筑波大学大学院ビジネス科学研究科 助教授 中谷多哉子氏

 9月初めに東京のJJK会館でITダイバーシティフォーラムが開催されました。そのときに司会を引き受けたことが縁で,今回の記事を書くことになりました。

 正直な話,ITダイバーシティフォーラムの司会を依頼されたときは,女性の地位向上に関する問題点を討論するのかと思っていたのですが,さにあらず。21世紀に働く女性達は,自分たちの地位向上のために何をしなければならないかは既に十分理解しており,仕事と家庭とを両立させる覚悟も持っており,そして,何よりも素晴らしかったのは,そのための苦労は人生の糧として挑戦したいという意気込みを持っているということでした。このような人生観には共感を覚えます。

 パネリストの方々が就職された時期は1980年代後半,女性技術者のための働く環境が企業の中に芽生え始めた頃であり,環境の整備と共に地位を向上できたのだと思います。私は彼女達よりは少しだけ就職が早かった分,社内での地位確立よりも転職という形での技術向上を選択せざるを得なかったように思います。

技術向上のための環境を整える

 自分の技術力を高めたり社会的信用を得たりするためには,もちろん自分自身の努力が必要です。しかし,そのための環境を整えることはもっと重要です。

 大学を卒業した頃は,IT企業に勤めれば一人前のプログラマになれると思っていたのですが,IT企業といっても,その職種は多岐にわたっています。社会人4年目頃の私は,一人前のプログラマになるという夢を追って毎日悶々と日々を過ごしていました。

 当時の私の仕事の中でプログラミングの占める割合は多くはなく,顧客からの要望の聞き取りや調整が主な仕事だったからです。今思えば,この頃の経験は現在の要求工学の研究に大いに役立っているのですが,当時は,その重要性には全く気づかず,毎日の通勤が無駄であるような気分になっていました。

 ある日,ニュースで知った人工知能開発という言葉に惹かれ,人工知能言語を使ったシステム開発に従事するために転職をしました。当時は社内の女性社員の異動は認められず,やむなしの子会社への転職でした。ここで就いた仕事は,LispとSmalltalkを使ったプログラミングで本当に楽しいものでした。Smalltalkと言えばオブジェクト指向言語として有名ですが,当時は人工知能言語として売られていたのです。

 この転職で,私はオブジェクト指向と出会うことができたのです。ですから,このときにSmalltalkの先進性に気づいていた当時の上司であり,現在は日本工業大学の教授である大木幹雄氏との出会いは,私の人生の最大の転機でした。その後,私はSmalltalkを追って,オブジェクト指向の中核企業だったゼロックスの関連会社に転職を果たしました。

大学を利用するという“環境作り”

 しかし,技術者たるもの,企業内で自分の仕事をこなすだけで一人前になれるわけはないと思います。より広い視野と知識が必要です。3社目の職場で,先輩から「君は視野が狭い。大学に行って勉強した方がいい」と言われたのも,私にとっては次の環境作りを始めるきっかけとなりました。早い話,「おまえは馬鹿だ」と言われたわけです。黙ってやり過ごすわけにはいかないじゃありませんか。

 その悔しさから,人生再建計画を立てました。まず,大学では “やらなかった” 真面目な勉強をし直すこと。そのときに勧められた大学が,私の人生再建計画の出発の場になりました。縁あって,今ではそこに研究室を持っています。

 現在の職場,東京の茗荷谷にある筑波大学大学院ビジネス科学研究科は,社会人のための夜間開講大学院です。修士課程を修了するためには,修士論文の審査に通らねばなりませんが,研究を深めたい人のためには博士課程も併設されています。社会人の人生再建の場であり,人生発展の場でもあります。大学の教授陣は,研究指導を通して,修士課程においては社会人が抱える問題を解決する手助けをし,博士課程においては社会人が問題を解決するための術を身につける手助けをします。修了生の多くが大学の教員になっているのも,この研究科の特徴です。

 この研究科だけでなく,今では多くの大学が社会人に門戸を開放しており,社会人が会社に勤めながら大学に通い,知識を広め,深め,知識を得るための術(これが一番汎用性が高く重要です)を身につける環境が整ってきています。自分の人生が自分で作るものなのだとしたら,このような環境を活用しない手はないでしょう。

 ITといえば秋葉原ですが,秋葉原で情報収集する時間があるのであれば,創造的な研究を行って知識の出力をしてみる時間を作るのも一案です。たとえば,ゲーム開発会社に勤める技術者は,大学でプログラミング言語を開発しています。このような研究は,実務を知っている技術者にしかできないと思います。

 業務を遂行しているときに,「あれは問題だ,それじゃ駄目だ」と口で言うのは簡単です。しかし,問題意識を持った人にこそ,その問題を解決する機会と資格が与えられていると思います。そして,熱意を持った挑戦こそが,有意義な人生の糧となるはずです。

産学連携で自分自身を解放

 大学で学ぶということは,まさに個人レベルでの産学連携の実現です。私にとって,大学の研究と,自分が設立した会社の活動とは,産学が両輪となって動いています。このような産学連携環境は,課題を課題のままに終わらせるストレスから自分自身を解放するための良い環境にもなるはずです。

 人生にはいろいろな出会いがあるものですね。最初の幼稚な夢を砕いてくれた上司,そして,オブジェクト指向との出会いの機会を与えてくれた上司,大学に戻る機会となる一言を言ってくれた先輩など,それぞれの会社で出会った先輩諸氏に感謝しなければなりません。これらの人々に足を向けて寝られないとすると,私は逆立ちをして寝るしかないかもしれません。



【中谷多哉子氏の略歴】

東京理科大学理学部応用物理学科卒業後,日本電子計算,富士ゼロックス情報システムなどを経て,1995年にエス・ラグーン(現 有限会社エス・ラグーン)を起業。筑波大学大学院経営政策・科学研究科経営システム科学専攻修了後,東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻を1998年3月修了し,博士号(学術)を取得。2006年3月より筑波大学大学院ビジネス科学研究科助教授。専門はソフトウェア工学,オブジェクト指向分析,設計手法,最近は要求の源泉理解のためのビジネスモデリングに興味を持つ。