内部統制や日本版SOX法対応を巡って、誤解が広がっている。その原因は数多くある。内部統制の概念は抽象的で、すぐには理解しにくい。個人情報流出の危機が目に見えていた「個人情報保護法」施行時などと比べると、対応を怠った場合の悪影響を実感しにくい。米国のSOX法が厳格過ぎるため、米国企業が大幅なコスト増にあえいでいる実態もある。誤解に乗じて危機感をあおるコンサルタントやIT(情報技術)ベンダーも少なくない。今回と次回で、典型的な8つの誤解と、その対処法を紹介する。

■誤解1:法対応のために余計な仕事が増える

→日本版SOX法は米国ほど厳格ではなく、負担軽減も可能

 世界最大の製薬企業である米ファイザーの日本法人、ファイザー(東京・渋谷)では、米国SOX法に対応するための内部統制を整備し、今年で運用3年目に入っている。米国SOX法の厳格な規制に準拠しているファイザーでは、実際に業務負担が増えている。

 負担増が目立つ業務の1つが受注業務だという。ファイザーでは受注の95%は「医薬品業界データ交換システム(JD-NET)」を通じて自動処理されるが、残りはファクスで受注し、4人の受注担当者が情報システムにデータを入力している。

 「手作業入力の業務プロセスが、SOX法的にはリスクということになる。特に、入り口(受注)はしっかり統制しようという全社方針がある」(営業推進統括部営業支援部の山上寿久・担当部長)。受注全体に占める割合は少なくても、数量などの入力けた数を間違えると影響が大きいからだ。

 従来は受注データを入力したら業務は終わりだった。しかし、SOX法対応によって、山上担当部長が、受注担当者とは別の第三者として、ファクスと受注画面をプリントアウトしたものを、1枚1枚照合してサインする作業が新たに加わった。

 ファクスは1日平均40枚程度あり、山上担当部長は毎朝30分以上をチェック作業に費やす。本来の営業支援などの業務をこなしながら、時間をやり繰りしている。

 もちろん、事前に入力間違いが見つかって誤受注を防げるメリットもある。しかし、「チェック作業はかなりの負担になっている。米国との文化の違いもある。リスクを抑えたまま業務プロセスを変えられないかを考えている」(山上担当部長)。

 一方で、日本版SOX法は、「米国ほどは厳しくならない」(金融庁企業会計審議会内部統制部会部会長を務める青山学院大学大学院の八田進二教授)米国企業と同様の厳格な内部統制は必要ないと見られる。

 監査法人トーマツの久保惠一・代表社員は、「受注は通常、売上高計上の前段階の業務。受注してから実際に計上されるまでの後工程でチェックすればいいケースもある。しかし内部統制に決まったやり方はなく、企業によってどこでチェックすべきか、よく分析する必要がある」と話す。

 日米問わず、内部統制に「ここまでやれば十分」という唯一の基準はない。外部の監査法人の考え方などによる部分も大きい。デンセイ・ラムダの熊澤本部長のように、自社が主体となって内部統制のあり方を考える必要がある。

 チェックや承認のプロセスがある程度増えることはあり得るが、すべてが余計な仕事とは限らない。「部下には『本来やるべきことをやっている』と、正論で説明している」(熊澤本部長)

 従来からきちんとルールがあって、それに確実に沿った業務が行われていて、不正もミスも皆無、という企業は少ないはず。企業として本来やるべきことをして、リスクを軽減するための負担ととらえる必要があるだろう。

■誤解2:「実施基準」確定まで待ったほうがよい

→早期に始めれば試行部門でのノウハウ蓄積が可能に

 7月上旬時点では、金融庁から日本版SOX法の実務的な指針である「実施基準」は公表されていない。実施基準の「公開草案」は8月後半以降に公表されそうだが、確定は年末ごろになる可能性がある。

 「今、日本版SOX法対応プロジェクトを始めると効率が悪い」と、様子見している企業も多い。その企業の業務内容にもよるが、「最低限の対応だけなら、(制度適用が始まる)2008年4月から始めても間に合わないこともない」(トーマツ コンサルティングの樋渡雅幸シニアマネジャー)。

 一方で、ヤマトグループのように既に対応に着手している企業も多い。プロジェクトを早めに始めれば、自社の業務プロセスをじっくりと見直せるメリットがある。例えば日清オイリオグループは、昨年8月という早期にプロジェクトを立ち上げた。「業務記述書」 「業務フロー図」「RCM(リスク・コントロール・マトリクス)表」の3点セットの作成を始めている。目標は来年4月からの運用開始。後に成立した日本版SOX法が求めるより1年前倒しのスケジュールだが、法案成立後も延期はしていない。

 「実施基準」がはっきりしないため、「後で作業の過不足が出るかもしれない。ただし、プロジェクトの目的は、財務報告の信頼性だけではなく、業務の効率化・可視化も目指している」(森川聡・経営企画室長)

