先日,『知識創造企業』(東洋経済新報社)などの著書で知られる一橋大学大学院教授の野中 郁次郎氏を取材した。野中教授は,ここ数年で日本企業は,日本企業ならではの良さを失ってきていると指摘する。

 「多くの日本企業が,欧米の経営手法の発想へと傾きすぎた。特に,あまりに利益的な数字と個人の目標を結び付けすぎると,現場の感情的で主観的な目標は居場所を無くしてしまう。それでは組織は元気を失い,傍観者ばかりの集団になってしまう」。

 もっと平たくいうと,トップダウンで利益目標を各部門に振り分けて目標を課し,その達成度を問い信賞必罰を下したところで,現場は大してやる気にならないのではないか,という指摘だ。そうしたやり方はボトムアップで目標を掲げてイノベーションを起こしてきた日本企業の良さを失わせる施策である,というわけだ。詳細は,日経情報ストラテジー4月号の特集「成果主義の失敗を乗り越えて」に掲載したが,ここではそのエッセンスを紹介しよう。

 野中教授の発言は,現場のモチベーションを考えずに成果主義人事制度を運用することに対する警鐘でもある。ただし,野中教授は成果主義人事制度自体が諸悪の根源といっているわけではなく,経営のバランスの問題なのだと分析している。成果主義人事制度を導入する企業は,経営トップのリーダーシップや,従業員同士が夢を語り合える風土作りを強化しなければ,クールで情熱を失った組織になってしまう,という認識なのである。

 リーダーシップの話をするときに野中教授が頻繁に実例として挙げるのがホンダの創業者,故・本田宗一郎氏だ。進駐軍のジープやトラックに憧れて自動車部品製造の道に進み,やがて世界一のレーシング・カーや飛行機作りの夢を語っては,現場で技術者と一緒に油にまみれていた同氏の姿に,野中教授は理想のリーダー像を重ね合わせている。

飽和の時代にあって周囲を巻き込む夢とは

 だが,焼け跡にあって米国のジープやトラックを見て胸ときめかせた時代と今とはあまりにも異なるのではないか。飽和の時代である今は,人を動かす夢を語ること自体がそう簡単なことではないのではないか。記者は,野中教授へのインタビュー中にそんな疑問が沸いて質問をぶつけた。

 それに対して野中教授が挙げたのが,製薬会社のエーザイの事例だ。エーザイは全社員が仕事を通じて実現したい夢を語れるよう,研修に工夫を凝らしているという。同社では,患者や被介護者の弱さや痛みを感じたうえで仕事に取り組む風土を維持できるかどうかが,仕事に対する現場のモチベーションを大きく左右すると考えている。

 実際に取材をしてみると,確かにその内容は腑(ふ)に落ちるものだった。同社が実施している1泊2日の「ナレッジ・リーダー研修」は,社員をまず老人ホームへ派遣するというもの。そこでお年寄りの話を伺い,喜怒哀楽に触れる。例えば,こんな話を聞けるという。

 「孫や息子と同居していた時,食事中にご飯をついこぼしてしまった。それを見た孫は顔をしかめ,息子もフォローしてくれなくて辛かった」。

 このような話を聞いた直後に研修施設で高齢者の疑似体験をする。背中や腕に重りをつけて,白内障になったような濁ったメガネをかけて,お皿の豆を箸でつまんで別の皿に移してみる。すると,皆が豆をぽろぽろこぼしてしまうという。こうして,ご飯をこぼすまいとしても,筋肉や眼が弱っていてどうしてもこぼしてしまう辛さと悔しさを実感する。こうした気づきについて従業員同士が話し合い,仕事で実現したい目標や夢を話し合う。こうした研修に,2年をかけて約4000人のすべての社員が参加。研修の実施回数は100回に及ぶ見通しである。

 経営者もまた,こうした活動に注意を払い,奨励している。経営陣はそうした姿勢を示すことで,従業員から自分たちの夢が大事にされているという信頼を得ている。エーザイではヒット商品を開発して利益面で貢献したような人ばかりではなく,患者とその家族の悩みに応える活動をした従業員も,年に1回の社長表彰の対象となる。

 例えば,介護・介助ボランティアを訓練するためのマニュアルを非営利団体に呼びかけて共同作成した米国支社の社員が表彰の対象になった。

 つまり,困っている人に手を差し伸べる優しさや気遣いを従業員が発揮するよう仕向けることは,飽和の時代にあっても組織で共有できる夢を語り合う風土作りで有効だ,というのがエーザイの事例から学べる点だろう。

大事にすべき「人」や「思い」は何かという哲学が一番大事

 野中教授からいただいた視点は,もっといろいろな議論が派生すべき話題で,日経情報ストラテジーに掲載した特集もある断面をとらえたものに過ぎないと思っている。特集では全く触れていないが,個人的にずっと考えている逸話がある。昔の日本ビクターで,赤字続きのビデオ事業部が現場裁量でこっそり極秘プロジェクトを立ち上げ,VHSビデオを開発したことだ。野中教授の視点でこの事例をとらえ直すとどうなるだろう。

 合理化の最中なのに,赤字事業部が本社の了解を得ずにVHSビデオの秘密プロジェクトにコストを投じるのは,内部統制の観点から見れば大問題だ。仮に,本社が了解したとしても,いつ成果が出るか分からないような研究開発に取り組む関係者の評価は,一般的な成果主義人事制度で測ればどう見ても芳しくないものになりそうではある。

 当時の日本ビクターが成果主義人事制度を運用していたとしたら,このプロジェクトは本当に居場所を失っただろうか。野中教授の言うように,苦しい状況にあっても当時の経営トップにビデオ事業部長の率直な思いを受け止める度量があったなら,慎重に「成果」の定義を考え直して,プロジェクト関係者を成果主義人事制度で評価することも不可能ではない,というのが野中流の考え方ということになる。

 やや話が飛ぶが,最近,松井証券の松井道夫社長は,「人事は好き嫌いで決める」と言ってはばからないという。「人間として接した時に抱く好悪の感情こそが,実力を測るもの。一緒に仕事がしたいと思わせることも実力の一つだ」という趣旨だと聞いている。

 これを教えてくれたのは,あるビジネススクールで松井氏の講演を聞いたという知人だが,そのスクールの生徒たちが年間のベストスピーチを投票したところ,松井氏のその講演が1位になったという。評価の仕組みがどうであろうと,経営者に「どんな人材を大事にしたいか」という哲学さえきちんとあれば,評価を受ける側にもさまざまに納得のしようがあるという一例かもしれない。

 人事制度や組織作り関連の取材では,最終的な答えを見い出すことがいつも難しい。実は,成果主義人事制度の取材を通して垣間見えるのは,IT分野の専門家にもおなじみの次の教訓なのである。「どんなに完成度が高いように見えたマネジメントの仕組みであっても,本来の目的や全体最適の視点を見失って導入・運用すれば必ず大きな副作用が露呈する」---。

(井上 健太郎=日経情報ストラテジー