MPLS(multiprotocol label switching)は,通信事業者のインフラに欠かせない技術。主要なVPNサービスはMPLSベースで構築されており,今やなくてはならない存在だ。今回,MPLS分野の第一人者である米ジュニパーネットワークスのヤコフ・レクター氏に,MPLSの成り立ち,優位性,現在の最新動向について聞いた。

(聞き手は高橋 健太郎=日経コミュニケーション



はじめに,レクターさんは,MPLSとはどのようにかかわってきたのですか。

米ジュニパーネットワークス ジュニパー・フェローのヤコフ・レクター氏
米ジュニパーネットワークス ジュニパー・フェローのヤコフ・レクター氏
BGP,MPLSのベースとなったタグ・スイッチング,BGP/MPLS VPNの発明者。GMPLS,VPLS,マルチキャストMPLSの開発にもかかわる。NFSNETの主要設計者の一人でもある。
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 簡単に私の経歴を説明しましょう。私は2000年12月にジュニパーに入社し,現在はジュニパー・フェローという役職に就いています(注:フェローはエンジニアの最高位の役職)。ジュニパーに入る前は,シスコに5年間いて,そこでもシスコ・フェローを務めました。さらにその前は,IBMの研究所で働いていました。

 IBMに所属していたときにインターネットにかかわり始めました。私はBGP(border gateway protocol)を発明した一人ですが,これはそのときの仕事です。シスコでは,MPLSの元となったタグ・スイッチングや,現在最も普及しているBGPベースのMPLS-VPNである「2547VPN」を発明しました。ジュニパーに移ってからは,GMPLSやマルチキャストMPLSなどの開発にかかわりました。

MPLSという技術は,どのようにして生まれたのでしょうか。

 その問いに答えるためには,1995年ごろのネットワークの状況を考える必要があります。

 当時のサービス・プロバイダは,大容量のバックボーンをATMスイッチで構築していました。そこで,ATMスイッチとルーターの統合を改善しようとするいろいろな取り組みが始まりました(注:ATMとIPはアーキテクチャ・モデルが大きく異なるため,IPパケットをATMネットワークで運ぶことが難しかった)。

 その一つは日本で始まっています。東芝が作った「CSR」(cell switching router)です。米国では,イプシロンという会社が「IPスイッチング」という技術を開発しました(注:イプシロンは1997年にノキアが買収)。ただし,いずれの方式も拡張性に問題があったのです。そのような状況の中,タグ・スイッチングが作られました。

 MPLSは,1996年3月にロサンゼルスで開催されたIETFの第35回の会合で発明されました。タグ・スイッチングがIETFに提案されたとき,「MPLS」という新しい名前が与えられたのです。

 当初,MPLSは次の目標を達成することを意図していました。一つは,ATMとルーターの統合を改善することです。もう一つは,従来からATMスイッチが備えていたトラフィック・エンジニアリングの機能をルーターに移植するということです。

それ以外にも,IPパケットのフォワーディングを高速化することも目標の一つにあったのではないでしょうか。

 確かに,タグ・スイッチングを発明した当初,この技術でルーターのハードウエアを簡素化できると考えました。しかし,今から振り返ってみると,それは解決すべき重要な問題ではなかったのです。しかも,ルーターとATMスイッチの統合も,後から考えるとそれほど重要なテーマではなかったことがわかりました。

 当初あった三つの設計目標,トラフィック・エンジニアリング,ルーターとATMスイッチの統合の改善,フォワーディングの簡素化・高速化のうち,今日も有効なのは,最初のトラフィック・エンジニアリングだけです。

 ただ,1996年の当初から今日まで,MPLSを使った新しいアプリケーションが生まれてきました。今でも新しいアプリケーションが生まれ続けています。

具体的には,MPLSはどのようなアプリケーションに使われてきたのですか。

 私がまだシスコにいた10年前に「2547VPN」を発明しました。これは,最も成功し,今日でも最も広く導入されているMPLS技術です。

 2547VPNというのは,BGPとMPLSというコア技術を使ってVPNを構築する技術のことで,正式には「BGP/MPLS VPN」と呼びます。この「2547」という数字は,最初のRFC番号から来ています。

 2547VPNは,サービス・プロバイダがレイヤー3のIPベースのVPNサービスを提供できるようにする技術です。日本では,NTTコミュニケーションズ,ソフトバンクテレコム,KDDIが例に挙げられます。さらに,全世界で何百,何千のプロバイダが採用しています。

