育児休業を取得したイクメンSEのインタビューの2回目は、日本IBM グローバル・ビジネス・サービス 第2インダストリアル・ソリューション 製造ソリューショニング推進 アソシエイト・アーキテクトの関鋭生(せき・えいぶ)さんにご登場いただく。製造業の顧客の業務システムを開発するSEである関さんは、2011年春に第一子の男の子が生まれ、そこから半年は関さんの配偶者が育休を取り、バトンタッチする格好でその後半年を関さんが育休を取った。「家事と育児を分かち合うのは妻との絶対の約束でした」と話す関さんは働きぶりをガラッと変え、育休中も今もその約束を果たしている。

(聞き手は井上 英明=日経コンピュータ


普段のお仕事ぶりを教えてください。

 学生時代からコンピュータが好きで日本IBMに新卒入社しました。今年で14年目になります。ずっと製造業のお客様の業務アプリケーションを開発する業務SEをしてきました。

 現在は建築系のお客様を担当しています。震災復興などの需要増に対応するためのシステム刷新プロジェクトに入り、業務アプリケーションの一分野を担当するチームでサブリーダーとして働いています。最大で10人を超えるチームになりそうです。要件定義が終わり、7月から外部設計が始まりました。来年夏前に立ち上げを予定しています。なかなか内容が盛りだくさんなので、ここから作業を効率して全力疾走でプロジェクトを進めなければ、というところです。

第一子の育休はいつ取られましたか。

 2011年の春に第一子が生まれ、その半年後の2011年秋から育児休職を半年間取りました。復職は2012年の春です。

 妻も仕事が好きで、「子どもを持つのであれば、あなたが絶対に半分以上の家事育児をすること」という大前提というか絶対条件がありました。この条件に従い、妊娠が分かった時に最初の半年は妻が、そして次の半年は私が育休を取ると決めました。

 育休中は子どもにはミルクをあげておむつを替えてお風呂に入れて寝かしつけての毎日でした。もう4歳になりましたが、今もお風呂は基本的に私が入れています。料理のスキルは無いので妻の作り置きを温めたり、実家からの差し入れを食べたりしていました。東日本大震災の後だったので、何度もスーパーを往復して水を確保したりしましたね。

 妻も夜7時ぐらいには帰ってきましたが、私の方が泣き止ませたりあやしたりするのはうまくなりましたね。妻が担当した生後半年よりは、私が担当した半年から1年のほうが子どもが親を認識するからでしょうか。子どもは親戚中、パパっこということになっています(笑)。子どもは好きですね。妻よりも自分の方に寄ってきてくれると、「(育休を)取った甲斐があったな」と思います。ただ、夜泣きの時にだっこしなければいけないのですが。

 絶対条件をほごにしたら、守らせるために妻はどんな手段を講じてくるか(わからない)というレベルですので、絶対にほごにはできませんでした。育休を取ったことに対して、妻は「いい経験になったんじゃない」という感じですね。当然の約束を守った、という評価でしょうか。