少し前のIT Proニュースで,日本IBM・大歳卓麻社長の「ユーザー企業には,技術者の出席をとらないでいただきたい」,という発言が紹介されている(当該記事)。「技術者の頭数ではなく,成果物について対価を払っていただける商慣習に変えていくよう,広く呼びかけたい」,という主旨だ。

 私自身も取材のなかで,技術者の数や開発にかかった時間でシステムの価格を決めるのはおかしい,という声を,多くのSEの方々からお聞きする。ベンダーに籍をおくSEからだけではなく,ユーザー企業の方からもである。

 システム開発にかかる工数,すなわち“人月”は,価格見積もりの根拠として,現在でも広く使われている。仮に一月100万円のSEが10カ月働いたから1000万円,という見積もりがあったとしよう。では,そのSEが努力して生産性を向上させ,5カ月でシステムを開発できるようになったら,価格は500万円になってしまうのだろうか。あるいは,顧客が期待している以上の質の高いシステムを完成させ,期待を上回る利益をもたらすことができるとしても,かかる工数が同じならシステムの価格も変わらないのだろうか。そもそも“一月100万円”には明確な根拠があるのだろうか。

 「どう考えてもこれはおかしい。これでは,SEのモチベーションも上がらないし,結局はユーザーにとっても不幸なことではないだろうか。何か処方箋(せん)はないのだろうか」--。 こんな思いを抱きながらこの2カ月,「システムの価格」をテーマに取材を続けてきた。

 取材を終えて見えてきたことが二つある。一つは,SEの能力や努力が価格に反映されないし,そもそも“原価”の算出方法としてあいまいだった人月ベースの価格決定に替わる手法が,いろいろな現場で試みられていること。そしてもう一つは,システムの価格を“原価”によって決めるのではなく,そのシステムがユーザーにもたらす“価値”によって決めよう,という機運が高まってきたことだ。

まずはコストの算出からあいまいさを排除する

 “人月×単価”によるシステム価格の提示方法を改善しようという動きは,今に始まったことではない。例えば情報サービス産業協会(JISA)は,1992年3月にまとめた「情報サービス業の取引高度化に関する報告書」の中で,“人月単価打破へのアクション・プラン”を提言した。

 これを実現するために,技術者の力を客観的に評価できるようにする目的で情報処理技術者試験を見直したり,人月による見積もりのあいまいさを排除するために,ソフトウエアの持つ機能を定量的に算出する手法である「ファンクション・ポイント(FP)法」を紹介したりしてきた。ただし,「これまでのところ決定打は出ていない。いろいろなアプローチを継続中」(JISA 調査企画部)というのが現状である。

 だがここにきて,FP法を利用する企業が目立ち始めた。エヌ・ケー・エクサは1994年から一部で利用開始し,2001年になって保守業務以外のすべて実績報告にFP値を入れることを義務づけた。電通国際情報サービスでは,1998年5月から取り組みを始め,現在は,工数見積もりの参考値として利用中だ。ユーザーとインテグレータの間で,実際にFP値が契約のベースに使われた例もある。岐阜県は,2001年3月にNTTコミュニケーションズと結んだアウトソーシング契約のなかで,既存のシステムを再開発し直すために必要なコストの算出に,FP値を利用した。

価格を“ユーザーにとっての価値”から定める

 FP法には,要求仕様が十分に固まっていないと正確にFP値をはじけない,FP値と工数との相関を求めるために長期にわたる実績データの積み上げが必要,などの課題もあるが,少なくとも,原価算出のあいまいさを排除しよう,という考え方には注目したい。SEやプログラマの仕事量を,かかった時間ではなく実現した機能で測ることで,より客観的な評価ができるようになる,という期待もある。

 とはいえ,FP法はあくまで“ソフトウエアの機能量”を測るものである。信頼性や品質,といったいろいろな切り口でシステム全体を評価することはできない。また,ベンダーにとっては見積もりの精度を上げるなどのメリットがあるが,ユーザーにとっては,システムの価格を評価する指標にはなりにくい。その意味では人月と同じで,FP値がいくら,と聞いても,ではそれが,自社にどれだけのメリットをもたらすか,には直結しにくいからだ。

