ブランドのインターフェースとしてのデザイン
入社してしばらく経った1990年代には、日立の情報機器群ほぼすべてのデザインを担当した。当時のブランドには、WordPal/ワードパル(ビジネス用ワープロ)やelles/エル(オフコン)、Prius/プリウス(個人用パソコン)、FLORA/フローラ(ビジネス用パソコン)などがあったが、中でも310という型番でヒットしたFLORAには深い思い入れがある。ブランドクリエーションやロゴデザイン自体は、担当の事業部で作成されるため、デザイナーはあまり関与していないが、そのブランドをお客さまにつなぐインターフェースとしてのプロダクトデザインやGUIは、デザイナーの中心ワークだ。デザイン部門は、各事業部門からプロダクトデザイン全般を引き受け、さまざまな視点から売れるモノづくりのための調査やデザインマーケティングを行い製品に仕上げる。楽しいプロセスでもあるが、一方で売れ行きを左右するため、その責任も重い。
お客さまとのタッチポイントがブランド
当時は、ブランドとデザインの関連性は見えたものの、その商品が店頭やカタログ(BtoC)、もしくは営業トークやパンフレット(BtoB)で、お客さまの眼に触れ、そこに経験が生まれ、導入後はお使いになるお客さまが使用経験される姿など、深くは考えていなかった。ブランドやデザインは、当時企業からの一方的な発信の結果であり、売れた後は、特にヒヤリングも無く次の商品を売るための作業に移行していた。
確かにBtoCでは愛用者カードを見て問題があれば、その解決に当たり、場合によっては、課題を探ることも無いではなかったが、それが商品のライフタイムで追いかけられ、フィードバックされていたかというと、そうではなかった。初期提案で営業に触れ、導入の時には技術者と会い、商品に触れ、使い始めてからは企業姿勢やユーザビリティなど品質と向かい合う、そのようにタッチポイントが数多くあり、HITACHIというブランドをお客さまが体験している姿が想像できていなかった。本来は、お客さまが使い始めて表面化する不満や問題点の摘出、使う喜びや楽しさなどをもう少し身近に感じていれば、次の商品に生かせていたし、お客さまのブランドに対してのエンゲージメントも、より深くなっていたと思うと少し心残りだ。
ブランドは価値であり、企業の富の源泉
さてこのブランドだが、一般的に想起するのはファッションブランドだろう。ルイ=ヴィトンやエルメス、セリーヌ、ディオール、ニナリッチなどのフランス系、フルラやロッシ、バレンチノやベネトン、フェラガモやアルマーニなどのイタリア系が有名だが、そもそもは旅行かばん屋や馬具屋など地味な部品を作る職人の集まりから発していて、決して今のようなブランド価値をめざし、その方針に向かって現在の地位を確立したわけではない。むしろ職人の日頃の鍛練と、その成果から生まれた精巧な技術と精緻な出来栄えこそが、それを使う人々の共感を得て、結果としてブランドに育ってきている。
特にファッションブランドは、そのユーザーが上層階級であったため、使用シーンの一コマ一コマが語り継がれ、メディアへの露出も多く、ブランドとして定着してきたのだと思う。IFRS(国際会計基準)の中では、従来は無形資産と考えられていたブランドに対し、事業の継続や富の源泉としてブランドは価値に換算できるとの判断で、これまで「のれん代」は一定の期間で償却していたものが、この新たな国際基準では、継続的な価値となり、ブランド価値が企業の資産として、明確に認められている。