情報システムのユーザー・インタフェース(UI)のデザインを専門に手がけている技術者(デザイナ)から筆者が聞いた話である。

 そのデザイナが大学で講義を行うことになり,学生に協力してもらって,ある実験を行った。縦横の比率が異なる長方形の紙を何枚か生徒に見せ,「自分が最も美しいと思う長方形」を一つ選ぶように指示したのである。使った長方形は,縦横の比率が1:1から2:5までの10種類だった。

 その結果,一番多く手が上がったのは,5:8の比率の長方形だったという。5:8と言えば,古くから多くの人が美しいと感じる比率として知られる「黄金比」とほぼ同じだ。

 実験の被験者は情報システムを専攻する学生たち。このデザイナは「“理系”の学生たちのデザインに対する感性は,一般的な感性と大きくズレているかもしれないと思ったが,結果的には昔ながらの黄金比の長方形に人気が集まり,少しほっとした」と言う。

 美しいもの。美しいこと。人それぞれ価値観が違うように,美しいと感じる対象や基準は人によって異なる。だが,それでも「多くの人が美しいと感じる対象や基準は,ある領域に収束するものだ。実験結果から,そうした傾向が存在することがはっきり分かったので,ユーザーにとって使いやすく美しいインタフェースのデザインは可能だ,と勇気づけられた」。そのデザイナー,野村総合研究所 情報技術本部 主任ITデザイナの三井英樹氏は語る。

「リッチ・クライアント」が議論のきっかけに

 Webブラウザからグループウエアやメールを使う。取引先のサイトにアクセスし情報を確認する。自宅では通販のWebサイトで本を買い,飛行機のチケットを予約する。今やWebは,あらゆるアプリケーションの“窓口”として広く使われている。特に,BtoC(個人向け電子商取引)では,Webサイトの巧拙が商品やサービスの売れ行きを左右するほどだ。

 にもかかわらず,Webブラウザは文書の閲覧をルーツとするため,操作性や使い勝手に目をつぶらざるを得ない部分が多く,エンドユーザーに我慢を強いてきた。企業システムという観点で見る限り,Webアプリケーションが普及・浸透する一方で,ユーザー・インタフェースの話題は端に追いやられていた感は否めない。

 ところが最近になって,使いやすく美しいWebサイトやWebアプリケーションをどう作るか,すなわちユーザー・インタフェースの「機能美」についての議論が活発に行われるようになってきた。その大きなきっかけとなったのが,数年前から企業で採用・導入が進みつつある「リッチ・クライアント」技術である。

 「Flash」や「Ajax」,「Curl」,「Biz/Browser」など,Webブラウザの機能の限界を破るリッチ・クライアント技術が,ここ数年間に次々と登場した。これらの技術を採用するユーザー企業が増えてきていることもあり,ユーザー・インタフェースの機能美について再度,議論を進めていくための土壌が整いつつある。

利用者の視点でUIの機能性を競う

 実際,Webサイトのユーザー・インタフェースを,重要な差異化の要因と見なす大手企業も現れ始めている。例えば2004年には,Flash技術を使って航空券予約サイトの操作性向上を図った全日空(ANA)に対し,日本航空(JAL)も負けじとFlash技術を使った航空券予約サイトを立ち上げた。

 一般顧客向けのWebサイトだけでなく,企業内アプリケーションについてもユーザー・インタフェースの機能性に関心が集まりつつある。Flashの提供元であるアドビシステムズの西村真理子プロダクトマネージャーは,「企業では派遣社員やパートの増加により,短期間で習熟できる分かりやすいユーザー・インタフェースのニーズが高まっている」と説明する。

 ユーザー企業にとってシステムの投資対効果を高めることが大きな目的であることを考えれば,顧客への負担軽減や社員の生産性向上につながるユーザー・インタフェースの機能美の追及は必然だろう。大成建設でCIO(情報統括責任者)を務める木内里美 社長室情報企画部長は,「使い方などを説明する必要がなく,快適に操作できる分かりやすいユーザー・インタフェースのデザインは,今後のシステム構築プロジェクトで必須の要件になる」と見る。

SEとデザイナの両方の素養が不可欠に

 今後はITベンダーでも,アプリケーションを設計・開発する人材だけでなく,ユーザー・インタフェースのデザインを手がける人材が重要になる。そもそも,ユーザー・インタフェースのデザインはシステムの機能と切り離して考えることはできないからだ。

 Flash技術を使ったインタラクティブなWebサイトの構築を数多く手がけるセカンドファクトリーの大関興治 代表取締役は次のように断言する。「ユーザー・インタフェースの機能美を追求する上では,SEとデザイナが密接に協業できるようにしたり,ソフト開発の技術とデザインの素養を併せ持つ人材を育成したりすることが欠かせない」。

 だが,実際はどうだろうか。ある大手ECサイトの構築・運営責任者は次のように嘆く。「デザイナは綺麗な絵を描くことばかり考える。一方でSEは,それはデザイナの仕事と言わんばかりの無関心を決め込んでいる。それぞれの意識改革を促しても,なかなか協業が進まないのが現状だ」。

 これでは,まさに顧客不在である。「顧客は使いやすくて美しいユーザー・インタフェースを求めている。SEやデザイナが自分の仕事に閉じていては,顧客の要求に応えることなどできない」(大関氏)。

ベンダーの姿勢を問うユーザー企業

 その顧客側である大成建設の木内氏も,「ユーザー企業が美しく機能性の高いユーザー・インタフェースを求めるのは必然。機能美を備えたユーザー・インタフェースに対してなら,必要十分な投資を惜しまない」とした上で,IT業界に対して次のような疑問を投げかける。

