アラン・ケイが「すべての年齢の『子供たち』のためのパーソナルコンピュータ」を踏まえて、41年後に書き下ろしたエッセイ「Dynabookとは何か?」の全文を掲載する連載の第2話。今回は同氏がDynabookのアイデアを得た様子を振り返っている。それは1967年、マサチューセッツ州のレキシントンで見学したある学校での授業にあった。(ITpro編集部)


アラン・ケイ(2008年11月5日) "<a href="http://www.flickr.com/photos/mwichary/3010038396/" target="_blank">Alan Kay</a>" by <a href="http://www.flickr.com/photos/mwichary/" target="_blank">Marcin Wichary</a> is licensed under <a href="https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/" target="_blank">CC BY 2.0</a>
アラン・ケイ(2008年11月5日) "Alan Kay" by Marcin Wichary is licensed under CC BY 2.0
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 1966年の私は、ARPAコミュニティに属する大学院一年生でした。そして、それまでの成果を目の当たりにしてわくわくしていたのです。私は、エンジニアのためのデスクトップコンピューター「FLEX Machine」に関する仕事で、エド・チードルと働くチャンスに飛びつきました。このFLEXMachineは、高度に対話型の「エンジニアやその他のプロフェッショナルのためのサービスパートナー」で、机の上に設置できました。そして、いくつかの優れたアイデアをSketchpad、LINC、GRAIL、NLSなどから取り込んでいました。具体的には、複数のウインドウを持ち、オブジェクト指向ユーザーシステムとオブジェクト指向OSを備えていたのです。

 その翌年、私はマサチューセッツ州レキシントンにある、とある学校でのLOGOを用いた授業を見学しようと、パパート、ウォーリー・フォーリッグ、シンシア・ソロモンたちを訪問しました。これが天の啓示だったのです!LOGOを使った授業は、ARPAがそのビジョンを特徴づけるために主に用いていた「ツール」と「乗り物」の比喩(ひゆ)よりも、私にとってはるかに重要なものになりました。私にとってその天啓は、マリア・モンテッソーリの「パワフルな認識の環境」とマーシャル・マクルーハンの「メディアの環境」から得られた刺激に似つつも、より印象的なものになりました。それは、印刷機の発明とその影響を私に想起させたのです。授業で目にしたのは、単なる「人間知性の増強」ではなく、「人間知性の初期形成」でした。これは「サービスのアイデアとして非常に重要で広大な」ものだったのです。