2012年3月8日、朝7時10分。愛知県春日井市にあるヤマト運輸の松河戸センターに到着した。ヤマトホールディングス瀬戸薫会長の現場訪問を取材させてもらうためだ。

 話の発端は日経情報ストラテジー5月号の特集記事「トップは現場、社員が経営」の瀬戸会長への取材だ。「全国の主管支店やセンターに年間30~40回訪問する」という話を聞き、同行させてほしいとお願いしたところ快諾を頂いた。朝7時開始にはちょっと緊張したが、こんなチャンスはなかなかない。編集部の羨望を集めつつ、現地に向かった。

 現場に既に到着していた瀬戸会長はエネルギー全開だった。荷物積み込みの様子を観察し、その後は事務所でセンター長から、同センターで進行中の配送改革の進捗を聞く。配送改革とは、配送車を特定ポイントに停めて、台車や自転車などで配達する取り組みだ。燃料の節約はもちろん、停車頻度を減らすことで、発車時に起こりがちな事故を減らす目的もあるという。壁一杯に張り巡らした地図を見ながら、「停車ポイントをもっと減らせないか」と瀬戸会長はセンター長と議論する。その後はドライバーを集めて話をし、出発前の体操にも加わった。

 ドライバーを見送って8時。本番はこれからだ。車で近隣の主管支店に向かい、9時から午後3時まで「エリア経営戦略ミーティング」に入る。中京支社管轄の主管支店やセンターで取り組む、新規事業の発表会だ。

 ヤマトグループは近年、宅急便事業に加え、IT(情報技術)や金融などグループ各社の事業を使った新たな事業創造に取り組んでいる。例えば、家電が故障した際に家庭まで引き取りに行き、修理後に送り届ける「メンテナンスサポートサービス」など、顧客にとって付加価値の高いサービスを生み出してきた。こうした事業をさらに生み出すために、各地域の取り組みをトップと共有する場を作っている。

 その日の発表は6件。会場にはヤマトシステム開発などグループ企業のトップや、支社、支店の管理職など50人を超える人がひしめく。一つの発表が終わると、各社のトップが成果を評価し、グループとしてどう展開できるかについて意見を述べ合う。そして瀬戸会長が担当者をねぎらいつつ、自分の意見を話して締めくくる。それを6回繰り返すわけだ。

「変わる」を現場で後押しする

 ハードなスケジュールをこなす姿に圧倒されたが、ランニングが趣味でフルマラソンの経験もあると聞いて納得した。それ以上に強く印象に残ったのは、現場が「変わる」ことを後押しする瀬戸会長の一貫した姿勢だった。

 現場に足を運ぶことが好きなトップは少なくない。しかしその目的は何なのか。

 だいぶ前の話になるが、日本を代表するある小売業では、今は故人となった創業者が頻繁に店舗を巡回したという。一代でそのチェーンを巨大企業に成長させたそのトップは、商品陳列をしばしば自らの手で並べ替え、手本を示した。カリスマ性を象徴するエピソードとなっていたが、それを聞いたとき疑問を感じた。「陳列を変えることがトップのすべき仕事なのか」と。

 そのトップにしてみれば、担当者の奮起を促すためにやっていたのだろう。しかし見方によっては、自分のやり方こそが普遍の解であることを誇示する行為とも受け取れるし、抜き打ち検査で現場を抑圧しているようにも見える。

 瀬戸会長の現場訪問は、抜き打ち検査でも顔見せの視察でもない。「次の成長を生み出すための解はすべて現場にある」と言い切り、現場の社員が「次」を探索することを後押しするために現場に赴く。宅急便の需要が堅調ななか、現場はともすれば日々の配送業務や取引先拡大など目先の仕事に追われがちになる。だからこそトップが現場に赴いて、新規事業の創造や配送改革、グループ企業間の連携など、未来を創り、組織が変わるための活動を駆り立てる必要があるわけだ。

 現場にそうした機運があっても、管理職や支社、支店のスタッフが目先の利益ばかりを求めていては、組織は変わらない。広いとはいえない会議室に大勢の管理職を集めて新規事業の発表会を開催するのは、組織全体のベクトルをそろえるためなのだと得心した。

 その日に聞いた新規事業の発表内容は、残念ながらここでは書けない。いずれ全国で実施されるサービスになったとき、「あの時の案件がこう育ったのか」と思うことになるのだろう。それを楽しみに思いながら新幹線で眠りこけて帰った初春の1日だった。