大学で教えている教育内容と、IT企業が大学教育に期待する教育内容の間には大きなギャップがある…。これは昔から言われている、IT人材育成の大きな課題である。

 IPA(情報処理推進機構)が2008年に実施した「IT人材市場動向調査」によれば、IT企業に聞いた「大学教育に期待する教育内容」のベスト5は、1位「システム・ソフトウエア設計」、2位「文書作成能力・文章力」、3位「チームワーク」、4位「プログラミング技術」、5位「リーダーシップ」。IT企業が大学教育に期待しているのは、仕事に必要な実践的スキル/知識であることが分かる。

 一方、大学側に「重視している教育」を聞いた結果を見ると、「プログラミング技術」は1位に入っているものの、「システム・ソフトウエア設計」は7位、「文書作成能力・文章力」は10位、「チームワーク」は11位、「リーダーシップ」は13位と低い。

 この調査結果からも、IT企業が大学に期待する教育内容と大学で教えている教育には、大きなギャップがあることが伺える。ちなみに、同調査によれば、大学側が重視している教育のベスト5は、1位「プログラミング技術」、2位「計算機科学」、3位「通信・ネットワーク」、4位「情報数理科学」、5位「プレゼンテーション」である。

 このギャップを埋めるためには、大学でより実践的な教育を行う必要がある。そのためには企業と大学の連携が不可欠だ。

 実は、企業と大学が連携して実践的な教育を行うという取り組み自体は、かなり一般的になってきている。その先駆けになったのは、日本IBM,富士通,新日鉄ソリューションズなどが北海道大学に寄付講座を開設した「北大ITトップガン育成プロジェクト」だ(開講は2003年)。2006年には、優秀なITエンジニアを育成・教育する大学を支援する「先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム」(関連記事)がスタート。プログラムに参加した多くの大学で、企業が派遣した講師による実践的な教育を行っている。

 ただし、これまでの取り組みは、いずれも大学院が対象だった。大学院生に対して高度なITの実践教育を行う、いわばエリート教育だったのである。

 しかし、言うまでもないが、IT業界に入ってくるのは大学院生ばかりではない。学部を卒業してIT業界に就職する人のほうがはるかに多い。となると、学部生にもITの実践教育は必要ではないか---。こうした考えから、この春以降、5つの大学で情報系学部の学部生を対象にした実践的な講座がスタートする。講座では、ITベンダーが社員教育に使っている教材をそのまま利用する。これは、日本では初めての試みである。

ロジカルシンキング、プロマネ、セキュリティを1年生に教える

 この春以降に、ITベンダーの教材を使った実践的な講座を学部に開設するのは、早稲田大学、筑波大学、九州大学、山口大学、東洋大学の5校()。

表●各大学の講座の概要
表●各大学の講座の概要
エトキ
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 早稲田大学は、企業のシステム部門が立案するIT戦略について教える講座と、SE業務を実際に疑似体験させる講座を3,4年生向けに開講する。筑波大学では、ソフトウエア品質保証の具体的な方法を3,4年生に教える。九州大学は、組込みアプリケーションの開発を通じてチーム作業を教える講座を3年生向けに開講する。

 山口大学では、ロジカルシンキング、情報セキュリティ、プロジェクトマネジメントを、1年生に教える。東洋大学では、Javaのコードリーディングとライティングのスキルを2年生に教える。

 各講座では、ITベンダーが派遣する教員と大学の教員が一緒に教える。ただし、山口大学では、ITベンダーの助けを借りずに大学の教員だけで教えるという。

 大学側に教材を提供するのは、NEC、日立製作所、日本ユニシス、TIS、富士通、NTTデータおよび各社のグループに所属する教育会社。大学ごとに幹事企業が決まっており、各大学で教える内容は、大学と幹事企業が議論しながら詰めていった。

 ベンダーと大学が連携して実践的な講座を開講するための体制作りは、経済産業省の「IT人材育成強化加速事業」の一環として、IPAのIT人材育成本部産学連携推進センターが推進している。IT人材育成強化加速事業とは、人材育成について産学が議論する場である「産学人材育成パートナーシップ」の「情報処理分科会」で検討した内容を具体化したもので、実際の事業計画は、分科会に設置した「産学連携IT人材育成実行WG」が立案した。

 なお、今回の取り組みに参加した各企業の活動は、実質的にはボランティア活動のようなものという。「社員が会議に出席した際の謝金くらいしか支払っていないが、『業界全体のため』という大所高所からの判断で支援してもらっている」(産学連携IT人材育成実行WGの主査を務めたIPAの田中久也IT人材育成本部長)。

 IT人材育成本部産学連携推進センター長の巽俊一郎氏は、「今回の取り組みは、事業の予算がなくなったらおしまいではなく、ずっと継続できるようにしたい。そのためには、大学側がITベンダーの助けを借りずに、自律的に実践的な講座を開講できるようにする必要がある」と語る。

 大学の自律的な開講を支援するために、IPAでは、ITベンダー(および教育会社)が新入社員や若手向けに提供している研修の一覧表を作成中だ。これは、IPAのWebサイトで春以降に公開する予定。一覧表を見た大学の教員が「この教材を使って自分で講座を開こう」と思ってもらえるようにするのが目的である。

 大学の学部で企業の教材を使った実践的な教育を行う---。これはIT業界にとって、とても良い取り組みだと思う。冒頭で述べたギャップの解消につながるのはもちろんだが、それ以外にも大きな効果が期待できる。それは、企業の教材を使った実践的な講座がきっかけで、IT業界に興味を持ったり好きになったりする学生が増えるかもしれない、ということだ。この取り組みは、ぜひ多くの大学に広がってほしい。