 2547VPNと同時期か,それより少し後に出てきた重要なアプリケーションは,ATMおよびフレーム・リレーの疑似回線(pseudo wire)です。

 従来のサービス・プロバイダは,ATMのインフラを使ってATMのサービスを,FRのインフラを使ってFRのサービスを提供していました。しかし,サービスごとに専用のインフラを構築していたので,非常に高価になっていました。

 サービス・プロバイダがどんどんMPLSのインフラを導入していく中で,ATMのサービスをATMのインフラではなく,MPLSのインフラ上で提供できないかと考えるようになったのです。そこで登場したのが,MPLS上に構築したATMおよびフレーム・リレーの疑似回線なのです。

 2547VPNではMPLSはIPのサービスしか提供しませんでしたが,疑似回線によって,MPLSのインフラは真のマルチサービスのためのインフラに生まれ変わりました。

 その後,疑似回線の概念はイーサネットにも拡張され,「VPLS」(virtual private LAN service)という技術が作られました。これはMPLSでレイヤー2サービスを提供するための技術です。

 MPLSのインフラ上にイーサネットのサービスを構築するには,2種類の方法があります。一つは,ポイント・ツー・ポイントでイーサネットの疑似回線を構築する方法です。もう一つがVPLSです。VPLSはLANをエミュレーションするものです。

 さらに,最新のMPLSの用途としては,ビデオ配信にMPLSを利用するというものが挙げられます。

MPLSが様々なアプリケーションに応用できるのは何が決め手になっているのでしょうか。

 難しい質問ですね。MPLSが非常に用途の多い技術になったのは,いくつか理由があります。

 多目的性を実現できた理由の一つは,MPLSのデータ・プレーンにあります。MPLSの「ラベル・スイッチング」という考えです(注:ラベル・スイッチングは,「ラベル」という固定長の識別子を追加してパケットを転送する技術)。

 このラベル・スイッチングという概念があったため,このMPLSという技術は,IP-VPNやVPLS,ビデオ配信や疑似回線といった様々なサービスのトランスポートに使えるようになったのです。

 MPLSを多目的で役立つ技術にした別の理由は,コントロール・プレーンにあります。コントロール・プレーンの柔軟性,特にLSP(label switched path)を柔軟に構築できることが強みです。

 MPLSでは,マルチポイント・ツー・ポイント,マルチポイント・ツー・マルチポイント,明示的なルーティングを使ったポイント・ツー・ポイントのLSPも実現できます。マルチキャストに有効なポイント・ツー・マルチポイントも構築できるでしょう。

 MPLSを強力な技術にしたもう一つの要因は,コントロール・プレーンを一から構築したのではなく,既存のIPのコントロール・プレーンを拡張して作った点にあります。

 ほかにも要因がありますが,挙げていくとキリがありません。

今,MPLSの分野で最もホットなトピックは何ですか。

 一つ挙げるとすると,マルチキャストMPLSです。

 マルチキャストMPLSの中でも,特に三つの領域が注目されています。(1)ビデオ配信への利用,(2)VPLSにおけるブロードキャストとマルチキャストの最適化,(3)2547VPNのための次世代マルチキャストの開発---です。

なぜ従来のMPLSではマルチキャストへの対応が難しかったのですか。

 MPLSを開発した当初は,マルチキャストにほとんど注目していなかったのです。その当時はマルチキャストの需要がありませんでしたし,将来マルチキャストが使われるようになると予測していませんでした。

 マルチキャストMPLSの開発が進んだのは2002~2003年からですが,その背景にはマルチキャストが使われ始めたことがあります。

 マルチキャストMPLSは,MPLSの仕様を合理的な形で拡張することでマルチキャストに対応しています。このこともMPLSの強さを示す一例でしょう。

今後,MPLSを利用した新しいアプリケーションは出てくるのでしょうか。

 私は預言者ではないので,未来のことは予測できません。その前提で言えることがあります。MPLSの開発者は,MPLSができた当初から,すべての正解を持ち合わせていないことを理解していました。だから,MPLSを成功させるために,新しい要求に応られるように拡張できるようにしたのです。

 これがMPLSの成功の大きな秘訣です。つまり,最初から拡張可能性に重点を置いていたのです。1996年から今日までの進化の過程を考えると,その拡張性がどれだけ柔軟だったかがわかるでしょう。

つまり,将来に新しいアプリケーションが登場してもMPLSは柔軟に対応できるというわけですね。

 先ほども言った通り,預言者ではないので将来は予測できませんが,そうあることを期待しています。