ゲーム開発者のためのイベントCEDEC 2009。最終日の9月3日の基調講演は,ゲームデザイナーの堀井 雄二氏,スクウェア・エニックス プロデューサーの市村 龍太郎氏,同社ディレクターの藤澤 仁の3人による「国民的ゲームとは何か?~ドラゴンクエストの場合~」だった。舞台に登場した3人は,現在のドラゴンクエストを創る中心人物である。携帯ゲーム機のニンテンドーDS向けとして2009年7月11日に出荷された『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』は,販売本数370万本を超え,現在も売れ続けている。

堀井雄二氏
堀井雄二氏

 講演は,前日,9月2日の富野 由悠季氏の基調講演の熱気に満ちた感触とはだいぶ異なり,「やっつけで」(市村氏),「座談会的なゆるーい流れも使いつつ,堀井さんからいろんな言葉を引き出していこう」(同氏)というものだった。確かに「やっつけっぽいな」と記者が感じたところはいくつかあった。堀井氏の語り口ははっきりとしていないし,前日ほど会場が熱気にあふれた感じもない。

 とはいえ,その「ゆるーい流れ」に乗って引き出された堀井氏の「いろんな言葉」を注意深く聞き返すと,先行者としての状況観察と適切な判断,ユーザーを楽しませ熱中させるための考え方や感性,そして,堀井氏がゲームを通してユーザーに届けたい気持ちが詰まっていた。とくに,ドラクエというゲームを世の中に広める過程で堀井氏が考え,実行してきたことは,当時のコンピュータと人間を相手にした“ハック”と呼ぶにふさわしく,現代のプログラム・デザインにおいても価値があるものだと感じた。堀井氏の言葉を中心に,本講演をまとめる。

「いかにわかりやすく“普通の人”にもできるようにするか」

 講演は1986年5月にエニックスがファミリーコンピュータ向けに出荷した『ドラゴンクエスト』誕生の背景を振り返るところから始まった。「当時,ファミコンが流行っていて,アクションゲームが主流だった。『ゼビウス』(1983年,ナムコ。ファミコン版は1984年出荷)とかすごい人気になりまして。ゲームセンターのゲームは100円玉を集める仕組みが必要なので,短時間でゲームオーバーにしなければいけない。家庭用ゲーム機では,それは必要ないので,ずーっとダラダラ遊べるゲームを作れる。じゃあロールプレイング・ゲームもできるんじゃないか」(堀井氏)。

 とはいえ,技術的な課題もあった。「当時,ハードウエアのスペックはすごく低かった。ドラゴンクエストの容量は64Kバイト。今の携帯画像の待ち受けよりも小さい容量で,プログラムから絵から音楽から全部入っている。だからいろんな工夫をした。例えば1文字に1バイト使っていない。6ビットとか。アイテムの種類も15種類で,3ビットでいけるかとか。ビット単位で計算して,詰めて詰めて」(同氏)。

 “15種類なら4ビットだよね…”と疑問に感じる記者をおきざりにして,堀井氏の話す話題は素早く変わった。そしてそれは,本講演の大部分を示唆する重要なポイントだった。「一番注意していたのは,とにかく“わかりやすさ”ですね。ロールプレイング・ゲーム自体は,やれば面白い。ただ,当時すごいしきいが高かった。なにをどうしていいかわからないというところがあったと思うんですよ。それを,いかにわかりやすく,“普通の人”にもできるようにするか」(同氏)。