この記事は,日経ソフトウエア2008年4月号,短期集中連載「ニコニコ動画開発記(中)」の再録です。記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります。なお,2008年12月24日発売の日経ソフトウエア2009年2月号に「ニコニコ動画開発記(創)」を掲載しています。同じ著者の鈴木氏が,ニコニコ動画(秋)や(冬),(ββ)の開発の様子と感じたことを記しています。
鈴木 慎之介(すずきしんのすけ)
ドワンゴ 研究開発本部 第二開発部 ポータル機能開発セクション セクション マネージャー
鈴木 慎之介(すずきしんのすけ) MacBook Airを入手しました。新しいパソコンはセットアップで何かと手間取るものですが,Macは一瞬で快適です。UNIXベースのOSは,やっぱり使いやすく感じます。CD-ROMなどを読み取る光学ドライブを備えていないのですが,思い切って「使わない」というルールで割り切ることにしました。この原稿の一部はMacBook Airで書いていますw
http://d.hatena.ne.jp/shinno/

 この連載「ニコニコ動画開発記」は,筆者が開発と運用に携わる動画共有サイト「ニコニコ動画」のサービス・インから現在までを,開発者の立場から振り返ってまとめるものです。前回は,ニコニコ動画当初の開発の様子や,増え続ける負荷への対応,さらにDDoS*1攻撃を受けたことや,YouTubeからアクセスを拒否されたことなどを書きました。2007年2月24日,DDoS攻撃とYouTube遮断により,ニコニコ動画(β)のサービスは一度終了します。

 中編の今回は,この(β)サービス終了から,ニコニコ動画(γ)をリリースするまでの,いわば復活ストーリーです。1週間で動画投稿サイトを新規開発します。加えて,アカウント制,マイリスト*2,タグなどの新機能を追加します。動画を再生するFlashプレーヤもバージョンアップするという計画でした。

 スケジュールは少し遅れて,サービスの再開まで1週間強かかりました。筆者とニコニコ動画にとって,もっともあわただしい時間だったのと同時に,偶然訪れた幸運と開発メンバー,取引先,ユーザーのありあまる熱意に支えられた,とても不思議な期間でもありました。

 いま振り返ると,YouTubeという世界的な巨大サイトにぶら下がる小さなマッシュアップ・サイトだったニコニコ動画が,自らユーザーを集めるサービスとして一人立ちするタイミングだったように思います。

 以下では,この(β)終了から(γ)のリリースまでの様子を,筆者が感じたことを交えつつ紹介したいと思います。まずは,YouTubeによるアクセス遮断の対策会議の様子から振り返ってみましょう。

特定のブラウザでだけアクセスできない

 2007年2月23日,DDoSの対策を終えて再開したニコニコ動画で,一部のユーザーがYouTube上の動画を利用できなくなるという問題が発生しました。当時のニコニコ動画で利用できた動画投稿サイトは,YouTube,AmebaVision*3,フォト蔵*4の3種類。自前の動画投稿サイトはありません。ニコニコ動画で人気のあった動画のほとんどは,YouTube上にありました。YouTubeの動画が利用できないのは,ニコニコ動画にとって大きな問題です。

 調べてみると,一部のブラウザのあるバージョンに対して,YouTubeが意図を持ってニコニコ動画からのアクセスを遮断したことがわかりました(図1)。ブラウザがYouTubeに送るリファラ*5を利用して,ニコニコ動画を経由した動画の要求に応答しないようにしていたのです。

図1●ニコニコ動画におけるYouTubeからの接続拒否。あるWebブラウザの一部のバージョンで,リファラを利用したアクセス制限を受けた
図1●ニコニコ動画におけるYouTubeからの接続拒否。あるWebブラウザの一部のバージョンで,リファラを利用したアクセス制限を受けた

 YouTubeからアクセスを遮断されることは,社内ではすでに予想していました。そのときに備えて,いつかは自社で動画投稿サイトを用意しなければという思いもありました。ところがアクセス遮断のタイミングが,思いのほか早く来てしまったのです。前回この連載で紹介したように,ニコニコ動画のユーザー数が想定よりも早く伸びたため,YouTubeに多大な負荷を与える時期が早まった…ということのようです。

 自社の動画投稿サイトは,まだ影も形もありません。ほかの動画投稿サイトへの乗り換えを検討しても,YouTubeほどの負荷をさばけるサイトは存在しませんでした。ニコニコ動画が生き残るには,動画投稿サイトを自前で作るしか道はありません。