図6●日清オイリオグループの内部統制構築計画
図6●日清オイリオグループの内部統制構築計画
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 この目的のためには、必ずしも作業内容を最低限に絞り込む必要はない。「今後、製品などによって販売業務プロセスが違うなら、標準化することも考えられる」(同)。こうした時間的余裕もある。

 部門を限定してじっくりノウハウを蓄積できることも早期着手の大きなメリットだ。日清オイリオも、トライアル(試行)部門を決めて文書化作業を進めた(図6)。トライアル部門は東京支店(営業部門)や横浜磯子工場など、他拠点・子会社などへ展開する場合にひな型になりそうな部門を選んだ。「実施基準」と比較して作業の過不足が発生したとしても、全社展開時に調整できる。

■誤解3:文書化は専門家に任せるべきだ

→まず自力で業務プロセスを明確にする努力が

 日本版SOX法対応のために、外部専門家に作業を任せるべきかという問題がある。コンサルティング会社はセミナーなどで「内部統制は専門的ノウハウがある我々にお任せを」と盛んに宣伝している。

 社内の各業務プロセスについて、「業務フロー図」「RCM表」などを作る「文書化」の作業は、「自社だけでやるのは無理がある」(日清オイリオの森川室長)というのが企業側の一致した意見だ。外部専門家の力を借りたほうがいいのは間違いない。

 ただし絶対に避けたいのは、外部にすべて任せてしまうこと。「我々はRCM表などを知らないので、教えてもらう価値はある。ただ、コンサルタントは我々の実務に詳しいわけではない。文書化後の業務プロセスが実際にうまく機能するかどうかも考慮してくれない」(デンセイ・ラムダの熊澤本部長)。外部任せにすると、現実的ではない業務ルールを作られて、プロジェクトが終わってコンサルタントが帰った後に、やたらと書類や押印が増えた日常業務に苦しむことになる。

 トーマツ コンサルティングの樋渡氏は、「あるべき内部統制を定着させるには、現場の社員に自分で業務フロー図などを書いてもらうのがいい。外部任せにすると、先々で新規業務が増えた時に、また頼まなければならなくなる」と話す。

 業務フロー図やRCMなどは一見見慣れないが、「書こうと思えば誰でも書ける。多少非効率でも、何人かで議論しながら書けば、理解が進みやすい」(樋渡氏)。

 富士電機ホールディングスでは、自発的に手を挙げた電子部品子会社の販売部門などで、文書化を試行。担当者一人ひとりが業務フロー図を書いた。「営業担当者に自分の業務を文書化させると、必ず『お客様から引き合いをもらう』という内容が入るが、これは財務報告には直接関係しない」(財務部の有次高明マネージャー)。問題点も出てくるが、外部専門家の指摘を受けながら書き直していった。

 「現場が書いたものが適正かどうかをチェックする段階では特殊なノウハウが必要なので、外部のアドバイスをもらうといい」(トーマツ コンサルティングの樋渡氏)。あくまで企業側が主体となって文書化を進め、外部専門家にそれを認めさせるという手順が良いようだ。

■誤解4:法対応コストとして割り切るしかない

→ミスによる残業の削減などを見積もれば“投資”と位置づけられる

 ユニ・チャームは今年4月に「内部統制整備プロジェクト」を立ち上げた。プロジェクトを主導する岩田淳・執行役員経理部長は、「プロジェクトとして採算が取れないといけない」と話す。

 そこで、業務効率化によって費用を上回る効果が出るというシナリオを作った。「もし売掛金に間違いがあれば、訂正や顧客への謝罪などに時間がかかる。内部統制の整備によってミスを防ぐことができれば、本来の業務により集中できるはず」

 これによって、残業時間を2割削減するなどの目標を立て、効果が費用を上回ると計算。不正を防ぎ社会・株主の信頼を得るというだけではなく、「業務を標準化する」「ミスを無くす」ことによって生産性を上げる目的を明確に掲げて、プロジェクトを推進している。

 業務フロー図なども、各現場から参加する社員が自分で書くのが原則。「この目的のためには、(外部コンサルタントではなく)実際に業務をしている我々が主体になる必要がある」(岩田執行役員)

 青山学院大学大学院の八田教授は、「内部統制を整備するなかで、非効率だが惰性で続けている業務プロセスが見えてくる。積極的に考えれば、効率が上がる効果はある」と話す。トーマツ コンサルティングの樋渡氏も、「経理部門の人員を減らせる可能性もある。新人などに業務プロセスを理解してもらうための研修コストという見方もできる」と指摘する。

 いずれにせよ、日本版SOX法対応を、費用対効果が見込める「投資」として位置づけることが重要になるだろう

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(清嶋 直樹=日経情報ストラテジー)