環境問題を解決するために、コンピュータの省電力化やデータセンターの電力効率アップなどに取り組む企業は多い。これは本当にすばらしいことだが、あえて言えばテクノロジーによるアプローチだけでは対症療法的と言えなくもない。根本的な解決を目指すなら「環境思想」という視点でのアプローチが必要だ。
好評連載中の『環境思想で考える』では、「環境思想」という視点で物事をみたらどうなるかを、身近な話題を取り上げながら考察している。今回の週末スペシャルでは、特に読者からのアクセスが多かった記事を厳選して紹介しよう。
宮崎監督の映画には一貫してエコロジカルな問いが突き付けられている。「もののけ姫」では、二つの異なった正義が戦う。社会的な弱者を救済しようとする「タタラ」集団と、森林を守ろうとする山の荒ぶる神々。各々が代弁するのはヒューマニズムとエコロジーだ。 |

環境問題で騒がれている諸説の中でウソか本当かわからないことはじつは多い。地球温暖化にしても、二酸化炭素の大量排出が原因という説のほかに、地球の気候周期が温暖期に向かっているという説もある。水没しかかっている南の島が、温暖化による被害という文脈だけで語られることにも問題がある。 |
1970年代、捕鯨やイルカ捕獲をめぐって欧米諸国による「日本たたき」が頻発したが、その論拠は非常に稚拙なものが多かった。一方、環境思想の中には、普遍的な説得力を持って鯨や牛などの肉食反対を唱えるものがある。「動物解放」グループのジェレミー・ベンサムと、「自然の権利」のロデリック・ナッシュの主張である。 |

200年前、英国の経済学者マルサスは、地球上の人口爆発と飢餓の蔓延を予測した。そして現代、発展途上国での人口爆発を環境問題の諸悪の根源とみなす「ネオ・マルサス主義」が欧米で台頭してきた。一方、発展途上国にすれば、先進国のエネルギー過剰消費こそが問題とする。だが悪者を作って糾弾することでは環境問題は解決しない。 |

急速な経済成長を遂げる中国でマグロの需要が高まり、海洋資源の分捕り合戦が懸念されている。それならなぜ、魚の量そのものを増やそうという発想をしないのか。1万1000年ほど前に寒さのために森林資源が減少し、人類が食料危機に直面した時、滅亡に至らなかったのは「農業」が登場したからだ。今、海洋資源でも生産技術の発想が必要ではないだろうか。 |

地球温暖化が進んでいる。ところが実際のところ温暖化がどのような影響をもたらすかは細部にわたってはわかっていない。南極の氷が溶け出すことで海面が上昇し、それによって水没する陸地があることだけは間違いないが。実は、人類は過去に温暖化に類似した現象を経験しており、その先に氷河期が到来したことが明らかになっている。そうした過去がいかなる形で記録されているかを述べてみたい。 |

キリスト教には環境問題を引き起こした重大な嫌疑がかけられている。聖書の中に、はなはだ問題がある個所があるからである。だがそれは自然保護にも自然破壊にも、どちらにも解釈可能な教義であり、ヨーロッパで必要とされたのは、自然保護ではなく自然克服の解釈だったのである。 |
現在、地上テジタル放送用テレビへの切り替えが進み、アナログテレビは2011年7月に見られなくなる。難視聴対策やB-CASの意義など様々な問題を抱えながらその日に向かっているが、一つ大きな視点が抜けているように思う。地デジへの移行は、アナログテレビという大量の廃棄物を短期間に生み出すという視点である。 |

私の幼少年時代、テレビはちょうど日本アニメの萌芽期、同時に「テクノトピア」の世紀であった。テレビ画面には進んだ科学技術世界から来たヒーローが活躍する世界が広がっていた。他の惑星から来たソラン、宇宙エース、海底都市から来たオスパー、特に未来から来たスーパージェッターの語る「30世紀の世界」は、科学技術の力で気象さえも制御していた。 |

ある新聞のコラムに、1億円の土地の権利書と1000万円の株券を持ちながら、病院にいると金がかかるからと病院を抜け出し、行き倒れになった人のことが書かれていた。井原西鶴の『日本永代蔵』を何度も読んでいた私は、「これは違うぞ」と思った。合理的禁欲主義とケチの違いは何かを考える。 |

紀州・田辺の奇人と言われた南方熊楠は、大変な才人でもあった。博物学、菌類学、民俗学に業績を残し、科学雑誌「ネイチャー」にダーウィンやスペンサーと肩を並べて論文が掲載されたこともある。そして「環境思想家」としても、類い希な先見性と規模を兼ね備え、今日の欧米の一流エコロジストと比較しても遜色ない人だった。 |

「真言密教は究極のエコロジーだ」などと言うと、「葬式や法事でお経を唱えているのがなんでエコロジーだ!」と怒鳴られるかもしれない。いや、葬式仏教のことではなく、私が空海をエコロジストに推薦したいのは、現代環境思想の一派「ディープ・エコロジー」の観点からである。 |
