普及の見通し立たない住基カード

住基ネットの全面活用は遠い

日経コンピュータ 2003年8月11日号,14ページより

8月25日から希望者に対して住民基本台帳カード(住基カード)の配布が始まる。大騒ぎになった住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)の稼働から1年、ようやく利用基盤が整ってきた。しかし、普及を後押しするアプリケーションは見えておらず、セキュリティの不安もいまだに解決されていない。

 住基カードは、住基ネットで全国民を識別するために使う11ケタの住民票コードを記憶したICカードである。住民票コードが分かれば、住基ネットから「基本4情報」といわれる氏名・生年月日・住所・性別の情報を得ることができる。従来の住基ネットは、ある住民が本当に住民基本台帳に記載されているかどうかを確認することしかできなかった。だが、住基カードを配布することで、「本人であることを確認する機能」が住基ネットに加わる。

図1●住基カードの導入で可能になるサービス

 総務省の馬返(まがえし)秀明自治行政局市町村課理事官は、「住基カードを利用することで、これまで以上に自治体の行政サービスが向上する。さらに今年度中には、電子申請に欠かせない本人確認の認証サービスにも使えるようになる。これらによって行政の効率化や住民の利便性向上が大きく進む」と期待する。

住民票の広域交付なども可能に

 8月25日の住基カードの配布と同時に実現する行政サービスは図1[拡大表示]の通りだ。

 (1)まず当然のことだが、住基カードで身元確認できるようになる。(2)住民票の広域交付が可能になる。住基カードを提示さえすれば、全国のどの市区町村の窓口でも自分の住民票の写しを取ることができる。これまでは自分の住んでいる自治体の窓口に限られていた。(3)転居に伴う転入転出手続きも簡素にできる。転出に伴ってこれまで住んでいた自治体の窓口に出向く必要がなくなる。転入先の自治体の窓口で住基カードを示すだけで、転入・転出に伴う手続きが終わる。

表1●住基カードの独自利用を決めた主な自治体とその利用法

 住基ネットの本格稼働に伴う効率化や利便性の向上によって、総務省は年150億円近い節約効果が得られると推定している。住基カードの普及率が50%に達したと仮定すると、上記の(2)と(3)のサービスを実現することで毎年、国民に130億6000万円、行政に18億7000万円に相当する便益が発生するというものだ。

 地方自治体がカードを使ったシステムを独自に開発する必要がなくなることも、住基カードのメリットとして総務省は挙げる。住基カードを使うことで、自治体のカード・システム開発費を93億円節約できると推定する。馬返理事官は、「住基カードを利用して複数の独自サービスを実施する自治体もある」という(表1[拡大表示])。

 住基カードは内部に一定のメモリー領域を確保している。この部分には住基ネットで管理する基本情報以外に、独自のアプリケーションを格納することができる。この領域を独自の行政サービスに利用するのである。

本命は年度末の公的個人認証サービス

図2●公的個人認証サービスと住基ネットの関係

 ただし、これらのサービスだけで住基カードの普及が進む可能性は低い。旗振り役の総務省が、現在期待しているのは「公的個人認証サービス」(図2[拡大表示] )である。同サービスも、総務省が中心となって進めているもので今年度中に運用が始まる。

 インターネットを介して電子申請を行う場合は、申請者が本人であることを示す電子証明書が不可欠になる。これを発行するのが公的個人認証サービスである。従来の民間企業の認証サービスに比べると10分の1程度のコストで利用できるため、サービス利用者が広がることが期待されている。

 公的個人認証サービスは、一定の条件を満たしたICカードに電子証明書を発行し、ICカード読み取り機能を備えたパソコンを使って電子認証を実行する。現時点では住基カードだけが、同サービスの発行する電子証明書を格納できるICカードとして認められている。

 公的個人認証サービスの担当である総務省の猿渡友之自治行政局自治政策課情報政策企画官は、「国の電子申請システムを利用するには必ず個人認証が必要になる。魅力的な電子申請アプリケーションが登場してくれば、公的個人認証サービスの利用者はぐんと増える」と期待する。

進まない住基カードの普及

 これは、住民や企業にとって“魅力的な電子申請システム”が登場しなければ「公的個人認証サービス」の利用は進まないということでもある。現在までに本格的な電子申請をスタートさせた地方自治体は数十カ所程度。今年度末には国の申請や届け出は大半が電子化されるというが、その使い勝手はよいとはいえない。

