身の回りのあらゆるモノにコンピュータが入り、それらがネットワークでつながる―。これまで夢物語に過ぎなかった「ユビキタス時代」が到来しつつある。コンピュータが至るところに存在し、いつでも、どこでもその能力を利用できる環境は、社会生活を劇的に変えることはもちろん、企業活動にも大きなインパクトを与える。新たな市場やビジネスモデルが生まれ、仕事のやり方も変わる。

 ユビキタス時代を実現する要素技術の開発が進み、インフラも整いつつある。2003年は企業がこうした環境を実際のビジネスに適用し始める“ユビキタス元年”となる。

(坂口 裕一)

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Overview:ビジネスを変える驚くべきインパクト
図解:近未来のユビキタス社会
Case 1:ユビキタス環境を顧客向けに生かす
Case 2:ユビキタス環境を業務で使う

Overview

ビジネスを変える驚くべきインパクト

 食品の輸送を手がけるある運送会社は、長引く不況にもかかわらず2003年から3年連続で増収増益を続けていた。2003年は“ユビキタス元年”と呼ばれた年である。「食品メーカーからの仕事が増え、運送コストの削減にも成功した。これがユビキタスの威力なのだろうか」。運送会社の社長はつぶやく。

 食品メーカーからの依頼が増えたのは、食品をトラックで輸送するときの温度管理を徹底したためだ。積み下ろし作業や輸送中のすべての過程で食品の温度をセンサーで記録し、その分析結果をメーカーに提示した。温度は食品の品質を大きく左右する。これに安心した食品メーカーは、優先してこの会社に仕事を発注するようになった。

 運送コストを削減できたのは、燃費の向上と保険料の割引によるものだ。トラックに搭載した様々なセンサーの情報を収集し、運転手に対して、燃費が良くなる運転方法と安全運転の指導を徹底した。その結果、トラック1台当たりの燃費が10%向上し、昨年は無事故だった。保有しているトラック50台の今年の保険料がすべて減額になった。「事故が起こって翌年の保険料が割増になるのと、無事故で割引になるのでは大違いだ」と、社長は自慢げに話す…。

交通事故ゼロも夢ではない

 この運送会社のような話は間もなく実現する。身の回りのあらゆるモノにIT(情報技術)が組み込まれ、社会生活や企業活動を支援する「ユビキタス時代」が、今まさに到来しつつあるからだ。

 すでに最新型のトラックには数多くのセンサーが搭載されている。これらが様々な情報をやり取りしながら輸送業務を手助けする(図1[拡大表示])。例えば日野自動車の最新型トラックは、ブレーキやギア、エンジン回転数のセンサー、荷室の温度センサーなどを備える。安全運転ができるようにタイヤの空気圧や居眠り検知、車間距離検知などのセンサーも載せている。さらに研究用の車両では、トラックの後方や左右側面を監視するレーダーも装備する。ほかの車両が接近すると警告を発し、事故を未然に防ぐ。

図1●日野自動車の最新型トラックは、様々なセンサーを搭載している。センサーのデータを記録・分析することで、事故防止や運送コストの削減に役立てることができる

 日野自動車はこれらのデータをデジタル・タコグラフに集約して記録し、分析をすることで、安全運転や燃費の改善に役立てることを運送会社に提案している。「時間通りに荷物が届いたとしても、それで十分というわけではない。運送会社の管理者は、運転手が危険な運転をしていないかどうか、途中の様子をできるだけ知りたいと考えている」(日野自動車 総合企画部の中村正氏)。センサーのデータを見れば、運転中に速度オーバーや居眠りなどの危険な運転がなかったか、燃費を悪くするギアの使い方や急加速がなかったか、といったことが分かる。それを基に適切な運転方法を指導すれば、安全運転や燃費の改善につながる。

 「プロの運転手を相手に根拠もなく指導はできない。データを蓄積し、最も燃費が良くなる運転方法を見つけ出して指導すれば、聞き入れてもらえる」(日野自動車の中村氏)。1台のトラックの燃費が10%でも改善すると、1社当たり年間で数百万円から数千万円のコスト削減に結びつくという。「近い将来、運転技術に応じて運転手の給料が変わるようなことも出てくるだろう」(同)。

情報の“バリア・フリー”を実現

 ユビキタスの環境は、企業の業務に生かせるだけでなく、顧客向けのサービスにも活用できる。例えば日野自動車は、バスの利用者の利便性を高める取り組みを進めている。2002年10月にKDDI、日本エリクソンと共同で試作した路線バスの乗降アシスト・システムは、Bluetooth搭載の携帯電話を利用して、乗客に適切なタイミングで車内のサーバーから情報を配信する。

 このシステムでは、バスがどの路線のどこ行きか、どのバス停で降りればいいのか、料金はいくらか、といった情報を乗客の携帯電話に知らせる。日野自動車の中村氏は、「バスは鉄道と違い、その土地に住んでいて路線や運行状況に詳しい人しか利用しづらい。携帯電話を通して情報を提供することで、だれもがバスを利用しやすくなる“情報のバリア・フリー”を狙った」と説明する。

 乗り物の利用客向けにサービスを提供する試みは、小田急電鉄や東京急行電鉄も取り組んでいる。小田急が2003年2月に本サービスとして始める「小田急グーパス」は、小田急線の利用者が駅の自動改札機を通過すると、その利用者の携帯電話に駅周辺の情報などを電子メールで届けるものだ。

