日経情報ストラテジーは2004年1月号(2003年11月24日発売号)の特集で,「脳本経営」を取り上げた。9月から11月にかけて,約30社の先進企業を取材した結果,来年以降に注目される経営キーワードとして「脳本」が浮かび上がってきたからだ。

 脳本とは優れた頭脳を持つ人材のことで,資金を表す「資本」と比較して使われる。今後は資本の大きさでなく,脳本の大きさ,つまり自発的に考えられる力を持った優秀な人材の数が企業の優劣を左右するといった主旨で記事を書いた。

 脳本経営という言葉になじみがない方も多いだろう。実際,取材先で訪れた企業のほとんどが,脳本という言葉は使っていない。だが,取材を終えてみて,記者がたどり着いた結論は,今後の勝ち組企業に共通する原動力が「脳本」であるということだ。多くの取材先が,「自分から積極的に考えられる人材をどれだけ抱えられるか」という話題を繰り返し口にしていたのである。

変化を察知できる人材を育てろ

 今回の特集は当初,「2004年から2005年にかけて,先進企業はどんな経営課題に注力していくのか」「どんなシステム・インフラが必要になるのか」といったことをまとめる企画だった。取材を進めてみると,「優秀な人材を生かせる環境作り」というテーマが,多くの企業で焦点になっていることが分かってきた。

 日経情報ストラテジーでは長年,ナレッジ・マネジメントについて取り上げてきたが,これはどちらかというと,優秀な社員やベテラン社員が持つ知識やノウハウを全社で共有していくというものだ。こうした「底上げ」が一段落した先進企業は,次に,優秀な人材を生かすことに経営のテーマをシフトしたようである。

 その背景にある,もう1つのキーワードが「変化への対応」だ。この言葉は今回の取材中,ほとんどの企業から聞かれた。「変化への対応」を口にしなかった取材先はなかったと言ってもいいほど頻繁に聞かれたキーワードである。

 顧客や市場の変化に素早く気づけるかどうかは,「変化を察知できる人材を何人抱えているかで決まってくる」というのが,共通した見解だった。そこで今回の特集では,優秀な人材を「自ら考え,変化を察知できる人」ととらえてみることにした。

 変化を察知する能力は,その人の感性やセンスに依存する部分が大きい。成績が良い社員が必ずしも変化に気づけるとは限らないのが興味深い。ときには,人とは違った視点が必要だったりする。

 しかも変化を察知できる人材は,1つの企業にそれほどたくさんいるわけでもない。取材させていただいた企業もそのことを理解している。

 では,どうしたらよいか。1つのアイデアは,1人でも多くの人に変化を察知するためのアンテナを伸ばしてもらい,変化の予兆や対策をどんどん吸収していこうというものだ。考えてくれる人が多ければ多いほど,変化に気づける確率も上がるという発想である。

 いくつかの企業では,自社の社員にこだわらず,取引先の社員まで含めて,変化を察知できる人材を抱え込んでいこうという取り組みを始めていた。そこで,これを特集テーマの柱にした。脳本経営を,広く取引先まで含めた頭脳の活用と位置づけたのだ。

取引先の頭脳を生かせ

 脳本経営と題した今回の特集で記者が一番言いたかったのは,「変化を察知するためには,社外の人材の頭脳まで積極的にを活用していこうじゃないか」ということだった。

 これは従来からあるアウトソーシングやコンサルタントの活用を意味するのではなく,自社に欠かせない取引先の頭脳を活用することを指す。

 そもそも自社の社員数には限りがあるし,ましてそのなかで優秀な人材は限られてくる。社員が変化に気づけるとも限らない。それならば,パートナー企業の頭脳まで取り込んで,互いに成長していく道を模索すべきだろう。

 脳本経営の好例として,特集の冒頭では,アスクルとその取引先である住友スリーエムの事例を紹介した。欠品率を下げるという共通の目標を,互いに顧客の動きを見ながら達成しようという取り組みだ。

 この事例で重要なポイントが,アスクルからスリーエムへの情報開示だった。アスクルの販売実績や在庫数,需要予測という「生」の数値をスリーエムに開示することで,スリーエムがアスクルの課題や自社の課題を素早く考えられるようになった。これが変化を察知するカギを握っていた。

 変化に気づき,次の一手を打つためにはまず,正確な情報が必要だ。誰かが「何か変だな」と思ったとき,すぐに自分で情報を調べられないと,そこから先に進まなくなる。せっかく気づいた変化の予兆を客観的なデータに基づいて確認できなければ,そこで思考がストップしてしまう。

 自社の社員なら,あれこれ社内に手を回して情報をかき集めることもできるだろうが,社外の人となるとほぼ無理だ。

 パートナー企業の頭脳をフル回転させて,気づいた変化に対する改善策や斬新なアイデアを打ち出してもらうには,考えるための材料やヒント,きっかけになる自社の情報開示が不可欠になる。

 今まで開示されることがなかった情報がパートナー企業の頭脳を活性化する。これからの企業は,パートナー企業の頭脳まで生かせる情報開示の姿勢とインフラが必要になると,記者は考えた。

ウォルマートは頭脳を生かすのがうまい

 アスクルとスリーエムを取材していた際に,世界最大の小売業者である米ウォルマート・ストアーズの成功を思い出した。ウォルマートの強さの秘密はいくつもあるが,なかでも同社が得意とするのは取引先の「動機付け」だ。

 アスクルの取り組みの本質が,ウォルマートと同じような気がしてきた。販売実績や在庫数,店舗情報を惜しげもなく開示して,取引先の心をつかむのだ。

 「販売力があるウォルマートがここまで情報を開示してくれるなら,ウォルマートのためにがんばろう」という気持ちにさせる──。これがウォルマート流の頭脳活用法である。商品のことを一番良く知っているメーカーの力を最大限引き出すための知恵だ。

 アスクルやウォルマートの取り組みからも分かるように,成長を続ける企業が今後もパートナー企業に対して情報開示を加速していくのは明らかだろう。特集ではほかに,ファミリーマートとその取引先であるキリンビバレッジの事例なども紹介している。いずれも,情報開示で取引先に自社のことや顧客の動きを知ってもらい,素早い意思決定に役立ててもらおうとしている企業だ。

 変革を望んでいる経営者は,自社のビジネスにかかわる人たちが,いつでもほしいときに正確な情報を入手できる仕組みを作り上げるべきだろう。この際,自社内にとどまらず,取引先までを巻き込んだ環境を作ることが重要だ。そして斬新なアイデアや提案,意見を社外からも貪欲に吸い上げ,変化に対応していく。

 こうしたインフラの構築自体は,今のIT(情報技術)を持ってすれば難しくない。すぐにでも取り掛かるべき経営課題ではなかろうか。

(川又 英紀=日経情報ストラテジー)