機動戦士ガンダムのアニメーション監督として著名な富野由悠季氏は2009年9月2日,ゲーム開発者のためのイベントCEDEC 2009で講演した。演題は「慣れたら死ぬぞ」。

 この講演で富野氏はまず,アニメーション監督の自分と,映画やゲームなどの隣接する業界との関係性とそれにまつわる思いを述べた。続いて,現状の電子ゲームへの認識と,これから電子ゲーム創作のための考え方を語った。

 その語り口は熱く,富野氏からゲーム開発者/制作者に向けた“叱咤激励”と呼ぶにふさわしいものだった。本記事では,なるべく会場の雰囲気を記しながら伝えたい。

「下に見られていた」「本当に悔しいこと」

富野由悠季氏
富野由悠季氏

 会場のパシフィコ横浜 会議センターの大ホールは,CEDEC 2009に参加するゲーム開発者たちで満員だった。30代の男性が中心で,まさに機動戦士ガンダムを見て育った世代といえる。そのガンダムを作った壇上の富野氏は冒頭,自ら所属していたアニメーション業界を映画業界,テレビ業界よりも「下に見られていた」と振り返った。

 富野氏は1941年生まれ。プロとしてのキャリアを始めたのは1964年で,そのころの日本の映画界は今よりずっと元気だった。手塚治虫氏が率いる虫プロダクションに富野氏が入社したとき,アニメーション業界は,映画よりも,テレビ番組製作よりも,下に見られていた。この状況を富野氏は「本当に悔しいこと」だったと振り返る。「アニメだって映画だよ,マンガだって映画だよ,そう信じてやってきたはず。でも,現在,ただ今まで,認めてくれていません。それが大人というものです」

前の時代の経験を伝えるために

 そして「電子ゲームという仕事,媒体に,自分自身が参入したいと思っていたが,みんな仲間に入れてくれないし」と客席を笑わせつつ,本講演をする理由を続けた。「自惚れさせてもらうと,(アニメ業界の前に映画業界があったように)ゲーム業界の前にアニメ業界がある。ゲーム業界はもう30年経った。30年という時間はとってもいい時間で,業態や,組織などが固まる時期。いろいろな部分で,動脈硬化をおこして明日が見えなくなる。これを突破するためにどうすればいいのか。前の時代を経験している人が,知っていることを話すのは無駄じゃない。そのために来た」

 富野氏は,開演からここまで一気に語り続けた。そして,「ここの空気が,僕にとってはちょっと熱いので」と一言断って,ゆっくり帽子を取り,上着を脱いだ。