欧米は,1980年代世界を席捲した日本自動車産業の圧倒的なパワーを学ぼうとしました。そこらの謙虚さは日本が見習うべきところです。逆に言うと競争へのこだわりが,淡白な日本とは比較にならないくらい強烈だということでもあります。

 彼らは,日本車の機能や特徴を要素還元的に分解し,部分ごとに調べたのですが,強さの原因が全く分かりません。ロボットだ!TQCだ!かんばんだ!それぞれ取り入れてやってみても全く違うのです。挙句は,ワイガヤ大部屋だ!とオフィスを形式的に大部屋にまでしたようです。まるでマンガですが,彼らなりに真剣だったのです。

 そうこうするうちに,やっと分かってきました。部分へ分解しない全体に競争力の源泉があると。全体システムが巧妙に連携し,あたかも一つの生命体のように機能しているところが,日本自動車産業の優位性だと気付いたのです。

 日経ITpro Watcher【Watcherが展望する2007年】で紹介したファックスイノベーションでマイケル・ポーターが驚いた「大部屋,合宿,同じ釜の飯を食った…」や,前回紹介した京セラの“平凡で強い”と同じ,擦り合わせ型組織ケーパビリティ(能力)です。組織能力は,長期にわたって培われた摸倣困難な独特の力です。

 米国流の経営戦略論(特にマイケル・ポーターのポジショング戦略論)で,よく言われるのは,オペレーション効率と戦略的ポジショニングです。日本は組織ケーパビリティを鍛えることによるオペレーション効率は圧倒的に高いが,戦略構想力は弱い。だから収益率が悪いのだと。また,戦略とは「集中と選択」,何をやって何をやらないかメリハリをつけることと。これは,トヨタの利益率が低い説明にも使われます。私は経営学者ではありませんが,そもそも経営理論は正解/不正確を数学的論理的にキッチリ分けられるものでしょうか?

 トヨタのレクサスは擦り合わせの塊です。過剰品質の巣窟(そうくつ)です。しかし,モジュラ大国である米国でも中国でもバカ売れしています。ロシアでも同じようです。至れりつくせりのきめ細かい品質を,消費者が求めているからです。日産はトヨタに比べ,収益性は確かに良いと言われています。カリスマ・ゴーン革命が功を奏したからです。しかし,今,日産はどうなっていますか?ゴーン流経営システムとは,米国型短期収益志向の経営です。トヨタと日産の経営の違いでよく言われるのは「経営高度」です。

 現地現物現場主義のトヨタの経営高度は5m。擦り合わせ重視の現地現物現場主義は,高コスト故,確かに利益率は低くなります。翻(ひるがえ)って,戦略度の高いゴーン氏の経営高度は1万mです。1万m上空から現場や市場は鮮明には見えません。戦略とオペレーション力とが相反するものなのか,同時に実現できるものなのか,私には分かりません。

「選択と集中」にはマイナス面もある

 現場擦り合わせパワーの源泉である組織ケーパビリティをないがしろにした分,短期収益を獲得したのがコストカッター・ゴーン流改革ではないでしょうか。有名なV字改革は,中長期の利益の源泉である経営リソース売却がもたらした,意図的計画的なものでした。経営リソースのうち最も低下したものは,人的組織的パワーです。

 日産の国内販売は,加速度がついて急降下しています。その規模に見合うよう経営リソースをさらに縮小再編するようです。何と短期利益のため,未来の糧である研究開発費も削減しています。今の日産の状況は,コストカットの行き過ぎた結果に過ぎません。そんな経営状況の対策改善もコストカットの対象です。日産ショックはソニーショックを上回るものになる,と私は思っています。

 全体を部分に分解できないのは,企業が生命体だからです。生きたシステムは偶有性に満ち,秩序と混沌が混ざり合った絶妙なバランスを包含しています。生命体は自身が持つ矛盾を解消してしまうと,生命力を失います。60兆の細胞の有機的集合体である人間を分解するということは,殺すということです。脳だけ取り出しても脳の正体は分かりません。脳の働きは身体全体との絶妙なインターアクションにより成り立っていることが,最近の脳科学で分かってきています。

 オペレーション力 vs 戦略構想力,長期 vs 短期…,これらはそもそも割り切れないのです。簡単に割り切って,選択した領域に経営資源を集中する「選択と集中」には,(あまり言われていませんが)当然のこととしてマイナス面があります。

 特定の事業領域での収益拡大に突進した企業が,新しい事業領域への戦略展開を怠ったため,経営環境の変化が生じたとき,それに合わせて事業構造を変えることができず,一時の隆盛が見る影もなくなった例は枚挙にいとまがありません。収益至上主義は戦略至上主義でもあるのです。収益面に過度にこだわるのは如何なものか?失われた15年,日本経営システムはこのようなMBA的経営戦略論にも惑わされてきたのです。