今から約10年前の2002~2003年ころに、「EA(Enterprise Architecture)」という言葉が、はやったことがある。EAとは、情報システムに関する企業全体のアーキテクチャーのこと。現状(As Is)とあるべき姿(To Be)について、テクノロジーアーキテクチャー、アプリケーションアーキテクチャー、データアーキテクチャー、ビジネスアーキテクチャーの4つのアーキテクチャーを作成し、As IsからTo Beへの移行計画を作成する。
日本では、経済産業省が2002年から本格的な取り組みを開始し、2003年に「業務・システム最適化計画(EA)策定指針(ガイドライン)」を策定。民間企業にも、その考え方は徐々に浸透していった。
当時、EAのメリットとしてよく指摘されていたのは、全体最適化により重複部分がなくなりITコストを最適化できる、という点だが、実は、情報システムがビジネスの変化に対応しやすくなることも、EAの大きなメリットだった。「部分最適」でつぎはぎだらけのシステムになっていると改修・追加は容易にはできないが、企業全体のアーキテクチャーを作成し「変化する部分と変化しない部分」を切り分けておけば、ビジネスの変化に応じて柔軟に改修・追加できる。
こうしたメリットがあるにもかかわらず、EAはその後、大きなムーブメントになることはなかった。企業全体のアーキテクチャーの作成には膨大な手間がかかる、というのがその大きな理由だろう。今では、EAという言葉を聞く機会も、ほとんどなくなった。
機能/プロセスを「変化のペース」で分類
なぜ10年も前のことを今になって書いているのかというと、最近、EAを想起させるような、新しいコンセプトに出会ったからである。それは、ガートナーが2011年から提唱している「ペースレイヤリング」というコンセプトだ(参考記事:ERPの活用(3)---クラウド/モバイル/ソーシャルが進展、導入は「ペース・レイヤー」で)。
ペースレイヤリングは、「ビジネス環境の変化に対して、情報システムが俊敏に対応できるようにするための概念」で、米国の作家、スチュワート・ブランド氏が著書「HOW BUILDINGS LEARN---What happens after they're built」の中で提唱した、建築物を対象にしたペースレイヤリングのコンセプト(建築物は、変化のペースが異なる6つのレイヤー=土地、構造、外装、空間設計、設備、家具/内装で構成されるとする考え方)を、企業アプリケーションに適用したものだ。
具体的には、企業アプリケーションを、変化のペースに応じて、次の3つのレイヤーに分類する。
- 記録システム(Systems of record)
中核的なトランザクション処理をサポートし、企業の重要なマスターデータを管理する。標準プロセスが既に確立され、ほとんどの企業で共通しているため、変更のペースが遅く、最も寿命が長い(10~20年)。競争優位をもたらすものではないため高価なシステムを導入する必要はないが、企業にとって非常に重要なので堅固で安定している必要がある。成熟度の高いアプリケーションパッケージが向く。 - 差別化システム(Systems of differentiation)
企業固有のプロセスや業界固有の機能を実現するアプリケーション。他社との差別化を実現する。変更のペースは中程度で、寿命は3~5年。ベストオブブリードのパッケージやSaaSが向く。 - 革新システム(Systems of innovation)
新たなビジネス要件や機会に対処するために特別に構築される新規アプリケーション。変更のペースが速く、寿命は半年~3年。カスタム開発が向く。
アプリケーションを分類する際は、ERPやCRM、SCMのような大きな括りではなく、プロセスや機能の粒度までブレークダウンする必要がある。また、各レイヤー内でプロセスとデータの整合性が取れており、異なるレイヤー間でプロセスとデータが相互に連携できている必要もある。
機能/プロセスを、3つのレイヤーに分類したら、レイヤーごとに異なるガバナンス方針を立てる。
記録システム | 差別化システム | 革新システム | |
---|---|---|---|
APM(アプリケーション・ポートフォリオ・マネジメント) | コスト、リスク、ビジネス適合性を評価 | 差異が維持されているかどうか評価 | 本稼働の準備ができているかどうか評価 |
PPM(プロジェクト・ポートフォリオ・マネジメント) | ビジネス・ニーズと投資収益率(ROI)に基づいて優先度を評価 | ビジネス上の戦略的ニーズに基づいて優先度を決定 | ビジネス・チャンスに基づいて優先度を決定 |
人材・配置、スキル、ソーシング | 信頼性とコスト効率に優れた提供を重視 | 業務知識とスピードを重視 | 試験的な取り組みの設計を重視 |
財務分析と予算 | 信頼性とコスト効率に優れた提供を重視 | プロジェクトの進展に合わせて予算を繰り返し適用 | ベンチャー・キャピタル式の段階的な出資 |
アーキテクチャ管理 | データとプロセスの整合性を保証 | 記録システムと新規プロセスを活用 | 新しい技術と構造で試験 |
ソフトウエア・プロセス | 概してウォーターフォール型 | 概して斬新的及び反復型 | 概してアジャイル型 |
オペレーション/サポート・コラボレーション | 厳格に統制された変更管理 | 合理化されたシステム単位のプロセス | 中止権限を持つチームの管理 |
ベンダー管理 | 大規模、安定した大手ベンダー | ベスト・オブ・ブリード、ビジネス・プロセス・管理スイート(BPMS)、コンポジットアプリケーション | 機能すれば何でも |
これにより、堅固な記録システム上で、差別化システムと革新システムを必要に応じて更新・追加できるようになり、結果的に情報システムがビジネスの変化により俊敏に対応できるようになる。
記者から見ると、企業全体のアプリケーションを分類するという考え方は、EAの「ビジネスアプリケーション」や「アプリケーションアーキテクチャー」に近いように思えるし、レイヤーに分ける点や変化対応力を高められる点も、EAを想起させる。
ただ、正確に言えば、ペースレイヤリングは、より大きな概念であるEAを実現する手段の一つ、という位置付けになるのだろう。EAに取り組んでいる企業にとっても、ペースレイヤリングの考え方は役に立ちそうである。
ビジネスの変化のスピードがますます速くなっている今、情報システムの「変化対応力」の重要性も増すばかりだ。ペースレイヤリングは、変化に対応するための、とてもシンプルでわかりやすい“処方箋”として、注目すべきコンセプトであることは間違いない。