Rubyの輪を広げたい---高橋 征義 ツインスパーク Webソリューション事業部事業部長補佐 シニアプログラマー

「日本Rubyの会」を2004年に立ち上げた高橋征義氏。実は仕事でRubyを使っているわけではない。Rubyファンの一人に過ぎなかった高橋氏を突き動かしたのは、プログラマとしての使命感だった。

 惚れ込んだものに対しては、誰もが「少しでも詳しく知りたい」「自分が感じている“良さ”を、多くの人に知ってほしい」と思うに違いない。どこまでやるかは人それぞれだが、私の場合は周囲の期待感が「日本Rubyの会」設立の原動力になった。

高橋 征義(たかはし・まさよし)氏
撮影協力=ジュンク堂書店 池袋本店

 オフ会やセミナーの場では、「なぜ(この組織を)設立したのか」と聞かれる。確かに、開発言語の普及団体を作ったからといって、私の仕事が変わるわけではないし、収入が増えるわけでもない。そもそも仕事では主にRubyを使っていないのだから。

 それでも、私はプログラマの一人として、「設立すべきだ」と思った。どんなに素晴らしい宝の種があったとしても、それを育てる土や肥料、水や空気がなければ種から芽が出ないし、花も咲かない。自分一人で花を咲かせることはできないが、そのきっかけは作れる。それで良い技術を広めることは、とても意義があることだ。そして少しでも世の中に貢献できるのならば、開発者冥利に尽きる。

 私がRubyと出会えたのも、別の開発者がこうした活動をしていたからだ。Rubyを知ったのは就職して約1年が過ぎた1997年ころ、ニュース系Webサイト「Internet Watch」の記事などで知った。当時は「そういう開発言語があるんだ」くらいにしか思っていなかったが、開発者向けのメーリングリストに参加してから、どんどんはまっていった。そこでは言語体系としての良しあしとか、設計思想とかを議論していたからだ。

 当時はまだ開発者として未熟だったので、Rubyの発展に直接寄与できなかった。その後、Rubyが広まっていくにつれ、「コミュニティが欲しいよね」という声があちこちから聞こえてきた。幸い私は、学生時代にコミュニティを運営した経験があった。「これなら自分も貢献できる」と思った。実際に話をふってみると、たくさんの方から協力を得られるようになった。今年6月に開催したRuby会議には、延べ1200人以上の方に参加していただけた。

 相手が特に求めていないことを、こちらの思惑でやるのはすごく大変。それに比べて、相手が欲しがっていることをすることはずっと簡単だ。なにせ相手が受け入れようという体制を作ってくれている。こうした機会は誰にでもある。私自身、これからの機会も大切にしていきたい。

高橋 征義(たかはし・まさよし)氏
ツインスパーク Webソリューション事業部事業部長補佐 シニアプログラマー
1996年3月北海道大学大学院工学研究科修了。同年4月、株式会社アイナック入社。2002年11月、業務提携により株式会社ツインスパーク入社。2004年8月、日本Rubyの会設立に参画。現在まで同会会長を務める。1972年1月生まれの36歳。

(目次 康男,森山 徹=日経コンピュータ