企業の負担が法的にも経済的にも増大することだ。最も大きな変化は,原則として本人からの情報開示請求に応じなければならないこと。このほか個人情報の取得時に本人へ通知・公表する義務や,取得した個人情報の管理責任など,多くの義務が定められている。

 半面,罰則規定はなく,ガイドラインのような存在でしかない。また,自己情報コントロール権やプライバシ権について明確に言及しているわけでもない。民法などの他の法律と合わせてケース・バイ・ケースで考慮する必要がある。

 そもそも個人情報保護法のねらいは,ネットワーク社会における適正な個人情報の流通であって,流通を阻止することではない。つまり,企業にとっては負担が増すとしても,やるべきことさえやっておけばそれでOKという側面もある。

 とはいうものの,個人情報保護法の成立によって国民の関心や意識は着実に高まっていく。特に「他人には知られたくない」と思うようなセンシティブな個人情報には,これまで以上に敏感になっていくだろう。今後は個人情報の取り扱いを誤ると,イメージダウンどころか,命取りともなりかねないことを企業は肝に銘じておくべきだ。

 このあたりについて具体的に勉強したい方には,6月16日緊急発行の『漏えい事件,Q&Aに学ぶ個人情報保護と対策』をお薦めする。今のところ,個人情報保護法に基づいた唯一の解説書といえる。

早くも危惧される差別

 Garfinkel氏と同意見だが,最も危惧されるのは病歴,犯歴,思想信条などのセンシティブな個人情報を使った差別である。住井すゑ著『橋のない川』が描いたような悲惨な差別社会は,私たちの次の世代には決して繰り返してほしくない。

 すでに憂慮される事態は起こっている。例えば,4月22日の衆議院個人情報保護特別委員会でのこと。防衛庁が自衛官募集のために,自治体に住民基本台帳の情報提供を要請した際,健康状態に関する情報も含めていたことについて,片山虎之助総務相は,「健康に関する情報は,自衛隊の採用には必要で,良いか悪いかのボーダーラインではないか」と発言した。

 第三者が提供した情報が正しいとは限らない。経費がかかろうが,時間がかかろうが正当な健康診断を実施して評価を下すべきである。今後も,こんな安直なことがまかり通るようでは,この国はおしまいだ。

(清木 隆文=ネットワーク局プロダクツ編集長)