今回は以前から書きたいと思っていたテーマについて書く。実は筆者のWebページである「情識」で何度か書きかけたテーマなのだが,なかなか最後まで書けなかった。つい最近,このテーマに関してちょっと面白いことが分かった。その報告を兼ね,過去の原稿を再利用しつつ書いてみる。

 そのテーマを最初に考えたのは1991年前後であったと記憶する。当時の話題の一つに,「Windows対OS/2」というものがあった。今書くと隔世の感があるが,10数年前はそれなりに重要な問題とされていたのである。とあるIT業界関係者を取材中,その話題について聞いたところ,彼はこう答えた。

 「二つのOSの優劣を比較してもしょうがないですね。どちらがよいかと顧客のシステム担当者から聞かれた時には『特定の環境に依存しないようにアプリケーションを作る方法を一緒に考えませんか』と提案しています」

 筆者は「ついつい白か黒かという議論をしてしまうが,別の考え方があるわけだ」と感心した。それからは取材をしたり,記事を書くときに極力,白か黒かを決めつけるのではなく,もっと大きな枠組みで物事をとらえようとしてきた。

 しかし言うは易く行うは難しである。インターネット上で記事を発表し,読者の意見を直ちに読めるようになってみると表現力不足を実感する機会が増えた。ここで1年半ほど前,2003年3月17日に書いた文章を再掲する。「情識」にて公開した一文を一部修整した。


■2003年3月17日の一文

 つくづく難しいと思っているのは,「物事は1か0かで割り切れない」という主旨をうまく表現して読者に伝えることである。このことは以前にも本欄で指摘し,「そのうちきちんと書く」と言ったもののまだ書いていない。

 例えば「プロジェクトマネジメントの知識体系が重要」と書くと,「知識だけでプロジェクトはできない」「いくら管理をしてもプロジェクトというものは乗り切れない。結局は現場の人のやる気にかかっている」といった意見を読者から頂戴する。

 知識体系とかマネジメントというと,プロジェクト現場の実践力に相反するものとしてとらえられている。当然,現場の力は不可欠だし,それを引き出すマネジメントもいるし,現場とマネジャがお互いのやることを理解するために知識体系もいる。つまり全部が必要になる。しかし筆者の書き方が悪いのか「全部重要」ということが一部の読者には分かってもらえない。

 別の例はコンサルタントの問題である。コンサルティング会社が顧客先で起こしているトラブルを書くと,「コンサルタントを否定するのか」「コンサルタントに偏見を持っている」という意見が来る。筆者は,経営とITを結びつける人材が一番不足していると考えており,コンサルタントと呼ばれる人がその役割を担ってくれるなら大変素晴らしいと考える。実際に,優秀なコンサルタントの方も複数存じ上げている。

 このところ新聞を見ていて気になるのは「情報システムはフルアウトソーシングしてしまうのが正しい。自前でシステム部門を抱えて続けるのは非効率」といった論調である。情報システムのアウトソーシングについて筆者は「必要悪」と認識している。必要なのだができればしないほうがよい。またアウトソーシングに踏み切ったとしてもコストは劇的には下がらない。コストが下がるとしたら,情報システムの適用範囲を狭めるか,システムを担当する人員数を削減して,サービスの水準を下げるかしかない。

 このように書いたり話したりすると「アウトソーシング否定派ですね」と呼ばれてしまう。もちろん違う。状況を判断し,諸般の事情によりやむをえない場合,アウトソーシングに踏み切るしかない。ただ,「時流にのっており正しいことだ。コストも下がる」という姿勢はいかがなものか,ということだ。


「ANDの才能」を生かす

 1年半前に書いたものを読み直すといささか愚痴っぽいところがある。言いたかったことは単純である。「物事は本来1か0,白か黒で割り切れない」「○○推進派あるいは××否定派という言い方をやめよう」というものだ。

 プロジェクトマネジメントの知識体系は重要であるし,プロジェクト現場の経験もまた重要である。コンサルタントは必要な職業だが,その名に値する人も,値しない人もいる。ITのフルアウトソーシングはできればしないほうがいいと思うが,やむをえない場合もあり,いったんやると決めたら成功させなければならない。

 当たり前のことを書き連ねるな,とおっしゃる読者もあるだろう。しかし当たり前のことほど難しいものであり,それを書くことも簡単ではない。「物事を白か黒で割り切るな」と書くだけではどうにも芸がない。うまい言い方はないかと考えていたときに,『ビジョナリーカンパニー』(ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス 著,山岡洋一 訳)という本を読んだ。