 「そもそもユーザー・インタフェースのデザインは,システムの機能と切り離して考えることはできない。ソフト開発の技術とデザインの素養を合わせて機能性の高いユーザー・インタフェースを実現できなければ,それはベンダーとして怠慢ではないか。IT業界として,ユーザー・インタフェース・デザインの標準レベルの向上に取り組むべきだ」。

 さらに木内氏は,ユーザーの要件を満たすデザインのユーザー・インタフェースが提供されないようであれば,ベンダーの変更や名の通ったデザイナの起用を真剣に考えるべきだという。ただ現実には,「企業情報システムの開発で,一定以上のレベルのユーザー・インタフェースを提供できるベンダーは少ないと感じている」と言う。

 こうした事情もあり,ユーザー・インタフェースのデザインを専門に手がけるベンダーに対する需要は高まっている。セカンドファクトリーの大関氏は「我々のビジネスチャンスが広がっている」と息巻く。同社はソニーグループなどで双方向性の高いBtoC分野のWebサイトを多く手がけてきた実績を持つだけに,SEとデザイナの連携,あるいは機能美の追及といった話題については一家言あるようだ。

 セカンドファクトリーは1998年の創業時,美術大学出身のデザイナで,かつプログラミングの素養がある人材を積極的に採用。その後プロジェクトをこなしながら,デザイナやSEの人員を増強していった。

 デザインもシステム開発も分かる人材がプロジェクトで中心となって動くため,「システムとして問題なく機能し,かつ美しさの面でも配慮したアプリケーションを実装できる」(大関社長)という。「こうした案件を手がけていると,SEも自然とデザインに興味がわくため,協業が進む。むしろ,デザインとシステム開発の両方に興味の持てない人材は,当社では淘汰(とうた)されていく」(同)。

 デザイナは,プログラミングのスキルを身につけることで,デザインの幅が広がるという。「単なる2次元の配置やアニメーションの美しさではない,動作としての美しさは,プログラミングやシステム開発のスキルを学んでこそ」とセカンドファクトリーの取締役シニアユーザエクスペリエンスデザイナの齋藤 善寛氏は言う。

 大関氏と齋藤氏の話を聞きながら,筆者はこんなことを考えた。Webデザインの世界には,雑誌広告など“2次元”媒体のデザイナが多い。だがWebを使った情報システムでは,デザインと機能が密接に結びついており,分かりやすさ,使いやすさを意識しなければならないという条件がある。

 それを考えた場合,Webシステムの開発を手がける人材に必要な素養は,工業デザインに近いのではないか。ところが実際のWebサイト構築の現場では,そのような人材が活躍しているとは言えないのが実情だ。「Webサイト開発の現場では今,優秀なSEが渇望されている」(大関氏)。

 というのも,特にBtoC分野では,宣伝部門やマーケティング部門が発注者(システム・オーナー)であることが多く,日ごろの業務の延長で,デザイン事務所にWebサイトの開発を発注することが多い。そのため,言い方は悪いがシステムの素人同士が下手に手をつけたがために,「とん挫しているプロジェクトがごろごろしている」(大関氏)という。「デザインの知識を身につけ,デザイナとの共通言語を備えたSEがいれば救われるプロジェクトはかなりの数に上る」と大関氏は言う。

SEとデザイナの連携を支援するソフトも

 こうした状況に対応するように,SEとデザイナの連携をサポートするソフトウエアも登場しつつある。例えば,マイクロソフトが2006年中に投入するデザイン・ツール群「Expression」だ。

 ExpressionはWebサイトやWindowsアプリケーションのユーザー・インタフェースをデザインする「Interactive Designer」,画像作成用の「Graphic Designer」,Webサイトを生成・管理する「Web Designer」の3種類のソフトで構成する。

 このExpressionは,同社の開発ツール「Visual Studio」との連携機能が特徴だ。画像の作成,ユーザー・インタフェースやWebサイトのデザイン,その裏側で動く業務ロジックのプログラミングといった一連の作業を,ExpressionとVisual Studioで切れ目なく実行するための機能を備える。Expressionについては,記事1記事2を参照していただきたい。

 マイクロソフトは「ユーザー・エクスペリエンス」というキーワードを掲げ,ユーザー・インタフェースの強化を推し進めている。同社の磯貝直之デベロッパーマーケティング本部デベロッパー製品部シニアプロダクトマネージャは,「ユーザー・エクスペリエンスは,ユーザー起点でインタフェースを考えよう,という呼びかけの言葉でもある。そのためには,SEとデザイナの協業が不可欠」と話す。「Expressionを通じて,SEとデザイナの間にある隙間を埋めたい」。

 アドビシステムズもFlashアプリケーションの開発・運用ツール群「Flex」の次期版,2.0のベータ版を2月1日に公開した(参考記事)。Flexは開発者に向けて統合開発ツールや,動作基盤となるフレームワークなどを備えている。

デザイナの考え方を取り入れたソフトへの期待

 美について価値観は人によって異なる。それでも冒頭で書いたエピソードから分かるように,合意できるポイントはある。それが機能性を併せ持つソフトウエアならば,なおさらだろう。

 ならばSEとデザイナの溝は埋められるはずだ。SEがデザイナのスキルを吸収したり,考え方を採り入れることで,どんなソフトやシステムが生まれるのか,期待を抱いているのは筆者だけではないだろう。読者の皆さんからもぜひユーザー・インタフェースの機能美についてご意見をいただき,また次の機会に記事としてフィードバックしていきたい。

■変更履歴
本文中の誤記「企業情報視システム」を「企業情報システム」に訂正しました。[2006/03/03 17:10]