日曜日に例の秋葉原の事件以後,初めて電気街に出かけました。私の家は秋葉原のすぐ近くなのですが,普段の生活には電気街はあまり用がないので,めったに行くことがありません。普段の日曜日は歩行者天国なのですが,例の事件のせいで歩行者天国は中止になったようです。お陰で道を渡るにはちゃんと横断歩道のあるところまで行くのですが,一番よく使う横断歩道のところには,テレビクルーがたむろっていて,渡るのに邪魔でした。という怒りの話は,私の雑文の方に書いてますので,そちらでも。

 普段は「特に車道を歩く人なんてあまりいないし,別に歩行者天国なんてなくてもいいんじゃない?」とか思っていたのですが,「どこでも横断できる」ということは意外に便利に使っていたんだと気がつきました。人間は「自由」ということの実感は薄いものなんだなと思うと共に,想像力の限界というものを感じてショックでした。

 この「自由」と「想像力」というのは,オープンソースのビジネスから切り離すことのできないことです。

オープンソースを販売するスキーム

 一口に「オープンソースを販売する」と言っても,様々な方法があります。前回少し話したように,オープンソースはオープンであるがゆえに,「販売する」という行為がなかなか難しいからです。何しろプロプライエタリなソフトウエアと違い,オープンソースの場合はライセンスされた側が自由にコピーして再配布しても構いません。せっかく1本いくらという値段をつけても,買ってしまった人がそれよりも安くして販売しても,それに対して何の文句も言えないのです。オープンソースという方法は,いろいろなことを共有することには向いていますが,それ自体で商売するためには,ひとひねり必要です。そのため,様々な方法が考えられて来ました。

 以下には様々な販売するスキームを挙げています。ここではどれが良いとかということは考えません。現実に存在する(した)モデルについて挙げて行きます。

■CD-ROMの販売

 最初に考えられたのは,文字通りそのまま販売することでした。

 これはオープンソースという言葉が生まれるずっと前からあったビジネスで,有名ftpサイトをそのままCD-ROMに焼いて,そのCD-ROMを販売するという方法です。インターネットが使えない,あるいは速度が遅いという場合に,まとめてCD-ROMで入手できるというのは,それだけでありがたいことでした。また,ミラーにミラーを重ねてバージョンがいろいろになってしまったアーカイブをきちんと整理してあるのは,ftpサイトを直接使うよりも便利なこともありました。

 ところが,このビジネスはあっと言う間に破綻します。なぜなら,「再配布」を止めることができないからです。何しろ元がフリーソフトウエアですから,それを焼いたCD-ROMもコピーし放題です。正確には編集著作権というものもありますが,それとて単体のアーカイブには関係ありません。せっかく手間をかけて編集しても,そういった苦労までもまるで無視されて,CD-ROMまるごとコピーして販売されたりということもありました。そうすると編集するという手間もかけず,単にftpサイトの内容をそのまま焼いて配布という安直なものが安く販売されるようになり... という競争になって,結局そういったCD-ROMはかなり早い時期になくなってしまいました。今して思えば,自由にコピーの作れるものをそういった形で販売することそれ自体に無理があったと言えます。

 同じ頃,Linuxのディストリビューションというものが作られました。今は当たり前になっているディストリビューションですが,当時は画期的なものでした。元々Linuxの環境を作るためには,miniroot*1からスタートして環境を作り上げる,しかもソースからコンパイルするというのが当たり前だったのですが,インストーラの指示に従ってフロッピを交換すればXまで起動する環境ができてしまうというのは,実に画期的でした。とは言え,そういった「画期的」なものも,「元はフリーソフトウエア」ということで「商品」にはなれないでいました。もちろんCD-ROMは売ってはいましたが,それはまるごとftpサイトに置かれるのが普通でしたし,ftpサイトに置かれたものを別の業者がCD-ROM化したりするのも珍しいことではありませんでした。

 また,これは日本独特の問題かも知れませんが,雑誌や書籍の付録にCD-ROMがつくようになりました。中身は様々ですが,それまでそれなりの値段で販売されていたものが,ほとんどタダに近い形で配布されるようになりました。また,雑誌の付録だとリリース頻度も高いですから,下手なCD-ROM業者のリリースよりも新鮮なアーカイブを手にすることができました。そのため,雑誌や書籍の付録にCD-ROMがつくようになった頃から,急速に「CD-ROM業者」は衰退して行きます。さらに,インターネットが普及しブロードバンド化が進むことにより,CD-ROMという媒体で入手する必要自体がなくなってしまい,今や完全に過去のビジネスモデルになってしまいました。

 この時代に得られた知見は,「オープンソースはそのままでは商品にならない」ということです。そのままどころか,ディストリビューションのような形にしても,なかなか商売にはならないでいました。ですから,「オープンソースを販売する」ためには,他の様々な方法が試みられました。

*1 minirootはrootファイルシステムに入れられるもののうち,インストールに必要な最低限のものを含んだrootファイルシステムです。ごく初期のLinuxのminirootは,Linus自身が作って配布していました。