人間の心理に起因した情報システム構築の失敗事例に焦点をあてて分析する――このようなセミナー「不条理なコンピュータに迫る」を,昨年12月15日に岐阜のソフトピアジャパンが開いた。

 このセミナーは,日経コンピュータの連載「不条理なコンピュータ」のなかで取り上げられた数々の問題プロジェクトを題材にした。筆者は連載の担当デスクだったので,執筆者の一部の方と一緒にパネラーとしてセミナーに加わった。会場の質疑応答などを通じて,不条理なプロジェクトは至るところにある構造的な問題であることを実感した。

 不条理な状況に巻き込まれて,会社を辞めなければならなくなった話もいくつか聞いた。大きな被害を受けるのは,たいていの場合,現場の第一線で働くITエンジニアである。不条理を防ぐのは難しいが,どのように不条理な事態が発生するのかを知っておけばITエンジニアの被害を軽減できる場合もあるだろう。ここでは,不条理なコンピュータについて,セミナーの話をまじえてまとめておきたい。

“道理”を通すことができないのが不条理なコンピュータ

 まず「不条理なコンピュータ」について簡単に解説する。不条理なコンピュータとは,問題が分かっていても,さまざまな事情でどうしても軌道修正できない道理が通らない失敗プロジェクトである。日本システムアナリスト協会の有志メンバーが,そのような事例が世の中に多いのではないかと考え,事例を分析するために不条理なコンピュータ研究会を設立。日経コンピュータの2002年10月7日号から2005年1月10日号まで,メンバーが経験した不条理な事例や分析結果を発表してきた。

 例えば次のような事例があった。ある製造業の社長が「ERPパッケージ(統合業務パッケージ)を使えば業務改革ができる」と夢を描いてERP導入プロジェクトを始めた。しかしパッケージを導入すると生産業務の改悪になることが判明。情報システム部門がプロジェクトの見直しを進言した。ところが社長は,「担当者が従来の業務に固執している」と主張する社外コンサルタントとITベンダーを信用し,現場の進言を聞き入れなかった。結局プロジェクトは破綻した(日経コンピュータ2002年12月2日号の不条理なコンピュータ参照)。

 このほか,「システム利用部門が中途半端な知識を振りかざしてITエンジニアの意見を抑えた結果,レスポンスの悪いシステムができあがった」「金融機関の役員や行政機関のCIO(最高情報責任者)のエゴのために,利用されないことが分かっているシステムを作らざるを得なかった」「米国企業の日本支社が,効果がないことを知りながら,米国本社の指示通りのIT化を進めて失敗した」「行政機関のシステム導入案件で,力のないことが分かっているベンダーが安値で落札しプロジェクトが失敗」「ベンダーの戦略転換で,ユーザーのシステム構築が頓挫」などといった事例があった。

 不条理なコンピュータは,日経コンピュータの記事「動かないコンピュータ」とよく比較される。一般的に動かないコンピュータの事例は,計画や開発の段階で,予算や体制,スケジュール,技術,資源などに問題があり不具合が発生する,というケースが多い。原因が解明され,それを直して修復するという形でたいてい話が終わる。

 これに対して不条理なコンピュータの事例は,関係者がプロジェクトの問題に気付いて,対策を講じようとしても,どうしても解決できないものばかりである。不条理なコンピュータを読んだ読者から次のようなコメントをもらったことがある。「動かないコンピュータを読むと『こういう失敗しないように注意しよう』と思う。しかし不条理なコンピュータは読むと気が重くなる。対策のしようがないからだ」

被害をモロに受けるITエンジニア

 不条理が発生する理由は,(1)ユーザー企業の経営者のエゴやIT無知・生兵法,システム担当者のビジネス無知やスキル不足・保身などによって,不条理につけ込まれるスキができる,(2)ITベンダーの経営者の能力不足やSEのスキル低下が,不条理の放置・拡大をもたらしている,と不条理なコンピュータ研究会のメンバーは分析している(2004年12月27日号と2005年1月10日号の日経コンピュータ参照)。失敗プロジェクトであっても各関係者は合理的に判断していると自分では考えているのがほとんどなので,問題はやっかいである。