 そこで,ユーザーの視点から,“人月”に替わる新しい指標を模索する動きもでてきた。リクルートのECサイトはその一例だ。ECサイトでは,基本的にはアクセス数が増加すればするほど利益は増えるはずである。ところが同社では,サイトの規模が大きくなるにつれ,アクセス増による売り上げの増加分を,アクセス増に耐えるためのインフラ増強のコストの方が上回ってしまう,という問題に悩み始めた。

 ユーザーからすれば,「アクセス数や会員数の増加などの目標が達成できれば,何人で作ろうとどんな実装方式であろうと納得できる。逆にシステムがもたらす売り上げ増とは関係なく,かかったコストだけでシステムの価格が決まるのはおかしい」と考えるのが自然だろう。そうしたユーザーに,ベンダーが「FP値がいくらでコストはいくら,使った製品・技術はこれ,従ってこのシステムの価格はいくら」と接しても,両者が納得できる価格を決めるのは難しい。

 「ユーザーとベンダーでコミュニケーションする“言葉”が違うと不幸な結果になる」(リクルート 次世代事業開発グループ メディアデザインセンター システムアーキテクト 熊澤公平氏)。この課題を解決するために,リクルートでは今後は,かかったコストをアクセス数や会員数など売り上げに比例する数字で割った値を,SIベンダーとの間で共通の指標とする計画をたてている。システムの価格を評価する指標に,システムの価値やユーザー側の目標を表す要素を含め,両者が納得できる共通の“言葉”を見出そう,というわけだ。

 すべての例を紹介することはできないが,システムのもたらす価値を重視して価格を評価し直そう,という例はほかにもいろいろある。まだ事例は少ないものの,システムやサービスの価格を,“売り上げ見合い”,つまり売り上げに対する固定割合で決める,という成功報酬型の契約も登場している。

 こうした試みを成功させるためには,ユーザーとベンダーの双方に努力が必要だ。

 ユーザーは,システムの目標を明確にし,それを分かりやすくベンダーに伝え,かつ,できあがったシステムの価値をきちんと評価する力を持たなければならない。ベンダー側も,かかった人月やコストでユーザーと話をするのではなく,自社の技術やアイデアがユーザーのビジネスにどれだけ貢献できるのか,をきちんと説明し,それに対する正当な報酬を得る努力が必要だろう。

SEの技量によって,システムの価値は大きく変わる

 最後にもう一つ,語っておきたいことがある。それは,技術やアイデアの個人差は,とても人月単価では表現しきれない,ということだ。

 東建コーポレーションのマルチメディア開発部次長の小山伸治氏は,「(できるSEとできないSEでは)6倍くらいの差がある」と見ている。「優秀なSEは簡単な要件のプログラムに対して3日でプロトタイプを作成し,1週間で完成させたが,だめなSEは1カ月でも仕様すらきっちりしなかった」

 もっと大きな個人差を示すデータもある。米IBMのサンノゼ研究所の実験調査では,数百ファンクション・ポイント以下といった小規模なシステム開発で,開発者によって最大25倍の生産性の開きがあったという。

 定量化が比較的しやすい生産性という尺度で考えただけでも,技術者個人の力量にはこれだけの差がある。システムのもたらす“価値”に着目すれば,その差はさらに大きくなるだろう。

 今,情報システムは,業務の効率化を支援する単なる“道具”から,新しいビジネスを展開する“場”そのものへと進化しつつある。そのシステムを手にできるかどうかで企業の明暗が左右されることすらある。そして,同じ製品・技術を使えば誰にでも同じ価値のあるシステムができるわけではない。結局,システムの価値を左右するのは,システム構築に参画する人の力なのだと思う。

 だからこそ,力量のあるSEが正当に評価される市場に変わっていってもらいたい。それはすなわち,“人月いくら”という商習慣から抜け出すことだ。その試みは今,多くの現場で始まっている。

(森側 真一=日経オープンシステム副編集長)

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