【後編】研究開発を続けられるだけの利益がない現状は不健全

>>前編 

光ファイバのコストでいうと,接続料という形でNTTが貸し出す料金が値下げになる方向で議論が進んでいる。開発者の立場としては,どう考えるのか。

 NTTにとっては,設備投資をどのくらいの期間で回収するかという問題だから,長期的に構えればよい。

 むしろ困るのは,そういう回線に使う装置を作っているメーカーだ。通信用装置というのは,寿命が長いせいもあり,ユーザーはなかなか取り換えてくれない。

 だから携帯電話とは違って,消費される台数はそれほど多くならない。通信用装置が非常に安い値段で売られるようになると,その分野のエンジニアの仕事がなくなってしまう。実際にそうなっている。

 2000年ころ,ITバブルがはじける前は,エンジニアは非常に元気だった。その後,相当部分がクビになっている。もちろん,いろいろな理由があるけれども,少なくともそういった部品や装置の値段が急激に下がったため,研究はおろか,職場もなくなってしまう事態になった。

 そのくらいのぎりぎりのところで製品を作っていたというのも,一面の真実なのだ。現職の前,私はNTTエレクトロニクスという部品メーカーにいたが,だいたい年率で30%ぐらい製品の価格が下がっていく状況にあった。

ユーザーからすると,通信サービスの料金が下がる方が望ましい。しかし,その結果,技術開発や通信インフラ自体にしわ寄せがいくのも見過ごすことはできない。

 大変難しい議論だ。こういう状況になってきた理由はいくつかあるが,1980年代の世界的な通信自由化が挙げられるだろう。

伊澤 達夫(いざわ・たつお)氏
写真:辻 牧子

 日本でも電電公社が株式会社になり,競争が入ってきた。競争自体は良いことだが,それがどんどん激しくなって,最近では目先のサービスやビジネスの開発に追われてしまっている。長期的なものよりも,例えば2~3年先の新しいサービスの開発だけに目が向けられている。これはNTTだけではなくて,米国のベル研究所も同じ状況で,もうほとんど崩壊に近い状態だ。

 そういう状況になってきて,独占企業がいいとは言うつもりはないが,もう少し健全な研究開発ができるぐらいの粗利が取れないとだめだと思う。

 それから,部品や装置を供給しているメーカーも,一定程度の粗利が取れないといけない。私は経済学者ではないが,少なくとも現状はとても不健全であるのは間違いない。

これから研究所の姿も変わっていくのだろうか。

 現在,NTTの研究所の主要な課題というのはNGNになっている。研究開発の予算のうち,相当部分はこのために使われているだろう。少なくとも私が研究者だったころに比べて,基礎的な,通信の本流からちょっと脇にあるような研究では,研究者の数や研究費が相当落ちている。

 私が武蔵野の電気通信研究所(通研)に入ったのは,ちょうど東京大学の安田講堂で攻防戦があった翌年,1970年だった。大学にいても大した研究はできないと考えて通研に入所した。当時の通研では予算がたっぷりあり,研究費に困ったことはなかった。今は,そういう状況を維持するのは難しいので,独立行政法人の研究所や大学が活躍する必要があるだろう。

現在の日本のFTTHを支える光ファイバの低コスト量産技術「VAD法」は,どのようにして考えついたのか。

 私はもともと電子工学科を卒業した“電気屋”だった。ガラスの知識は全くなかったが,「光ファイバができたら面白いな」と思うに至り,独学で思いつくままに光ファイバの研究を進めていた。

 ところが,入社してすぐの1970年,米コーニングが実用レベルの低損失光ファイバを製造する方法を発表した。その方法によって,ほとんど光を通さなかった光ファイバの伝送距離が100kmまで伸びた。

 「負けた。俺のやることはなくなった」と思ったが,念のため,コーニングがどういうことをやったのかを確認した。製造法や材料もない発表論文を見て,推測しながら自分で作ってみたのだ。すると,確かにロスは少ないが,折れやすいファイバだった。それで,「やることは山のようにあるな」と考えた。

 ひらめきがなかったわけではないが,新しい技術を開発できるかどうかは,徹底的にやってみる情熱があるかで最後は決まってしまうのではないだろうか。

こういう技術が安価な光ファイバという形で日本の通信産業を支える基盤になっている。その結果を,どう後ろの世代の研究開発にどう伝えていけばよいのか。

 東京大学の電気系の学科は定員の7割ぐらいしか埋まらないとか,いろいろな話は聞いている。魅力的な研究開発がないと人は集まらない。私が光ファイバを研究をしていたNTTの茨城研究所は,もうなくなってしまったが,当時はNTTの研究所の中で一番都心から離れた不便なところにあり人気がなかった。ところが,光ファイバの研究が新聞や雑誌で広く知られるようになると,途端に新入社員がこぞって希望するようになった。

 また,研究者の処遇も上げていく必要があるだろう。日本はどうしても技術系の処遇が良くないという風説がある。そういうものをどうやって払拭していくかも今後の重要な課題だろう。

 ただ,これからは,ハードウエアよりもソフトウエアやサービスにエネルギーを割くことになっていくだろう。米グーグルのように,検索エンジンとビジネスの手法を考えただけで,あれほど大きな会社があっという間にできてしまうのだから。

東京工業大学 理事・副学長
伊澤 達夫(いざわ・たつお)氏
1941年生まれ。1970年東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻博士課程修了。同年日本電信電話公社(電電公社)入社。武蔵野電気通信研究所に入所後,カリフォルニア大学バークレー校客員研究員,電電公社基礎研究所 物質科学研究部長,光エレクトロニクス研究所長,研究開発本部副本部長,基礎技術総合研究所長を務める。NTTエレクトロニクス代表取締役社長を経て,現在は東京工業大学 理事・副学長(研究担当)。SPIE業績賞,電子通信学会業績賞,電子通信学会論文賞,科学技術長官賞,恩賜発明賞,前島密賞,紫綬褒章,IEEE David Sarnoff Award,C&C賞など,受賞歴多数。光ファイバの低コスト量産技術「VAD法」や,光スプリッタの基礎となる平面光回路を開発し,FTTH普及に技術面で大いに貢献する。趣味は,ゴルフと家庭菜園。

(聞き手は,松本 敏明=日経コミュニケーション編集長,取材日:2008年1月21日)