「グッチのクマの法則」---。大手総合通販会社の千趣会には,こう名付けられた独自のマーケティング用語が存在する。

 同社はある時,数万円のグッチの熊のぬいぐるみを仕入れた。しかし,カタログを通じて通信販売したところ一体も売れなかった。インターネット経由で販売したところ,やはり反応はなし。ところが,これを携帯電話の電子メールで売り出したところ,2日で完売したのだ。

 携帯電話は消費者がいつでもどこでもその場で直感的な行動ができるメディアであり,ツールである。このため,利用者の購買につながる行動が紙媒体やパソコンとは全く異なる。グッチのクマの法則という言葉は,他のマーケティング手法と異なるモバイル・マーケティングの可能性を示している。

企業担当者はモバイル広告の出稿をためらう

 実際,企業の携帯電話を活用したマーケティングは年々広がっている。電通によると,2008年の広告市場は前年比4.7%減の6兆6926億円だったが,モバイル広告は同47%増の913億円だった(関連記事)。不況の影響もありテレビ,新聞などが苦戦を強いられる状況で,インターネット広告とりわけモバイル広告は高い伸びを示している。

 ただ業界関係者からは,こうしたモバイル広告市場の伸びを「好調」の一言では語れないとする声も上がっている。あるモバイル広告の営業担当者は「現場ではモバイル広告市場が好調と言われてもピンとこない」と話す。その理由は「企業の広告担当者がモバイル広告の出稿になかなか首を縦に振らない」からだと明かす。

 モバイル広告の出稿をためらう最も大きな原因とみられているのは,企業の携帯電話向けサイトの開設率が低いことだ。

 携帯電話向けコンテンツ制作支援のモバイルコマースによると,2009年1月の調査で約4000社の上場企業のうち,パソコン向けサイトの開設率は100%なのに対し,携帯電話向けサイトの開設率は16%。インプレスR&Dが2008年に実施した調査でも,パソコン向けサイトを開設している1000社のうち,携帯電話向けサイトの開設率は21.6%で,2007年調査の30.3%を下回った。

 商品やサービスを提供する企業の携帯電話向けサイトの開設率が低ければ,モバイル広告の効果は限定的なものにとどまる。見方を変えると,この状況でも1000億円近い市場を形成し,二ケタ成長を続けていることは,今後のさらなる伸びを期待できるともいえる。

サイト開設率の低さは「ケータイ特有の文化」に起因

 なぜ,携帯電話向けサイトの開設率は低いのか。業界関係者の話をまとめると,大きく3つの理由が挙げられる。

 1つ目の理由は,開設のきっかけを作りづらいことである。携帯電話向けサイトには大きく,各通信事業者の審査を経る公式サイトと審査が不要な非公式サイトの2つがある。公式サイトの場合,通信事業者が展開するポータル・サイトで各分野に分類して集客を支援する。非公式サイトの場合は,ポータル・サイトの外で自ら集客しなければならない。公式サイトは各種有料サービスの課金を代行する機能も持つ。

 当然,公式サイトの方が魅力的だが,サイトの開設には提供するコンテンツやサービスの審査が伴うため,安直に開設することができない。一方,非公式サイトには公序良俗に反するサイトも多く,広告もアダルトや消費者金融などが散見される。パソコンでもこういったサイトや広告はあるが,携帯電話の非公式サイトの方がイメージは悪い。

 また,ホームページを開設していないと企業の信用問題にかかわるというような,当時のパソコン向けサイトの開設ラッシュのような機運もない。動機付けが弱いことも,携帯電話向けサイト開設のきっかけを作りづらい一因となっている。

 2つ目の理由は,開設のコストが高いことである。携帯電話向けサイトの開設には,パソコンのサイト制作とは異なる技能が欠かせない。例えば,通信事業者ごとに展開されるさまざまな端末にコンテンツを適用させるためのノウハウが必要となる。こうしたスキルを持つ技術者が多いとは言いがたい。

 人材不足の影響などにより,サイトの開設コストが高止まりしているとの指摘は各方面から聞こえてくる。サイトを開設しようとする企業はここでもハードルの高さを感じる。具体的なコンテンツやサービスを企画したとしても,高コストのために先送りする企業もあるようだ。

 3つ目の理由は,広告効果を測定しづらいことである。ケイタイ広告の小野達人社長は「テレビのスポット広告の契約などに使うGRP(延べ視聴率)のような指標がなければ,さまざまな広告を使い分ける企業の広告担当者がモバイル広告を扱うのは難しい」と指摘する。モバイル広告を活用する前提となる評価指標が整わない限り,広告出稿はもちろん,広告から流れるアクセスの受け皿となるサイトを開設するための投資はしづらいだろう。

 これら携帯電話向けサイトが開設されない要因の根底には,サイトが公式サイトと非公式サイトに分化している,通信事業者ごとにサイトの仕様が異なる,といった携帯電話特有のインターネット文化がある。企業は携帯電話向けインターネットの活用に興味はあるものの,マーケティングにかかわる環境の未整備と二重投資を嫌い,後回しにしているというのが実情だろう。