 12月15日のソフトピアジャパンのセミナーでは,「プロジェクトがプロ不在の状況になっているのではないか」という問題がクローズアップされた。エゴや保身を考えてしまうのは,サラリーマンあるいは人間の性(さが)なので避けられない。通常は問題が発生したら,それに気付いて止めようというプロフェッショナルが出てくる。ところが,「現在は情報システム構築プロジェクトの利害関係者の業務遂行能力が劣化している。メンツや建前が前面に出て,正しい意見が掻き消えてしまう。問題があっても歯止めが効かないままにプロジェクトが進んでしまう」と日本電信電話公社や日立製作所で長年,情報システム開発にあたり今回のセミナーでパネラーの一人として登壇した味村重臣氏は指摘する。つまりプロ意識を持った関係者が不在のために不条理なコンピュータが発生したのではないか,というのである。

 味村氏は「ITエンジニアは,プロとして目的に沿った情報システムを作り上げなければならない。そのときに注意しなければならないのは,お客様は神様ではないということだ。顧客のいうことをそのまま聞けばよいというものではない。業務をきっちりと遂行できる能力を磨くべきだ」と続けた。ただし,先に述べたERP導入事例の社長のようにプロのITエンジニアを大事にしない風潮が世の中にあるのは困ったものだとも同氏は述べている。

 ここから言えることはプロ意識のあるITエンジニアが不条理対策のカギを握るということだ。「問題が分かっていても軌道修正できない」のが不条理なコンピュータではあるが,少なくとも問題の本質を捉えることができるのは,連載の事例をみてもITエンジニアである場合が多い。

 また,不条理なプロジェクトで最も大きな被害にあうのも,前述のように現場のITエンジニアである。不条理なプロジェクトで,システム開発がまっとうに進むはずはない。歪みの影響を強く受けるのは開発の現場だ。失敗するのが分かっているのに進まざるを得ないというのは現場に絶望をもたらす。この状況に置かれたITエンジニアは,第2次世界大戦における肉弾突撃の兵士と同じだ,という見方さえある(日経コンピュータ2004年12月13日号の不条理なコンピュータ参照)。

 不条理なコンピュータを避けるには,関係者が情報システム構築の本来の目的に向かって集中し,不条理を排斥できる環境を作らなければならない。そのためには,プロジェクトの目的や全体像を明確にし,関係者の多くがプロジェクト全体を見渡しながら状態を正確に把握できるようにする必要がある。そういう努力が,ITエンジニアにも求められる。

 ただしITエンジニア個人が,不条理プロジェクトを根絶することは難しい。ITエンジニアは自衛する術を身に付けておかねばならない。不条理が発生するケースを知り,少なくとも自分がどう渦中に巻き込まれているかを判断できれば,精神的なダメージを緩和できるだろうし対策もとりやすい。

 普段からビジネスやシステムの全体像を明確にする力や技術力に加え,折衝力や論理構築力などのビジネス・スキルをITエンジニアは身に付けておかねばならない。こうして経営者やシステム利用部門,情報システム部門,ITベンダーと利害調整を円滑にできるようにしておくスキルを高める努力が欠かせない――と不条理なコンピュータ研究会が連載終了にあたって提言している。

 筆者は2004年11月,日経コンピュータからITエンジニアのスキルアップのための雑誌,日経ITプロフェッショナルに異動した。企業や社会の仕組みを作るという大切な仕事を行っているITエンジニアの方々には,不条理から身を守りつつプロとして力を発揮できるように,と願うばかりだ。日経ITプロフェッショナルでも,そのために役に立つ情報を提供したいと考えている。

(安保 秀雄=日経ITプロフェッショナル編集長)