今回からITpro Watcherで知財に関するコーナーを執筆することになった。筆者は現在弁護士および弁理士として活動しているが,もともとはメーカーで知財と法務を担当しており,さらに社会人としてのスタートは開発に携わる技術者だった。そういった,企業,技術者の視点から,知財に関する出来事や疑問,また基礎知識についてお話ししていきたい。

 知財立国というかけ声の下,知財を経営に取り入れ,知財によって経営競争力を向上させようという動きが始まって5年。2005年は知財の世界にとってどのような時代だったのだろうか。

 筆者が考える知財関連の重大ニュースを列挙してみる。

1月 知財信託導入(信託業法の改正施行)
2月 中村裁判和解
4月 改正特許法35条施行,知財高裁スタート
7月 アルゼ裁判逆転敗訴
9月 一太郎判決
11月 不正競争防止法改正施行(国外犯処罰)

 「ニュース」は大きく分けて事件系と,制度系に分類される。上記を見ても,事件系として中村裁判和解,アルゼ裁判逆転判決,一太郎判決など,思い起こしてみれば記憶に新しい事件が多い。

 第一審で200億円という「想定外」の結論を示した中村裁判は,その結末も想定外だった。6億円,しかも,中村氏が発明者として名を連ねる全特許に対する和解だという。第一審は中村氏の基本特許一件に対する対価だったことを考えると,額面どおり30分の1という評価は正しくない。300分の1,500分の1・・という世界である。

 当時,職務発明報償問題は世の中のみならず,知財担当者を震撼とさせていた。誰かを「魔女」にしなければならない企業において,職務発明訴訟の提起→億を超える額の結末は,知財管理の敗北を意味し(よくよく考えると,知財管理の巧拙と報償額はあまり関係ないのであるが),知財部長の責任問題へと発展しかねない。あるグローバルな外資系企業の日本支社長は深刻な顔で,「日本だけ発明者に対して億単位の報償を与える制度について,本国にどうやって説明するのだ」「事によっては日本研究所は閉鎖の方向かも・・」と相談にやってきた。

 ところが,「中村特許でさえ一括(20件程度)で6億円」。これは知財部にとっては朗報以外の何物ではなかった。筆者のところにも,「今回の和解によって,職務発明報償のレベルが決まったと言っていいですね?」との質問が相次ぎ,筆者は「報償額は個別事件の性質・規模によって決まるものですから・・」と,紋切り型の回答をしつつも「そうだろうね~」と心の中で思っていた。

 このような流れの中,一時,エンジニアにとって救世主的な存在となった職務発明報償は,4月1日の特許法改正施行によって決定的にシュリンクする。この改正によると「報償は事前に会社と発明者が十分に協議をして取り決めた職務発明規程に基づいた額を支払えばいい」のである。例えば,中村氏は日亜化学工業との職務発明規程に基づいて2万円程度の職務発明報償を受領していたというが,改正法においては,その職務発明規程が十分な協議を経て決定されたものであれば,日亜化学は免責されることになる。この規程の評価は如何に・・・ということについて筆者の思いを語るとすると,またまた膨大な枚数を割くことになるので別の機会にするが,2005年は発明者受難の時期であったとも評価できる。

 ただ,一言だけ言うと,ドイツをのぞく欧米には職務発明報償制度というものはない。米国では個別契約で対応しており,ドイツでは研究所の国外流出が起きているという。単純に企業が利し,発明者が損をしたというレベルで語りきれない,一国の競争力との絡みがそこにあるのである。

次回に続く