多田正行さんのコラム『片山さつき議員の「システムは数カ月でできる」発言に思う』は,ITpro Watcherで長らくアクセスランキングのトップを占めていました。このコラムは,テレビ朝日の「朝まで生テレビ」での片山さつき氏の発言について,システム開発の実情を知る多田さんの疑念を表明したものでした。

 情報システムを作り直せば年金記録の紛失問題が解決するかのような発言は,片山さつき氏だけではありません。「朝まで生テレビ」の司会者である田原総一朗氏は,「国民はなぜ安倍内閣を見放したか」というコラムの中で,「“COBOLを使っていたら数字が無茶苦茶になって企業は倒産する”40年前の骨董品のようなシステムを使い続けたことに問題がある。社保庁問題はコンピュータの問題であり,直接には安倍内閣の問題ではない」との見方を示しています。

 年金記録紛失問題の原因を究明している「年金記録問題検証委員会(年金検証委)」の中間報告でも,「年金記録問題発生の主な原因,背景」の最初に「社保庁業務を十分考慮検討せず設計導入し,使い勝手の悪い旧式システムを更改しなかった業者(NTTデータ)側の問題がことを大きくした」という主旨の記述があります。

 田原総一朗氏や片山さつき氏の発言は,大衆そのものの感情を代表しています。しかし,年金検証委の報告は,田原氏や片山氏の発言とは重みが違います。コンピュータの問題にすり替えれば,それで世論の混乱は収まるかも知れませんが,「使い勝手の悪い旧式システムを使い続けた」の部分は,田原氏のピンボケ発言(安倍首相擁護の恣意的発言?)と同じようなものです。「ITガバナンスの観点から古いCOBOLで運用しているシステムはダメ!」なら,ITサービス業界が新規開発の需要を期待して,涎(よだれ)を垂らすだけです。

 さらに,「十分考慮して設計していない」とまで言われれば,我々SE(システムエンジニア)がほっておけることではありません。

 宙に浮いた年金記録5000万件は,「支払裁定時に決着するから問題ではない」というのが当時の認識だったのでしょう。今の世論では大問題ですが,年金制度は元来申請主義です。杜撰(ずさん)と言えば杜撰ですが,こんな程度の認識だったんでしょう。基礎年金番号を1997年に導入する以前の年金制度運営は無謀でおぞましいものですが,これも申請主義だからやってこれたのです。

 「年金請求権は時効5年」という法律もありましたから,頭の良い官僚は不明データ5000万件のほとんどが支払いに該当しないと想定していたはずです。保険料の支払いを減らすことは,国益から見ても「正しい」と本気で思っていた官僚もいたようです。共産党の試算では,宙に浮いた5000万件への支払いに20兆円が必要になるそうです。平成17年度現在の年金積立金総額は150兆円です。不明データ5000万件のうち2000万件以上が既に60才以上だそうですから,安倍さんが言うように最後の一人まで支払ったら年金制度は数年でパンクします。

選挙ごとに繰り返される年金問題

 転職した,会社を辞めて国民年金に移った,あるいは国民年金に加入している自営業者が事業所の住所を変更した。こうした場合,年金手帳を持って事業所や役場に届け出なければ,その年金は原則,宙に浮いてしまいます。前職を隠すため届けなかったケースも相当量あり,1人5,6冊の年金手帳はザラだったようです。制度の運用や国民への周知徹底はいかにも杜撰です。運用側は,倫理観の欠けた,桃源郷のような“親方日の丸”だったのです。こうした“寄らしむべし知らしむべからず”の思い上がりのビューロクラシーは,思考停止の国民が支えています。

 入力ミスは今回のサンプリングでは1%の確率で発生しているようです。5000万件のほとんどは複数の年金手帳を持っている方々です。ITで名寄せ・統合できるものは,既に統合されています。

 2004年の参議院選挙でも,国民年金の未納・未加入問題やその情報漏洩,制度改革で盛り上がりました。でも選挙が終わったら急激に冷めました。多分,今回も選挙が済んだら一気に冷めます。熱しやすく冷めやすい国民とメディアの体質。今後も選挙になれば,必ず年金問題がぶり返します。少子高齢化の日本が置かれたシンボル的問題ですから。

 年金の名寄せ問題は,金融機関の名寄せとは似て非なる文化風土が生み出したものだったのです。移行の杜撰さはそんな文化が根っこにあります。それが当時の常識だったのです。今はマスコミが正義の味方として叩いていますが,当時の関係者の思考の範囲内(常識)では,“お上”のやり方は問題でも何んでもなかったのです。人間は常識や思い込みにより思考範囲や思考限界を自発的に設定し,適切に思考停止をするように作られているようです。