企業の法令違反を社員が社内外に通報しても、それを理由に解雇や左遷などの措置を受けない——2006年4月に施行された「公益通報者保護法」は内部通報を促進し、企業に巣食う「膿(うみ)」を浄化する目的を持つ。この法律に対応し、内部通報の窓口整備から事実調査、再発防止までのシステムを整備することが迫られている。

 2005年12月。大阪市内の「マイドーム大阪」で開かれた内閣府主催の「公益通報者保護法説明会」には、企業の経営者や総務、法務、コンプライアンスの担当者が詰め掛けた。2006年4月に施行された新法のガイドラインが説明された後、聴講者からの質問が相次いだ。「罰則規定はあるのか」「契約社員や取引先にはどう説明すべきか」・・・。


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 公益通報者保護法とは、法令違反などの不正行為を企業内部から通報することを支援する法律だ。社員によるマスコミなどへの告発から企業の不祥事が明らかになる例は少なくないが、告発した社員には解雇や左遷といった報復措置が取られるケースもある。ヤミカルテルを告発した運輸会社の社員が30年近く昇格・昇給されなかったという例もある。

 新法では告発を行った社員に対する報復措置を基本的に禁じることで、日本企業が蓄積した「膿」を出し、法令を順守することを促進する(右ページの別掲記事参照)。公益通報者保護法に詳しい森・濱田松本法律事務所の浜辺陽一郎弁護士は、「法律が施行されれば保護されるため、4月以降に告発が急増する可能性もある」と話す。

自浄力を高める

 ただし、同法はマスコミや行政機関への「外部告発」を促進することだけを目的としているわけではない。むしろその狙いは、企業が「内部通報」の体制を整えるように仕向けることにある。企業向けのガイドラインでは、社内に通報窓口(ヘルプライン、ホットラインとも呼ばれる)を設け、通報受付から問題の解決、再発防止までの体制を構築するよう示唆している。「外部に告発する前にまず自社の窓口に相談しようと社員が思えるシステムを形成することで、企業が自浄能力を養うことができる」と浜辺弁護士は話す。

 法施行を前に、企業は内部通報窓口整備に乗り出している。関東近県を中心に100店を超える調剤薬局チェーンを展開する薬樹やくじゅ(神奈川県大和市)は、2005年12月に相談窓口を設置し、社長を含めた6人が社員からの通報や相談に対応する体制を整えた。法令違反だけでなく、社員が日常の業務で抱いた疑問や、セクハラを含む人間関係の悩みなども受け付けている。

 医薬分業の波に乗り急成長した同社は、医療機関向けの臨床試験支援や薬剤師派遣を手掛ける子会社も設立し、現在1000人を超える社員を抱えている。「医薬品を扱うという仕事柄、法令順守は極めて重要。急成長する組織の末端までそれを徹底する仕組みとして相談窓口を位置付けている」。CSR推進室で社員からの相談に当たる谷地由香マネージャーはこう話す。

 谷地氏は2004年から全国の店舗を巡回し、薬剤師を中心とする社員やパート社員との面談を行い、法律に触れないまでも、日常の業務で様々な問題が発生し、現場で判断に迷うケースがあることを知った。「こういった情報が本部に上がる仕組みがあれば対処できるのに」と考えるようになった。

 そこで公益通報者保護法をきっかけに相談窓口の仕組みを整えたところ、窓口設立からわずか1週間で相談が持ち込まれた。重大な問題ではなかったが、「相談できる窓口があれば言いたい、聞きたいと考えている社員が多いことを痛感した」(谷地氏)。

公益通報者保護法の概要とガイドライン

公益通報者保護法の概要
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 2003年1月から内閣府の「公益通報者保護制度検討委員会」で検討が進められてきた公益通報者保護法は、2004年6月に成立した。2002 年に雪印食品や日本ハムの食肉偽装事件など内部告発によって明らかになった不祥事が続発したことが影響している。英国で1998年に公益開示法が制定されるなど、内部通報者の保護は国際的な潮流となっている。

 公益通報者保護法では、企業内で不祥事や犯罪行為が生じ、そのことを社員が企業、行政機関、マスコミや消費者団体などに通報しても、企業がそれを理由とした解雇、左遷などの不利益な措置を行うことを禁じ、通報者の保護を図る。

 公益通報者の範囲には、通報対象となった企業の従業員だけでなく、派遣社員、業務請負企業の従業員なども含まれる。例えば、派遣会社Aに勤務する社員が派遣先企業Bで生じた問題を通報した場合、Bがそれを理由にAとの契約を打ち切ることも禁止される。通報の対象となるのは「事業者による国民の生命、身体、財産に関する法令違反や、法令違反がまさに生じようとしている場合」と定義され、刑法をはじめ、406本の法律の違反が該当する。

 ただし、保護要件は通報先によって異なる。社内に通報する場合には問題があると「思う」だけの場合も保護されるが、行政機関への通報には客観的な証拠が必要とされる。外部機関への通報では、「社内に通報しても20日以内に対応しなかった」「組織的な証拠隠滅の恐れがある」「危急」などの条件のいずれかを満たさなければ保護対象とならない。

 法律の施行に伴って内閣府が作成した企業向けガイドラインでは企業が講じるべき対策を指導している。まず通報受付の窓口を設置し、社員に広く周知すること、通報者や被通報者(通報の対象となった人)の個人情報を保護すること、通報者に対して調査実施の有無、調査結果、是正結果などを通知することなどが含まれる。

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