 ユビキタス環境で携帯電話に情報配信するサービスは、ほかにも考えられる。ある商品を注文した人が届け先のコンビニエンス・ストアの前を通ったとき、「ご注文の商品が届いています。取りに来てください」と、その人の携帯電話に自動的にメールを送ることも可能になる。KDDIが2002年10月に開始した新サービス「GPS MAP」とGPS携帯電話を利用すれば、サーバー側から携帯電話の位置を把握して、場所に応じた内容のメールを配信できる。

 小田急電鉄の鈴木秀和 沿線事業部アシスタントマネジャーは、「最近、いろいろなベンダーの話を聞いていると、技術的にはどんなサービスでもできるという実感がわいてきた」と話す。携帯電話の普及やネットワーク・インフラの整備、ICチップなど、現時点でユビキタス環境を形作るための要素は、ほぼそろっている。これからは、顧客向けのサービスや、企業の業務にユビキタス環境を活用する時代に突入する(図3[拡大表示])。

図3●企業とユビキタス環境の関係。ユビキタスの基本技術が出そろい、いよいよ活用する段階に入った

顧客やモノの「動線」が分かる

 実際、ユビキタス社会に向けた取り組みは、これまで紹介した以外にも続々と始まっている。2005年3月に開催が予定されている愛知万博では、0.3mm角のICチップ(ICタグ)を張り付けた入場券を導入することが決まった。これを利用すれば、入場客がどのパビリオンをどんな順番で見て回ったかが分かる。動きを逐一分析して、混雑を解消するように誘導することも可能になる。

 商品にICタグを取り付けると、出荷や在庫の管理が容易になるほか、店内で客が商品を手にとったかどうかまで把握できる。この動きを分析すれば、商品がまったく売れそうにないのか、手には取ってもらえたが結局売れなかったのか、が分かる。2002年はアパレル企業などでICタグを試験利用する動きが始まった(本誌2002年10月21日号特集2「ごま粒チップで究極の顧客サービスを目指せ!」を参照)。また、出版業界では2005年をメドに、すべての書籍にICタグを付けて管理することを検討している。

 日本ユニシスでユビキタス関連のシステム構築を担当する迫畑廉ブロードバンドビジネス事業部副事業部長は、「POS情報による商品管理は、売り上げ後の結果を分析しているに過ぎなかった。ICタグによる管理で、売れ筋か死に筋かの傾向をいち早く見つけ出し、商品の返品やレイアウトの変更などの対策をとることができる」と話す。

 ソニーは監視カメラと画像処理を組み合わせたシステムの提案を小売店や飲食店に行っている。どの店のどの時間帯に顧客がどのくらい入っているか、といったことを分析する。効率的なレイアウトの設計に役立てられるとしている。

もうパソコンはいらない?!

 至る所にコンピュータがあるユビキタス時代では、パソコンの存在価値が薄まる。すでにAIU保険の代理店で保険商品を販売している営業担当者は、セブン―イレブンの店舗に設置されているデジタル複合機から、パソコンなしで営業に必要な書類やパンフレットを印刷することができる。

 マンション販売のダイナシティは、2003年に分譲する一部のマンションで、玄関の施錠、照明やエアコンの電源などを携帯電話から操作できるようにする。NTT-MEが販売している犬や猫向けの自動エサやり機「iSeePet」は、携帯電話から指示を出してエサをやることができる。エサやり機に付いているカメラで撮影したペットの様子を携帯電話から確認することも可能だ。いずれにしてもパソコンの出番はない。

二つの「ユビキタス」

 ユビキタスと名の付く言葉には、「ユビキタス・コンピューティング」と「ユビキタス・ネットワーク」がある。どちらも、コンピュータをどこでも利用できる世界を示す言葉だが、視点が異なる。

 ユビキタス・コンピューティングは、1988年に米ゼロックス パロアルト研究所のマーク・ワイザー氏が提唱した。コンピュータがどこにでも存在する環境のことである。

 ユビキタス・コンピューティングが、すでに身の回りに組み込まれたコンピュータを利用する環境であるのに対して、ユビキタス・ネットワークは様々な端末をいつでも、どこでもネットワークに接続できる環境を表している。この概念は、野村総合研究所(NRI)が1999年に提唱した。例えば、携帯電話やPDA(携帯情報端末)、カーナビ、デジタル家電などをネットワークに接続できる環境を指す。

 すでに最近の街中では、携帯電話やPHSの通信機能を使うだけでなく、無線LANを使った「無線スポット」でインターネットに接続することも可能になっている。従来は、有線のLANなどにつながったパソコンを利用するのが一般的で、端末も場所も限定されていた。

 ユビキタス・コンピューティングとユビキタス・ネットワークは将来的には融合していくと思われるが、同じ「ユビキタス」でも違いがあることは理解しておきたい。


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 新年を飾るのにふさわしい特集のテーマとして、ユビキタスを取り上げました。ナノ・テクノロジと並んで、ユビキタスは日本経済が復活するための有力な技術分野であると言われています。実際、昨年末からユビキタス関連のニュースが続々と飛び込んできており、今後が楽しみです。今年1年の動向を注目していきたいと思いました。(坂口)