 しかも住基カードは希望者に有料で配布する。発行には1人当たり500円程度の手数料を住民は払う必要がある。自分が住んでいる自治体の窓口に出向いてカード発行手続きをしなければならない。しかも、「わざわざICカード・リーダーを買ってまで電子申請をしようと考える住民がどの程度いるのか」という批判の声も出ている。

 メリットが見えなければ、普及の速度は遅くなるのが当然。総務省が調べたところ、今年度に全国の地方自治体が配布する予定の住基カードの枚数は約300万枚。国民全体のわずか約3%にすぎない。そのうえ、300万枚を発行予定の住基カードが実際に利用される保証はない。実際の普及率が1%程度になることも十分あり得る。

 住基カードの独自サービスに積極的な自治体の担当者ですら、「短期的には10%の市民が住基カードを利用するのがやっとではないか」と話すのが現実である。

セキュリティ対策は見直しが不可避

 住基ネットにはセキュリティの問題もある。インフラとしての信頼性に疑問が残っている。これは利便性の向上よりももっと重要な問題だ。この問題の深刻さを如実に示したのが、今年5月の長野県の本人確認情報保護審議会による活動報告である。

 同審議会は住基ネットについて大きく4点の問題があると指摘している。具体的には、(1)ネットワークの構成が複雑で市町村では理解できないところが多い、(2)保守・運用が外部任せになっているところも多く、実際の構成を自治体職員が把握できないことがある、(3)現場のシステム担当者に重い負担を強いる、(4)長野県と県内の市町村で住基ネットのセキュリティを整備するためには今後5年で80億円が必要になる、である。

 同審議会は長野県下の120市町村に対してアンケート調査を実施した。その報告によれば、住基ネットとその他のネットワークを安全に隔離していなかった自治体が27あったという。また112の自治体に対するアンケートの結果、情報の漏洩(ろうえい)の心配がないと答えた市町村は全体の1%しかなかった。

 住基ネットの運用で苦労しているのは長野県だけではない。ある自治体の担当者は「日々の業務に落とし込んだ形のセキュリティ・マニュアルを総務省が用意しているわけではない。現場でなんとかしなくてはならないのが実態だ」と話す。別のある地方自治体の住基ネット担当者は、「住基ネットの利用範囲が拡大するにつれて、現場の作業量が増えている。かといって人員増が認められる状態ではない」と運用の大変さを打ち明ける。

 こういった意見に対して、総務省の馬返理事官は「住基ネットのセキュリティには十分注意している。全国の地方自治体のシステム担当者や住民基本台帳の管理業務担当者などを対象としたセキュリティ説明会を開催するなどの対策も進めている」と話す。

セキュリティの不安が離脱を招く

表2●住基ネットへの参加に疑問を示した自治体とその対応

 セキュリティに対する不安によって、住基ネットに不参加の自治体が続出し、住基ネット全体の運用に影響を与えている(表2[拡大表示])。今年5月には個人/情報保護基本法が成立したが、同法も自治体の住基ネットへの完全な参加を決意させることにはならなかった。

 住基ネットから完全に離脱していたのは、福島県矢祭町、東京都の中野区と杉並区、国分寺市の四つの自治体である。このうち、個人情報保護基本法の成立を受けて住基ネットに接続することを決めたのは東京都国分寺市だけ。杉並区は、住基ネットに参加するかどうかを住民の意思で選べるようにする「選択制」方式で住基ネットに参加する方針。中野区は区民の意向を調べている最中だ。福島県矢祭町は離脱の方針を変えていない。

 選択制を採用した横浜市では約348万人の市民のうち約85万人が住基ネットへの接続を拒否した。これは全市民のほぼ4分の1に当たる。今年6月には、北海道札幌市で選択制による住基ネットへ接続を公約に掲げた候補者が当選した。

 前述の長野県の本人確認情報保護審議会は、県に対して一時的に住基ネットから離脱するよう提言している。約220万の人口を抱える同県が離脱する可能も否定できない。

(中村 建助)

本記事は日経コンピュータ2003年8月11日号に掲載したものです。
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