これまで英文誌Nikkei Electronics Asiaの編集者として,千人近いアジア人にインタビューしてきた。これらの取材を通し,アジアをはじめとして海外の視点から日本を元気にするアイデアを「記者の眼」を通して紹介してきた。
技術開発力とライセンシング/ロイヤリティ収入による英国のビジネス・モデル,人がやらないニッチ市場を得意とする台湾の華人ネットワークおよび情報収集能力,国内産業の保護よりも外国企業誘致で自らもグローバル企業になりきるシンガポール,IMF通貨危機で4兆円を超える借金をわずか2年半で返済し,IT立国に変貌を遂げつつある韓国などなど。
経済的に成長してきた国に共通することは,海外企業を積極的に誘致し,自国の産業のグローバル化を図ってきたことだ。とかく井の中の蛙で自国の産業を守るためと称して,外国企業を締め出してきて発展した国はほとんどないのだが,例外が実はこの日本である。
日本が戦後,成長してきたのは他の理由による。すなわち,朝鮮戦争およびベトナム戦争の特需だ。しかし,デフレ・スパイラルに入ってしまった今,外国企業との適切な競争なくして勝利はありえない。
海外企業で誘致で成功した例に学ぶ
この日本の閉塞感を打破する方法の一つが,前回「外国企業の積極的な誘致が国内の活性化につながる 」で取り上げた海外企業の日本への誘致だ。
海外企業の積極的な誘致が国内産業を活性化するという考えに対して,本当に取材したのかという読者の声まであったほど,井の中にいては理解できないらしい。日本では民間企業といえども銀行,建設などは中国でいう国営企業に近い。世界の企業と競争する必要がなかったためだ。世界と競争すべき市場を持っている企業は実はそれほど多くはない。
そこで,いま一度,海外企業を誘致してきた国々を見て,長期的には国が栄えた例を簡単に比較してみよう。
守ることに主眼を置いたマレーシアやインドネシアに対して,積極的に税制優遇策まで付けて誘致を展開してきたシンガポールや香港はいち早く発展した。マレーシアは日本をモデルとしたルック・イースト政策をかつては推進していたが,今は海外企業を積極的に誘致する政策に遅ればせながら変えた。
ライバルであるシンガポールは,日本をモデルとはせず,米国と欧州をモデルとし,自国の公用語を英語に変え,建国後一貫して海外企業の誘致を促進してきた。いまは,もはや工場向けの土地がないため,地域本社(リージョナル・ヘッドクォーター)を誘致,工場には近隣のインドネシアやマレーシアを紹介する。収入は本社に落ちるからだ。
米国でさえ,「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がもてはやされた80年代後半,ノースカロライナ州,サウスカロライナ州,ジョージア州など州ごとに企業誘致活動を展開した。三菱電機がノースカロライナ州に工場を設立したのはこのときだ。英国は,サッチャー首相時代に日本企業誘致に来日した。日産自動車やNECが英国に工場進出した。
中国は,WTO加盟による貿易自由化を選択した。WTO加盟は,短期的には国営企業に打撃を与えるが,長期的にはグローバル競争に勝てるようになるという狙いだ(関連記事)。中国と同じように開放策をとってきたベトナムは,誘致と制限を繰り返しながら自国の産業を守ることに主眼を置いている。一方,中国は外国企業を積極的に誘致するため税制優遇策まで用意している。ベトナムから撤退する企業が出てくるのは時間の問題といえよう。
前回,韓国が税制優遇策も含め,積極的に外国企業の誘致に力を入れ始めたことをお伝えしたが,韓国は70-80年代には外国企業を受け入れながらも制限を強め,外国企業に逃げられたという苦い経験がある。しかし,IMF危機を乗り越え,グローバル競争に敢然と挑むようになった韓国は,外国企業の誘致によりグローバル競争にも勝とうとしている。
誘致した海外企業との競争で,本当に力のある国内企業だけが生き残る
米国は復活する前の80年代後半に,競争力という考えにもっとも力を入れた。半導体コンソシアムであるSEMATECHの設立に,サイプレス・セミコンダクター社のCEOであるTJ・ロジャース氏が強行に反対し続けた。国家からの補助金に頼る共同プロジェクトでは競争力がつかないということが反対の理由だ。米国は競争力をつけるために日本からも生産技術について学んだ。
今の日本が必要とするのは,まさに競争力である。海外企業を積極的に誘致し,国内企業と競争させれば,本当に力のあるところが生き残る。ダメな国内企業は市場から去ってゆけばいい。つぶれた企業の従業員を雇用する場は,海外企業が提供してくれる。ワークシェアリングのような社会主義的な発想は,競争力をつけるうえでむしろ害になる。国内で外国企業と競争して生き残れるところがグローバル競争にも勝てるところとなる。
さらに,アジア人への偏見を取り除き,アジアからも学ぶという謙虚な姿勢がなくては復活はありえない。80年代後半の米国では,東部のエスタブリッシュメントの一部は日本などから学ぶ必要はないと主張したが,日本に対する偏見が米国にとって最大の敵だ,というリベラル派が結局勝った。今の日本は,まさにこのときの米国と同じ状況にある。日本にとって,アジアへの偏見こそが最大の敵だと,声を大にして言おう。
最後に,小生は9月末をもって日経BP社を退社し,新しい挑戦を始めることになりました。これまで海外の視点でこの「記者の眼」を執筆してきましたが,この記事が最後になります。ありがとうございました。
(津田 建二=前 Nikkei Electronics Asia チーフ・テクニカル・エディター)