日本の通信は1985年の通信自由化で電電公社の独占体制から競争原理の導入により,発展を遂げてきた。通話料金は値下がりし,ADSLなどブロードバンドが爆発的に普及した。これらの環境をデザインし,下支えしてきたのが総務省の競争政策だ。

 その競争政策が,2010年を境にがらりと変わる可能性がある。現在総務省が進める政策アジェンダはいずれも2010年をターゲットとして動いており,「2010年の時点で通信法制全般について総合的な検証を行う」と総務省が明言しているからだ。さらに2010年にはNTTの組織問題の検討も控えている。

 現段階では,まだ通信法制の検証の具体的な議論は始まっていない。しかし現在直面する課題や,新たに浮上してきた問題から,2010年の通信法制の見直しが進むのは間違いない。その方向性も少しずつ見え始めてきている。

2006年から続く「モラトリアム期間」の終わり

 競争政策は通信業界のベースとなる議論。その重要性は計り知れず,競争のあるべき姿を考える作業に終わりは無い。しかしここ数年は,その議論がほとんど深まっていなかった。その最大の理由は2006年の政府与党合意によって,いわゆるNTTの組織問題の議論が2010年まで棚上げになったからだ。ここ数年は,通信事業者間の競争を再検討する上で避けて通ることができないNTTの在り方が,業界の中で「アンタッチャブルな話題」という雰囲気が漂っていた。これでは,競争の在り方に対する議論が深まるわけがない。

 言ってみれば通信業界は2006年から「モラトリアム期間」が続いていたわけだが(関連記事),ようやくそれが2010年に終わる。NTT問題が2010年に“解禁”されることは,競争環境の再検討に大きな意味を持つ。自民党から民主党へと政権が交代したことで,2006年当時の政府与党合意が尊重されるのか不透明な側面はある。ただ「2010年までNTTの組織問題は触れない」という制限が無くなるのも事実だ。ただ通信法制全体の検証の中で,NTTの在り方にも議論が及ぶのは必至だろう。

 NTTグループに対抗する競合事業者も,競争政策の見直しに向けて問題提起を始めている。KDDIは,競争政策の見直しに向けた説明会を6月と8月に開催。特に光回線の競争について次のように問題点を指摘し,競争の在り方の再検討を求めている。「総務省は,FTTHサービスについて電話網とは違う新しい設備に一から投資するものという位置づけで,NTT東西以外の事業者も自ら設備投資でリスクを負って競争するべきと,設備ベースの事業者間競争に焦点を当てていた。結果,NTT東西が回線ベースで79%のシェアを獲得し,独占性を強めることになった。その影響として,FTTHサービスで利用できるサービスの競争が進展していない」(関連記事)。

 なお総務省は「NTTの在り方は,まずはNTT自身が考えるべき」(幹部)という姿勢を見せている。NTTが2010年度に予定する概括的展望の公表を待った上で議論を進める考えだ。いずれにせよ“NTT問題”が解禁されることで,ここ数年来見られなかったような,競争の在り方のダイナミックな議論が進んでいきそうだ。

通信と放送,インフラと上位レイヤー,競争環境は複雑化

 2010年以降の競争政策は,新たな競争環境への対応も必要になるだろう。例えば2010年以降には,無線でも最大100Mビット/秒超を実現するLTEの商用化,そして通信と放送の両面にかかわる携帯端末向けマルチメディア放送などのサービスの実用化などの,新たな技術やパラダイムが登場する。このような環境の変化への対応も競争政策の見直しに必要な視点だ。

 総務省が8月にまとめた「電気通信市場の環境変化に対応した接続ルールの在り方」の答申案(接続ルールの見直し案)は,今後の競争政策の見直しの第一歩となると考えられる。今後の接続ルールを検討する視点として,固定・モバイル融合への対応と,レイヤー間の市場支配力行使への対応を明記しているからだ。

 LTEが2010年に商用化されることで,通信速度の面ではFTTHとの差はぐっと縮まる。固定と携帯で分かれた現在の接続ルールを,FMCを念頭に置きながら時代に合わせて検討し直す方向性を示している。仮に,LTEにFTTHの代替性があると判断されれば,NTT東西に課せられた規制が緩和されるという変化が訪れる可能性がある。競争環境は大きく変わるだろう。

 一方のレイヤー間の市場支配力行使への対応は,上位レイヤー事業者から見た公正競争環境を整備する方向性だ。例えば携帯電話事業者のような通信レイヤーで市場支配力を持つ事業者は,自社でコンテンツやサービスを囲い込むことで,結果的にコンテンツ・レイヤー市場の自由な競争を阻害しかねない。このような弊害を防ぎ,上位レイヤー市場の発展を後押ししたいという狙いがある。

 接続ルールの見直し案では,法改正によって紛争処理委員会の役割を,これまでの通信事業者間の紛争から,コンテンツ提供事業者や通信プラットフォーム事業者と通信事業者の紛争に拡大する方向も示している。通信事業者と上位レイヤー事業者間の本格的な競争環境が生まれるわけだ。

 なお,通信レイヤーからコンテンツ・レイヤーへの支配力という方向とは逆の,コンテンツ,プラットフォーム・レイヤーから通信レイヤーへの支配力も顕在化している。クラウド・コンピューティングがそれだ。この点については,有力サービスのほとんどが海外勢であり,国内の規制の対象ではない。総務省も課題として認識するものの「従来の政策アプローチが通用しない」(総務省幹部)と頭を悩ませる。

 携帯端末向けマルチメディア放送の公正競争環境整備も新たなテーマだ。ハード事業者として参入を希望するのは携帯電話事業者であり,通信と放送をまたいだ競争環境のデザインが求められる。

 このような変化から,通信事業者はこれまでのNTTグループ対競合事業者という構図だけではない競争環境下に入っていく。通信事業者間の競争,通信事業者と上位レイヤー事業者の競争,あるいは通信事業者と放送事業者の競争など,環境は複雑化していくだろう。

在るべき競争の姿についてもっと議論を

 以上のように2010年以降の競争政策について,いくつかのポイントが見えてきている。しかし実際の議論はまだこれから。この夏の衆議院選挙では「官僚依存から政治主導へ」という公約に掲げた民主党が政権交代を果たした。場合によっては,これまでの通信行政が根底からひっくり返る可能性もあり,今後の競争政策が具体的にどのように動くのか,まだ不透明な部分も多い。

 通信業界は,規制緩和を求めるNTTとNTTへの規制強化を主張する競合事業者が,目先の利害を巡って対立する構図が続いてきた。しかしこれからの競争環境は,通信インフラ分野にとどまらず,上位レイヤーから放送分野まで広がりを見せるのは間違いない。総務省の政策的課題も,どちらかといえば通信分野単体ではなく,融合分野や上位レイヤーに重点を置いているように見える。

 このような転機を迎える時だからこそ,通信事業者をはじめ,幅広い関係者の間で,もっと議論を深めるべきではないか。関係者の目先の利害にとらわれず,一緒に新しい時代を切り開いていく視点が求められる。

 そのための一助になればと思い,日経コミュニケーションの9月15日号特集として,競争政策のこれまでとこれからにフォーカスした記事を執筆した。また10月1日号からは,2010年以降のNTTグループ,通信業界の在り方について,毎号識者の方に提言していただくリレーコラムも開始する。こちらも合わせてご覧いただければ幸いです。